パラ競技

第16回 「他人事」から「国民スポーツ」へ 〜2012年パラリンピアンズ応援イベント〜

 いよいよ待ちに待ったロンドンパラリンピックイヤーとなりました。オリンピック同様、今後は出場権をかけた争いが本格化し、各競技において代表選手が誕生していきます。パラリンピックは英国の医師ルードヴィッヒ・グットマン博士が、脊損患者のリハビリの一環としてロンドンオリンピック(1948年)の開会式の日にスポーツ大会を行なったことが始まりです。つまり、ロンドンはパラリンピック発祥の地。開会式が行なわれる8月29日に向けて緊張が高まっています。

丸山弘道(車いすテニスナショナルコーチ)第4回「指導者に必要な2つの”たんきゅうしん”」

二宮: 現在、日本では車いすテニスの指導者はどのくらいいるのでしょう?丸山: 具体的な数字まではわかりませんが、結構いると思いますよ。ただ、車いすテニスのコーチだけでは生計は立てられないので、いわゆるボランティアという感 […]

丸山弘道(車いすテニスナショナルコーチ)第3回「選手の身体を知ることの大切さ」

二宮: 車いすテニスの選手には、骨肉腫などの病気で足を切断した選手もいれば、交通事故などで頚椎損傷、脊椎損傷を負い、下半身不随になった選手もいます。指導者は単にテニスを教えるだけでなく、こうしたそれぞれが抱えている事情を […]

丸山弘道(車いすテニスナショナルコーチ)第2回「一目ぼれだった国枝慎吾との出会い」

二宮: 今や車いすテニスと言えば、世界のトップまで上りつめた国枝慎吾選手なしでは語ることはできません。2007年には車いすテニス界では史上初のグランドスラム(全豪、ジャパンオープン、全英、全米の4大大会を制覇)を達成。翌 […]

丸山弘道(車いすテニスナショナルコーチ)第1回「”出会い”と”発見”の連続」

 2008年北京パラリンピックではシングルスで悲願の金メダルに輝いた車いすテニスプレーヤー国枝慎吾。彼をジュニア時代から育成し、世界王者へと導いたのが丸山弘道だ。丸山が車いすテニスの指導を始めたのは今から14年前。あるプ […]

第15回 新たな時代の幕開け――多様化する障害者スポーツの形態

 今年6月「障害者スポーツ基本法」が制定され、障害者スポーツの推進について初めて明文化されました。これは日本の障害者スポーツにとって、非常に大きな一歩と言えるでしょう。世界では今夏、義足スプリンター、オスカー・ピストリウスが世界陸上の舞台に登場し、注目を集めました。このように障害者スポーツの置かれている状況は、刻一刻と変化しています。特に今年は、そんな新しい時代へと向かっている障害者スポーツに関わる一人であることに喜びを強く感じることができた1年でした。

乙武洋匡 第4回「障害児にも夢の選択肢を!」

伊藤: ある新聞が小学1年生に将来の夢についてアンケートをとったところ、スポーツ選手は男の子では1位、女の子でも7位にランクインしているんです。しかし、これはいわゆる健常者の子どもたちであって、ここに障害児は含まれていま […]

乙武洋匡 第3回「子どもの発想は無限大!」

二宮: 乙武さんは教員として実際、小学校の現場で子どもたちと触れ合ったわけですが、「乙ちゃんルール」のような柔軟な発想をする子どもはいましたか?乙武: 僕が受け持ったのは小学3、4年生でしたから、まだ自分たちからルールを […]

乙武洋匡 第2回「問われるルールのセッティング能力」

伊藤: 現在、乙武さんは練馬区の保育園の運営に携わっています。子どもたちの教育にスポーツが担う役割は大きいのではないでしょうか?乙武: そうですね。スポーツは個人競技であれ団体競技であれ、共通しているのはルールを守るとい […]

乙武洋匡 第1回「障害は「個性」ではなく「特徴」のひとつ」

 大ベストセラー『五体不満足』の著者、乙武洋匡。彼がこの国の社会に与えた影響は計り知れない。「障害とは何か」「障害者との共生」......。それまでお茶の間ではほとんど語られることがなかったテーマを我々に突きつけた。早稲 […]

第14回 18歳の日本代表選手が示唆したもの

 2010年サッカーW杯では“サムライブルー”が国外開催の大会では初めて決勝トーナメントに進出しました。さらに今年の女子サッカーのW杯では“なでしこ”が並みいる強豪を倒し、初優勝に輝きました。こうした日本代表の実績もあいまって、日本では「サッカーのW杯」はオリンピックに並ぶ人気を誇っていますね。では、記念すべき第1回大会が日本で開催されたサッカーのW杯があることを皆さんはご存知でしょうか。実は今から4年前の07年、電動車椅子サッカーのW杯が日本でその歴史をスタートさせたのです。

