藤本佳希(明治大学体育会サッカー部/愛媛県松山市出身)第4回「折れなかった心」

 高校卒業後、藤本佳希は更なるレベルアップを目指し、故郷の愛媛を離れた。関東の強豪校・明治大学へと進むために上京したのだった。明大は、東京五輪銅メダルの立役者の杉山隆一、FKの名手として知られる“ミスターマリノス”木村和 […]

藤本佳希(明治大学体育会サッカー部/愛媛県松山市出身)第3回「一路邁進で掴んだ全国行きの切符」  

「“全国大会に絶対行きたい”との気持ちは半端なくありました。もし行けなかったら“一生後悔する”と思っていました」と藤本佳希(現・明治大)は高校時代を振り返る。中学では辿り着けなかった道へ、県内の強豪である済美高校に進むこ […]

藤本佳希(明治大学体育会サッカー部/愛媛県松山市出身)第2回「“速くて強い”プレースタイルのルーツ」

 明治大学体育会サッカー部に所属する藤本佳希のルーツを辿る時、避けては通れないのが小学生時代である。本格的にサッカーを始めたのは、彼の2年生時。そして6年生時には、“速くて強い”現在のプレースタイルに多大なる影響を与える […]

藤本佳希(明治大学体育会サッカー部/愛媛県松山市出身)第1回「前へと押し上げるゴールハンター」

 1921年創部の明治大学体育会サッカー部。今季は5名のJリーグ内定者を揃えるタレント集団において、大きな存在感を放つのが、FW藤本佳希(4年)である。94年の歴史を誇る伝統校で、背番号11を付けるストライカーは1日現在 […]

杉村繁(東京ヤクルト打撃コーチ/高知県高知市出身)×二宮清純 最終回「野球王国・四国の復活を願う」 

二宮: 今年の夏の甲子園は、四国勢が全て1回戦で敗退しました。昔に比べてレベルが落ちているように感じます。杉村: 最近、四国勢は弱いですね。四国の子は他の地域の子と比べて体が小さいという印象があります。他の地域をみると、 […]

杉村繁(東京ヤクルト打撃コーチ/高知県高知市出身)×二宮清純 第3回「バット軌道の重要性」

二宮: 昔に比べ、カットボール、ツーシームと変化球も多彩になってきましたね。杉村: 最近は落ちるボールを投げるピッチャーがすごく増えてきましたね。これらのボールに145キロ以上の速球を組み合わせてくる。対応するためには、 […]

杉村繁(東京ヤクルト打撃コーチ/高知県高知市出身)×二宮清純 第2回「三冠・山田哲人に教えた“右の壁”」

二宮: 主に3番を任された山田哲人選手はトリプルスリー(打率3割2分9厘、本塁打38、盗塁34)を達成しました。本塁打、盗塁、最高出塁率の3部門でリーグトップ。昨年の成績をさらに上回る活躍です。3番への起用がうまくハマっ […]

杉村繁(東京ヤクルト打撃コーチ/高知県高知市出身)×二宮清純 第1回「ツバメ打線覚醒の秘密」

 史上稀にみる大混戦のセ・リーグを制したのは、東京ヤクルトである。今季、14年ぶり7度目のリーグ優勝に輝いた。一昨年から2年連続で最下位に低迷していたチームを優勝に導いたのは、セ・リーグ随一の打撃力だろう。主軸である山田 […]

泉武志(レスリング世界選手権日本代表/愛媛県八幡浜市出身)最終回「迷いなき夢追い人」

 2012年冬、泉武志はオリンピックという夢を再び追いかける決意をした。背中を押す者もいれば、反対する者もいた。それでも彼は迷わなかった。東京から故郷の愛媛まで走って帰る中で、夢への想いは一層強くなった。帰郷した泉は母校・八幡浜工高を訪ねた。約9カ月のブランクを埋めるために選んだ場所は、競技を始めた原点だった。

泉武志(レスリング世界選手権日本代表/愛媛県八幡浜市出身)第3回「念ずれば花開く」

 2008年春、高校時代に目標としていた全国大会出場を叶えた泉武志は、日本一を目指し、日本体育大学に進学した。日体大といえば、レスリングにおいても1964年東京五輪男子グレコローマン・フライ級金の花原勉、76年モントリオール五輪男子フリースタイル52キロ級金の高田裕司ら数々のメダリスト、オリンピアンを輩出した名門中の名門である。しかし、泉に待っていたのは順風満帆な競技生活ではなかった。

