第319回 物価高でプロ野球は生き残れるか

 原油価格の高騰によりガソリンは昨年の同時期に比べ16.4%も値上がりした。4月からは輸入小麦の価格が30%引き上げられる。小麦が原料として使われているのはパンや麺だけではない。食品に加えビールなどもいっせいに小売価格に転嫁される。そうなれば、ますます家計は「生活防衛」の色を強め、レジャー関連支出を抑えるようになる。さてプロ野球は大丈夫か? と不安に思うのは私だけではあるまい。

第272回 チーム再建のカギはやはり「マウンド」 埼玉西武・渡辺久信監督

 昨季、埼玉西武ライオンズは26年ぶりのBクラス(5位)に転落した。その再建を任されたのが前2軍監督の渡辺久信だ。  渡辺監督は西武時代、6度の日本一と10度のリーグ優勝を経験している。  投手として1986年(16勝)、88年(15勝)、90年(18勝)と3度、最多勝に輝いている。工藤公康、郭泰源らとともに西武の黄金期を支えた。

背番号「3」の再臨<前編>

 球場へ向かう道は県外からの車であふれていた。渋滞の中には九州各県はもちろん、遠く東北や関東のナンバープレートを付けた車も見受けられた。  2月12日。宮崎キャンプが始まって12日目の土曜日、今日こそ長嶋茂雄が「背番号3」を披露するというウワサがまことしやかに流れていた。  ただ、それだけの話である。

第318回 大場よ、“鉄腕2世”を超えろ

「私の履歴書」といえば日本経済新聞の名物連載だが、川上哲治、西本幸雄、鶴岡一人(故人)、稲尾和久(故人)4氏の自伝を一冊にまとめるにあたり、解説を依頼された。「神様」に「闘将」に「親分」に「鉄腕」――。コピーライターなどいない時代、誰が名付けたか知らないが、どれも名ニックネームである。4氏の人物像が、この2文字に全て凝縮されているといっても過言ではない。

第271回 中田人気の裏側

 キャンプのMVPは北海道日本ハムの大物ルーキー中田翔で決まりだな。  連日のようにスポーツ紙の一面を独占している。  かつてキャンプの時期、スポーツ紙の一面を飾るのは巨人の大物ルーキーと相場が決まっていたが、最近は「巨人のドラフト1巡目ルーキーって誰だっけ?」ってな感じである。  ちなみに高校生ドラフトの1巡目ルーキーは藤村大介(熊本工)、大学生・社会人ドラフトの1巡目ルーキーは村田透(大体大)である。

第317回 「三無主義」に蝕まれている相撲協会

 いつから、こんな詭弁がまかり通るようになったのか。「相撲の世界は各部屋が個人商店、協会が商工会議所のような関係。ひとつの部屋で不祥事が起きたからといって、いちいち理事長が責任を取る必要はない」。元力士やタレントから、しばしばこのような発言を耳にする。本当にそうだろうか。

ラガーマンの決断 ラグビー・村田亙

「オレも、もう少し若かったらなァ……」  人生の大切な局面において決断できなかった理由を、年齢のせいにする人間に仕事のできる者はいない。  日本一のラグビー界においてプロ第一号となり、フランスのラグビーリーグでプレーする村田亙が本場のラグビーを意識するようになったのは、‘91年の第2回ワールドカップ直後のことだった。

第316回 Jリーグにアジア選手枠創設を!

 07年の世界主要企業の時価総額ランキング(野村証券調べ、日本経済新聞1月13日付)を見て驚いた。首位は前年6位の中国石油天然気(ペトロチャイナ)、2位エクソンモービル(米)、3位GE(米)、4位中国移動(チャイナモバイル)、5位中国工商銀行とベスト5のうち3社までが中国・香港勢によって占められていた。日本勢はトヨタ自動車の21位が最高である。

第269回 仰木彬氏に続く“パ・リーグ2代目広報部長”となった梨田昌孝監督

 北海道日本ハムの梨田昌孝監督が高校生ドラフト1巡目の大物ルーキー中田翔について「交流戦では甲子園の時のようにマウンドに上げるかもしれない」と仰天プランをブチ上げた。  高校(大阪桐蔭)時代、通算87本のホームランを記録した中田だが、投げても最速151キロのスピード自慢。梨田監督がピッチャーとしての魅力を捨てきれないのもわからないではない。

第315回 土俵を制するのは王者か覇者か

「王道」か「覇道」か――。東西両横綱の相星決戦となった初場所の千秋楽をテレビで観ていて、不意にそんなフレーズが脳裡をよぎった。  言うまでもなく「王道」は3場所連続優勝を果たした東の横綱・白鵬である。伝家の宝刀・左上手投げで西の横綱・朝青龍をひっくり返した瞬間、隣で観ていた知人が「正義が勝った!」と言って手を叩いて立ち上がった。何が正義で何が邪悪なのかは不明だが、一連の騒動を通じて知人は朝青龍に対し、嫌悪に近い感情を抱いたようだ。