第13回 矛盾が生じている全国障害者スポーツ大会

 10月22日から3日間にわたって、山口県で全国障害者スポーツ大会(全スポ)が開催されました。毎年国民体育大会(国体)の1カ月後に同じ会場で開かれているこの大会は、2001年に従来別々に行なわれてきた「全国身体障害者スポーツ大会」と「全国知的障害者スポーツ大会」を統合したものです。今回の話題は その全スポについてです。

第12回 激変の時代へ突入した日本の障がい者スポーツ

 9月24、25日、大分市営陸上競技場でジャパンパラリンピック陸上競技大会が開催されました。全国から177名の選手が集い、各競技で障害者アスリートたちの熱戦が繰り広げられました。そして、その模様は26、27日と2日間にわたってTBS『みのもんたの朝ズバッ!』で全国放送されました。嬉しいのは同番組のスポーツコーナーで取り扱われていること。「以前にもましてスポーツとして扱われるようになってきたなぁ……」。 番組を観ながら、そう思わずにはいられませんでした。そして、それは現地でも感じたことだったのです。

第11回 歴史に名を刻んだピストリウス

 両足義足ランナーのオスカー・ピストリウスが、世界の舞台を駆け抜けました。韓国・大邱で開催中の陸上世界選手権、男子400メートルに出場したピストリウスが見事、予選を突破し、準決勝に進出したのです。この結果には称賛の声とともに、疑問視する声があがっていることは事実です。しかし、世界の舞台を堂々と走り抜けた彼の姿に、私は感動せずにはいられませんでした。「こうやって、新たな歴史の扉を開いていく人がいるんだな」。彼の並々ならぬ努力を思うと、そう思わずにはいられなかったのです。

第10回 義足ランナー・オスカーよ、世界の舞台を駆け抜けろ!

 今月19日、イタリアから嬉しいニュースが飛び込んできました。パラリンピックで4個の金メダルを獲得した両足義足ランナー、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)が世界陸上選手権の出場資格を得たというものです。イタリアで行なわれた陸上大会に出場したオスカーは、男子400メートルで自己記録を0秒54上回る45秒07をマーク。見事、参加標準記録を突破しました。今後、南アフリカ代表に入れば、8月27日から韓国・大邱で開催される世界選手権に出場することができます。実現すれば、世界のスポーツの歴史が変わる、それくらい大きな出来事です。

第9回 「車いすテニスのイイヅカ」を世界に発信!

 現在、熱戦が繰り広げられているテニスのウィンブルドン選手権では15年ぶりの勝利を飾ったクルム伊達公子選手や、予選から勝ち上がり、初出場ながら今大会日本人最高の3回戦進出を果たした土居美咲選手など、日本人選手の活躍が目立ちましたね。連日、寝不足になりながら楽しんでいる人も多いことでしょう。周知の通り、ウィンブルドンはグランドスラムの中でも最も人気がある大会で、世界中のテニスプレーヤーの憧れとなっています。実は日本にも海外のプレーヤーに絶大なる人気を誇るテニスの国際大会があります。NEC車いすテニスツアー「飯塚国際車いすテニス大会」、通称「ジャパンオープン」です。

第8回 競技大会としてのあるべき姿 〜大分陸上2011〜

 いよいよロンドンオリンピック・パラリンピックまで約1年。先日は卓球で代表選手が決定するなど、スポーツ界は徐々に“ロンドンモード”に突入していますね。障害者スポーツ界でもパラリンピックを目指すアスリートたちがロンドンの切符を獲得するため、国内外の大会に出場しています。そこで今回は、14、15日に開催されたIPC(国際パラリンピック委員会)公認の「新日本製薬大分陸上2011」(大分市営陸上競技場)へ行ってきました。そこで私が見たのは、真のスポーツ大会を目指す大会運営者の強い思いでした。

第7回 被災者に届け! 障害者アスリートの“諦めない姿”

 東日本大震災から約1カ月半が経ちました。死者・行方不明者はあわせて2万5000人を超え、その被害の大きさは戦後最大と言われています。少しずつ復興への兆しを見せ始めてはいるものの、被災地が元の姿に戻るにはまだまだ時間がかかることでしょう。今回の震災では「自分には何ができるのか」「今、何をすべきなのか」を考えた方々も少なくなかったと思います。私自身もその一人でした。障害者スポーツに関わる人間として、何をすべきか……。その答えは3月29日に行なわれたサッカーのチャリティーマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜」にありました。「自分たちの最後まで諦めない姿を見てほしい」という選手のコメントを耳にした時に、「これだ!」と思ったのです。多くの困難を乗り越え、逆境を糧にさえして生きてきた障害者アスリートそのものが、最後まで諦めない姿の象徴です。そうであるならば、彼らと触れ合うことで、被災者の方々に何かを伝えられるのではないか。私はそう信じ、多くの方々のご協力のもと、障害者アスリートとともに今月23日、宮城県石巻市に訪問・炊き出しに行ってきました。