泉武志(レスリング世界選手権日本代表/愛媛県八幡浜市出身)第2回「優秀な“兄”たちを追いかけ、全国へ」

 泉武志(一宮グループ)は、愛媛県八幡浜市で食品卸業を営む一家の3人兄弟の末っ子として生まれ育った。父親に武士の志を持って欲しいと名付けられた子供は、わんぱくに成長していった。彼には、血の繋がった兄以外にも2人の“兄”がいる。近所に住む竹口家の2人兄弟だ。泉家と竹口家の子供たちは、よく5人で近くの公園で遅くまで遊んだ。“兄”たちを追いかけながら、負けん気の強い武志少年は大きくなっていった。しかし、年の離れた“兄”の背中は遠かった。

泉武志(レスリング世界選手権日本代表/愛媛県八幡浜市出身)第1回「夢を諦めきれない不器用な男」

 米国ネバダ州ラスベガス――。言わずと知れたギャンブルの街である。この地には一攫千金を夢見るギャンブラーたちが集う。砂漠地帯にある大都市に、一度は諦めた夢を再び追いかけ、降り立った男がいる。男子グレコローマンスタイル66キロ級日本代表の泉武志(一宮グループ)だ。彼は現地時間7日に開幕する世界選手権に出場し、オリンピックへの切符を掴み取ろうとしている。今大会は五輪種目の各階級5位以内が、まず国別出場枠を獲得。さらに表彰台に上がることができれば、リオデジャネイロ五輪代表にグッと近付く。この4年に1度の夢舞台こそが、泉がマットに戻ってきた理由なのだ。

和田恋(巨人/高知県土佐郡土佐町出身)最終回「1軍昇格への課題」

 2軍で4番を張り続けている今季、和田恋はバッティングフォームの修正に取り組んでいる。高校時代からの左足を大きく上げるスタイルから、すり足に近いステップに変更した。 「(2軍の)岡崎郁監督からのアドバイスで、確率を上げるためにバッティングをシンプルにしようと変えました」

和田恋(巨人/高知県土佐郡土佐町出身)第3回「済美・安樂との対決」

「野球が一番、身近にあったスポーツでした」  和田恋は高校球児だった父・博人の影響で、4歳上の兄・涼とともに物心ついた頃から野球を始めた。父も兄も全国大会に何度も出場経験のある高知高の出身。兄が甲子園でプレーする姿に憧れ、自らも高知中から高知高と進み、同じ道を選んだ。

和田恋(巨人/高知県土佐郡土佐町出身)第2回「非凡さをみせたキャッチャー挑戦」

 78試合、打率.200、1本塁打、15打点。  それがルーキーイヤーの2軍での和田恋の成績である。主にサードで起用され、育成の1年を過ごした。 「1年間、プロの世界を経験できたことは一番良かったですね。守備もバッティングも走塁も成長できた部分を感じることができました」

和田恋(巨人/高知県土佐郡土佐町出身)第1回「伝統ある4番への挑戦」

 不動の4番バッターである。  プロ入り2年目、巨人の和田恋はファームの主軸を開幕から任されている。ここまで全96試合に出場。打率こそ.214ながら、チームトップの8本塁打と右へ左へ放物線を描く。成績が認められ、6月に開催された侍ジャパン大学代表とのユニバーシアード壮行試合ではNPB選抜に選出され、3番スタメンで出場した。台風で中止になった7月のフレッシュオールスターゲームでも、イースタンリーグ選抜に選ばれている。

川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 最終回「叩き上げのチャンピオンを育てたい」

: 現役引退後、ジムを立ち上げました。ジム開設から何年になりますか。 : 15年です。会員は150人くらいで、そのうち、プロのライセンスを持っているのは15名ほどです。

川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 第4回「無敵だったリカルド・ロペス」

: 17戦目でホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)に挑戦して、WBC世界スーパーフライ級王座を獲得します。ようやく夢が叶ったという喜びは大きかったのでは? : なんか現実味がなかったですね。チャンピオンになったという感覚は後から湧き出てくるものです。地元に帰ったりして、注目度が高まったり、周りがチャンピオンとして認めてくれるうちに実感が出てきました。

