田崎健太
このシリーズの1回目に書いた、安永聡太郎にとって2度目のスペイン移籍――ガリシア州フェロールでの生活は半年で終わることになった。 安永はこの街のクラブ、ラシン・デ・フェロールで、フォワードの一角として12試 […]
燻っていた火が一気に燃え上がったのは、2001年9月のことだった。 2001年シーズン、第1ステージから安永聡太郎は清水エスパルス監督のズドラヴコ・ゼムノヴィッチに不満を募らせていた。 ゼムノヴ […]
1998年10月28日、横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併に向けて動いていることが発覚した。 フリューゲルスの出資会社の1つである佐藤工業が経営不振に陥っており、もう1つの出資会社、全日空もクラブを支え […]
1998年1月、クリスマス休暇が明けて、スペインリーグ2部が再開した。 98年6月、安永聡太郞は1年間のスペインリーグ2部、ウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)でのレンタル移籍を […]
1998年1月、クリスマス休暇が明けて、スペインリーグ2部が再開した。 横浜マリノスからウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)にレンタル移籍していた安永聡太郞の契約は、このシーズン […]
1997年、安永聡太郞は横浜マリノスからレンタル移籍でスペインに渡っている。清水商業高校から横浜マリノスに入る際、国外留学の約束をとりつけていたのだ。 安永が加入することになったのは、カタルーニャ州リェイダ […]
1996年3月24日、オリンピック日本代表は準決勝のサウジアラビア戦で2対1と勝利。アトランタオリンピック出場権を獲得した。 28年ぶりのオリンピック出場権を獲得したことで、日本代表には大きな注目が集まって […]
Jリーグというプロ化によって、日本のサッカー選手は逞しくなり、世界に名乗りを上げられるようになった――。 いわゆる“ドーハの悲劇”で94年ワールドカップアメリカ大会の出場権は逃したものの、95年 […]
安永聡太郞の人生に大きな影響を与えることになる、スペインサッカーとの遭遇は衝撃だった――。 1995年4月、カタールで20歳以下の選手によるワールドユースが行われた。自国開催の79年以来2度目の出場権を獲得 […]
1976年4月20日、安永聡太郞は山口県宇部市で生まれている。 最初の転機となったのは、中学3年生のときだったという。 「全国9地域から集まる、地域ユース対抗戦という大会があったんです。ぼくはまず中国地方代表 […]
あいつはどうしているのだろう。 ふとしたとき、記憶の奥底からゆらゆらと顔が浮かんでくるような知人が誰にでもいるはずだ。決して親しくはない。しかし、何かが引っかかり、気になる人間――。 安永聡太郞 […]
松原良香が望月重良から電話を貰ったのは、2015年11月のことだった。 元日本代表の望月は松原より1つ年上にあたる。静岡市生まれで清水商業の望月に対して、松原は浜松市生まれで東海第一高校。同じチームに所属し […]
松原良香が静岡FCの監督を引き受けることになったのは、2004年シーズンが終わった後のことだった。 松原によると、あるサッカー関係者に欺されて、それまで貯めていた金を失っていたという。そんな松原の窮状を見か […]
(写真:かりゆしFC退団後、静岡FCに移籍した松原) 2004年シーズン前、松原良香は今年もかりゆしFCでプレーすべきか、心が揺れていた。 前シーズンが始まったばかりの頃、身体が思ったように動かなかった。ウル […]
2003年11月、松原良香の所属する『かりゆしFC』はJFL昇格を掛けて、全国地域リーグ決勝大会に駒を進めていた。そして第1リーグ初戦、関西代表の高田FCと対戦、3対1で勝利した。 その夜、ぼくはかりゆしF […]
取材は縁と運が必要だというのがぼくの考えだ。例えば、ある人物を取材したいとこちらが熱望していても、向こうにその気がないことがある(もちろん、それでも周辺を調べて書くという手法もあるが)。その場合、ぼくは無理に押さず、い […]
2001年シーズン途中、松原良香はJ1のアビスパ福岡に加わった。 福岡には元日本代表の三浦泰年、後に日本代表にも選出されるフォワードの山下芳輝などが所属していた。前年の2000年シーズン、アルゼンチン人指揮 […]
元ブラジル代表の故・ソクラテスがぼくにこう教えてくれたことがある。「移籍というのは、結婚と同じだよ。選手もそれぞれ個性があり、受け入れる側のクラブにも事情がある。どんなにいい選手であっても、必ず移籍が成功するわけではな […]
言葉、風習の違う国へ移籍する場合、鍵となるのは代理人である。 代理人の職務は、選手と代理人契約を結び、選手の代わりにクラブと交渉して契約をまとめることだ。契約成立の暁には、契約金あるいは年俸から一定のパーセ […]
98年のシーズン、松原良香は所属していたジュビロ磐田で1試合も出場機会がなかった。そこで松原は日本を出ることにした。頭に浮かんだのは欧州だった。 まず磐田にいた外国人選手に欧州のクラブに強い代理人を紹介して […]
1996年夏、アトランタ五輪代表が日本に戻った日の成田空港は大騒ぎだった。 到着ロビーの2階通路まで二重三重の人垣ができ、500人を越える人間が待ちかまえていた。揃いのスーツを着た松原良香たち五輪代表の選手が姿を現すと […]
1996年3月、マレーシアでアトランタ五輪最終予選が始まった。8カ国が2グループに分かれ、上位2カ国が準決勝に進出。その4カ国のうち3カ国に五輪出場権が与えられた。 日本代表はイラク、オマーン、UAEと同組に入り、2勝 […]
松原良香にとってJリーグ2年目、1995年シーズンは、ふわふわした居心地の悪いものだった。 監督だったオランダ人のハンス・オフトとはそりが合わなかったと松原は振り返る。「ぼくは監督とコミュニケーションを取りたいと思って […]
1993年は日本サッカーにとって、歓喜と悔しさの涙が混じり合った熱狂の嵐の中にいた1年だったといえる。 この年の5月、プロリーグであるJリーグが始まっている。開幕戦となったヴェルディ川崎と横浜マリノスの試合 […]
松原良香は阪南大学を3日で退学した後、高校の同級生だった白井博幸の部屋に転がり込んだ。白井は東海第一高校を卒業した後、清水エスパルスに加入していた。何もせず、ごろごろしていた松原に白井も次第に呆れ、「いい加減にしろ」と […]