第6回 アスリートとしての意識改革

 私が障害者スポーツと出合ってから、選手はもちろん、指導者や競技団体関係者、大会やイベント運営に携わる方々と、実にさまざまな方たちと触れ合ってきました。その中で私はいろいろなことを見聞きし、学び、そして感じてきました。なかでも「障害者スポーツをもっと多くの人に知ってもらいたい、観てもらいたい、楽しんでもらいたい」という思いは、障害者スポーツに関われば関わるほど、大きく膨らんでいます。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。そこで今回は競技としての障害者スポーツの視点で私見を述べます。

第5回 “知る”ことから世界は広がる! 〜国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会〜

<試合を見ていて、私は「障害がある人」と言うことを忘れて、カナダの選手に「走れ! 走れ!」と叫んでいた。本当なら「こげ!」なのに。>  これは「国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会」の会場に訪れた中学1年生の女の子の感想文です。また、試合の合間に行なわれた体験会に参加した中学1年生の男の子はこんなことを書いています。 <車椅子バスケの体験をする前は、操作などが難しそうで、おもしろくなさそうだったけど、体験すると気持ちを熱くするものがありました。> こうした子どもたちの真っ直ぐで素直な感想文を読み、私はこの大会の意義について改めて考えさせられました。

第4回 究極のユニバーサルスポーツ「ボッチャ」の魅力

「この競技が中継できるようになれば、障害者スポーツの中継はグンと広がる」  そう語ったのはスカパーJSAT執行役員専務・放送事業本部長の田中晃氏です。「スカパー!」では2008年から車椅子バスケットボールの中継を行なっています。来年のロンドンパラリンピックでは車椅子バスケットボール以外の中継も検討されており、今後はさらに障害者スポーツの中継が拡大されることでしょう。その指揮をとられているのが田中氏です。同氏が障害者スポーツ中継のカギと見ている「この競技」というのが、今回ご紹介する「ボッチャ」です。

第3回 車いすテニスが示す認知拡大の糸口

 昨年4月、日本の障害者スポーツ界では大きな出来事がありました。2006年から世界ランキングトップを誇る車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手がプロ宣言を行なったのです。それまで国枝選手は母校の麗澤大学の職員として働きながら、その合間を縫って海外ツアーに出場していました。仕事をしながらですから、練習時間などの制約はあったものの、それでも収入の面では安定していたはずです。しかし、自ら安住の地を捨て、テニス一本で食べていくことを決心したのです。「普通の子供がプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、障害のある子供たちにも“自分もプロのスポーツ選手になれるんだ”という夢を与えたい」。プロ宣言した最大の理由を国枝選手はこう述べています。そして今、国枝選手の思いは子どもたちにどんなふうに届いているのでしょうか。その答えを少しだけ垣間見ることができました。

第2回 「一本」を追求した日本古来の柔道

“スポーツの秋”ということで、国内外ではさまざまなスポーツの大会やイベントが行なわれていますね。中国・広州で開催されているアジア競技大会では、日本人選手の活躍が連日のように報道されています。来月には同会場でアジアパラ競技大会が行なわれるわけですが、その代表にも選ばれている選手たちが日本一の座をかけて今月7日に講道館で行なわれたのが、全日本視覚障害者柔道大会です。アトランタ、シドニー、アテネとパラリンピックで3連覇し、北京では銀メダルを獲得した66キロ級の藤本聰選手を始め、大会には全国からトップ選手が集結し、熱戦が繰り広げられました。

第1回 回転をかけて音を消す!? 〜ブラインドテニスの魅力に迫る〜

 今月よりNPO法人STANDの副代表・伊藤数子さんの連載コラム「障害者スポーツの現場から」がスタートします。現在、日本では障害者スポーツというと4年に一度のパラリンピック以外はあまり認知されていないのが実状です。しかし、日本国内はもちろん、世界各国で障害者スポーツの大会やイベントは数多く行なわれています。そこで、さまざまな大会やイベントの現場に足を運ぶ伊藤さんならではの視点で、障害者スポーツを紹介。競技そのものの魅力や選手の声、そして障害者スポーツが抱える課題などについて詳しくお伝えしていきます。

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