川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 第3回「エリートではなく“雑草”」

: プロデビューから3連続KO勝利を収めましたが、フライ級の東日本新人王決定戦でピューマ渡久地さんにKO負けを喫してしまいます。最初につまずいたのはショックだったのでは? : そうですね。田舎から出てきて、都会の生活に慣れなくて、心身ともにコンディションは良くなかったですね。それから減量もきつかった。全部、言い訳になっちゃいますけど、すべてがダメな状態で試合に臨んでしまいました。言い訳をつくってリングに上がると絶対に負けちゃいますよ。

川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 第2回「父からの英才教育」

: 川島さんはお父さんの影響で小さい頃からボクシングを始めました。お父さんのボクシング経験は? : 本人はやっていないんです。オヤジは理容師で、その勉強で東京にいた時にボクサーと知り合ったそうです。それからボクシングに興味を持ったと聞きました。

川島郭志(ボクシングWBC世界スーパーフライ級元王者/徳島県海陽町出身)×二宮清純 第1回「日本から本物のチャンピオンを」

 川島郭志といえば、“アンタッチャブル”の異名をとった1990年代の名ボクサーだ。卓越した攻守で世界王者に昇りつめ、WBC世界スーパーフライ級王座を6度防衛した。だが、その道のりは決して平坦ではなかった。ライバル対決での敗戦や、思わぬケガ……。現在は都内にジムを開設し、未来の王者育成に力を注ぐ川島に、これまでの人生を振り返ってもらいつつ、日本ボクシング界のこれからについて、二宮清純がインタビューした。その模様を4回にわたってお届けする。

伊藤愛里(住友電工陸上競技部/愛媛県松山市出身)最終回「真価が問われる進化のプロセス」

 女子100メートルハードルの日本記録は、2000年に金沢イボンヌがマークした13秒00。それから15年止まったままの時計。“13秒の壁”を超えることは、日本女子陸上界の悲願である。住友電工に所属する伊藤愛里も、そこに挑戦するハードラーの1人だ。しかし、彼女自身もまた“壁”に直面している。パーソナルベスト(13秒27)は4年前から塗り返られていない。 「自己ベストが見えないことには、その先はクリアできない。そこをどうすればいいのか追求し、解明したいんです」  社会人4年目の今シーズン、伊藤は変化を求めている。

伊藤愛里(住友電工陸上競技部/愛媛県松山市出身)第3回「駆け出した日本一への道」

 中学時代は全国大会に縁がなかった伊藤愛里。3年時には四国大会で表彰台に上がったものの、全日本中学校選手権の出場経験はない。しかし、彼女の競技人生は済美高に進んでから一変する。3年連続で全国高校総合体育大会(インターハイ)に出場。高校入学前は「陸上のイロハを知らなかった」という伊藤が、インターハイ常連となるまで成長を遂げたのは、なぜか――。

伊藤愛里(住友電工陸上競技部/愛媛県松山市出身)第2回「“花より団子”でスタートした競技人生」

「わかりました。入ります!」。中学に入学したばかりの頃、伊藤愛里は部活動見学を経て、陸上部への入部を決めた。当初は「テニスウェアが可愛いから」という理由でテニス部に入る予定だった。しかし、伊藤はラケットを手にしなかった。  彼女は照れくさそうに真相を話す。 「実はアメちゃん、もらったから入りました。友達と『陸上部も回ろうか』と行った時に、部の先輩から飴をいただいたんです。それが理由なんです」  12歳の少女は可愛いテニスウェアよりもアメちゃんに惹かれ、陸上への道を選んだ。“花より団子”でスタートした彼女の競技人生は、今もなお続いている。

伊藤愛里(住友電工陸上競技部/愛媛県松山市出身)第1回「“自問自答”する笑顔のハードラー」

 各選手がスタートラインに立ち、レーンごとに名前をコールされる。陸上競技のトラック種目ではありふれた光景だ。自らの番が回ってくると、彼女は満面の笑みを浮かべ、手を挙げる。一礼した後も、その生き生きとした表情が解かれることはない。  彼女の名は伊藤愛里。住友電工陸上競技部に所属する100メートルハードラーだ。本人によれば、屈託のない笑顔は、自然と生まれるものだという。 「レースが本当に楽しいんですよね。私自身が意識しているというよりも、会場の皆さんに鼓舞されて、“やれるかもしれん”という気持ちが湧いてくるんです」

Back to TOP TOP