第268回 最初から野手として勝負させるべきだ 北海道日本ハム・中田翔

 プロ野球における「二刀流」は口で言うほど簡単ではない。ピッチャーかバッター、どちらか一本にしぼるべきだろう。  北海道日本ハムの梨田昌孝監督が、高校生ドラフト1巡目の大物ルーキー・中田翔について「交流戦では甲子園の時のようにマウンドに上げるかもしれない」と仰天プランをブチ上げた。

プロ野球の速球王、前人未踏の160キロへの挑戦 ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太<後編>

 高校3年夏の千葉県大会1回戦、五十嵐は稲毛高を前に12奪三振の完封劇を演じた。この試合の2回、彼は自己最高の144キロを記録した。ヒットこそ4本許したものの、打球はいずれも球威に押されて詰まっていた。  ネット裏には10球団、13人のスカウトが集結していた。当時のスポーツ紙にはスカウトの次のようなコメントが紹介されている。 「腕の振りの速さは天性のもの。真っすぐが速いのが魅力だね」(日本ハム・田中スカウト)、「球の離し方とヒジの使い方がうまいから手元でボールが伸びる」(広島・苑田スカウト)。

第313回 ルーキー諸君「書を買おう、部屋に戻ろう」

「何の仕事でもそうですけど、就職が決まったら、まずそこの会社の社長が出している本を読むのが普通ですよね?」。そう水を向けると、古田敦也は即座にこう返した。「(プロ野球界は)普通じゃないんですよ(笑)。社会が違うんです。僕は試合に出たかった。そのためには監督の目指す野球を理解するしかなかったんです」

第114回 プロ野球の速球王、前人未踏の160キロへの挑戦 ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太<前編>

 誰よりも速いボールを投げたい。  誰よりもボールを遠くへ飛ばしたい。  野球を始めた少年が、最初に思うことは、このどちらかである。  前者の方に魅力を感じた少年はピッチャーへの道を選び、やがてエースとして甲子園を目指し、その先のプロ野球のマウンドに夢をはせる。一方、後者の方により深い魅力を感じた少年は、ホームランに飽くなき憧れを抱き続ける。

第265回 「日本代表」を“ブランド”にしたアマ球界の名将・松永怜一

 当時はまだ公開競技だったとはいえ、オリンピックで野球の日本代表が金メダルを獲得したのは1984年のロサンゼルス大会、ただ1度のみである。  ロス五輪で日本代表の指揮を執った松永怜一は、その功績が認められて2007年1月、野球殿堂入りを果たした。

第113回 リベンジの冬へ 武蔵

「立ち技最強」と呼ばれるK−1は、これまで12回のワールドグランプリを行っているが、日本人王者はまだ誕生していない。  ナチュラルなヘビーウェイト揃いの外国人勢に比べ、日本人選手は体格的に見劣りする。一日で3試合を戦うワンナイト・トーナメントで頂上を極めるのは至難の業だ。

第264回 「金」と「銅」の違いを痛いほど知っている男 五輪日本代表・大野豊コーチ

 北京五輪出場を決めた星野ジャパンが、もし台湾でのアジア予選に負けていたら、“お友達内閣”がやり玉に上がっていたことだろう。  周知のように星野仙一監督と田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ、山本浩二守備走塁コーチは六大学時代からの親友。プロに入ってからも「セン」「ブチ」「コウジ」と呼び合う仲だった。

第112回 野茂英雄が挑戦し続けるMLB孤高のマウンド<後編>

 メジャーリーグで通用する条件は何か?  野茂がアメリカで成功をおさめてからというもの、こういう質問を受けることが多くなった。 「やはり、三振をとれるフォークボールがあるということですか」 「ストレートも150キロは必要ですね?」 「コースいっぱいに決めることのできるコントロールも必要でしょう」

第309回 生活の変化がもたらした国際大会の興奮

 ハラハラ、ドキドキ、ワクワク――。これがスポーツ中継が高視聴率をマークするための必要条件である。先の北京五輪野球アジア予選にはこの3つの要素が全て含まれていた。その結果が日本対韓国戦23.7%(関東地区)、28.9%(関西地区)、日本対台湾戦27.4%(関東地区)、33.3%(関西地区)――(「ビデオリサーチ」)。きょう負けてもあすがあるレギュラーシーズンでのゲームと違い、国際大会は基本的に「あすなき戦い」である。見る側も緊張を強いられる。日常生活では味わえない狂熱や絶望がそこにはある。

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