金子達仁
イタリアは、青だった。フランスはトリコロールで、アルゼンチンは水色と白――先のラグビーW杯において、ほとんどの国はサッカーの代表チームと同じカラーリングのユニホームを身につけていた。 だが、桜をイメージした […]
正直なところ、カンボジア戦のお寒い試合内容のことなどどうでもよくなってしまうほど、衝撃を受けている。 サッカーだけは大丈夫だと思っていたのに――。 五輪はテロに見舞われたことがある。けれども、言 […]
武藤がハットトリックを演じたかと思えば、宿敵とのダービーで香川が先制ヘッドをたたき込むなど、ブンデスリーガでは今季も日本人選手の好調が続いている。 そんな中、わたしが瞠目させられている選手がいる。ハノーバー […]
マンチェスターUで指揮を執っていたアレックス・ファーガソンが、テレビのインタビューで「監督にとって重要な資質は何か」と聞かれ「人心掌握の能力だ」と答えているのを見たことがある。実に四半世紀以上も世界のトップクラスに君臨 […]
なでしこがW杯で優勝した4年前、ひとしきり続いたお祭り騒ぎの外側では、危機感を募らせている人たちがいた。 これから先、有望な人材は一気にサッカーへ流れてしまうかも――他の競技の関係者たちだった。 […]
ちょうど20年前の今頃だった。覚え始めたばかりのスペイン語で、おっかなびっくりインタビューをしたことがある。相手は、次代のスターと目されていた18歳だった。 「僕らの世代は、いままでの世代とは違う」  […]
今回ばかりは日本サッカー協会に同情する。 W杯ブラジル大会後、選手の中から「過酷な状況での真剣勝負が足りない」という声があがった。そうした意見に耳を傾けたがゆえに、昨年シンガポールでのブラジル戦や今回のイラン戦が実現し […]
「何をいまさら」と言われてしまいそうな気もするが、この夏、高校野球の都大会を取材して気づいたことがある。「高校球児は、全員が野球場で試合できるんだ……」高校時代、わたしはサッカー部だった。だが、サッカー場で試合をしたこと […]
何でも食べ、何でも呑むトルシエが「それは食べない」と言ったものがある。
わたしが中学生だったころ、W杯は16カ国で行われていた。欧州のクラブナンバーワンを決める大会は、最初から最後までトーナメント形式で行われていた。欧州の国々はそれぞれが独自の通貨を持ち、国境では厳密なパスポート・コントロールが行われていた。
若い頃の苦労は買ってでもしろ、と言う。可愛い子には旅をさせろ、とも言う。まったくもってごもっとも。これ以上の金言はないな、と思う。人生についてはともかく、サッカーについて、であるならば。
マリーシア――恥ずかしながら、わたしなんぞは完全にカブれたクチである。 初めて耳にしたのは、90年代に入った直後だっただろうか。日本にやってきたブラジル人の選手たちが頻繁に口にするようになった。それこそが、日本に足りないものだ、と。
いささか古い話になってしまい恐縮だが、東アジア杯で驚かされたことがあった。スタジアム内に設置されている立て看板について、である。
そのスタイルがいよいよゲルト・ミュラー的になってきた、と書いたのはちょうど1年ほど前のことである。ほぼ時を同じくして、ドイツのメディアにも同様の記事が目立つようになった。高くもなければ強くもなく、速くもなければ巧みなドリブルがあるわけでもないのに、なぜかゴールは量産する。確かに、マインツでの岡崎は“爆撃機”と呼ばれた男のスタイルを彷彿させるものだった。
心底呆れ、かつ、ガッカリした。東アジア杯のことではない。あれはせいぜい「軽い失望」ぐらいなもの。国内でプレーする選手たちの意地や下克上へかける思いといったものがあまり感じられなかったのは残念だが、この時期、この大会のために必死になれと言われても、選手としては難しかったのかもしれない。大丈夫。きみたちができなかったことは、海外組がやってくれるとも。
目の覚めるような一撃、という表現があるが、山口の同点弾ぐらい、この表現にふさわしい一撃はなかった。言うまでもなく素晴らしいシュートではあったが、それ以前に、試合が信じられないほどに退屈だったからである。あのシュートが決まるまで、視聴者が闘っていたのは韓国ではなく睡魔だったのではないか。少なくとも、わたしに関してはそうだった。
7月下旬の10日間、高校野球の地方予選を取材した。フリーのライターになって20年、甲子園で取材をしたことはあっても、地方大会を1回戦から取材するとなるとさすがに初めてのこと。頭では理解しているつもりだった、この国における高校野球というものの存在の重さを、改めて実感させられた10日間でもあった。
新しいものは古くなるが、いいものは古くならない。スタジアムとはそういうものだとわたしは信じている。こう言い換えてもいい。ドーム球場は古くなるが、甲子園は古くならない――。
素朴な疑問だった。 「女子はあんなに頑張ってるのに、なぜ男子は勝てないんだ?」
見誤っていた。 3年前のロンドン五輪決勝で敗れたことで、すでにリベンジを食らったような気分になっていた。王者は米国。自分たちは挑戦者――わたしはそう思っていたし、おそらく、なでしこの選手たちもそう考えていたのではないか。
先日、ドイツのキッカー誌に興味深い……というか、かなり衝撃的な記事が掲載されていた。 テレビ放送権料にまつわる記事である。
野茂英雄がメジャーへの挑戦を明らかにした時、誰よりもその未来に対して悲観的だったのは日本人だった気がする。日本人が通用するはずがない――という思い込みは、手の施しようがないほど根深く巣くっていた。ほんの20年前の話である。
シンガポールで最大の発行部数を誇る「ストレイツ・タイムス」の電子版によると、日本のシュートを止めて止めて止めまくったGKイズワン・マフブッドは、試合後に一言、「ミラクル」とつぶやいたという。サッカーが2つのチームによって勝敗を争う競技である以上、一方にとっての奇跡は、当然、他方にとっての悪夢である。
怪鳥のごとく舞い上がったオマン・ビイクが、非常識なほど高打点からのヘディング・シュートを見舞った。コースは甘く、強さもなかったが、しかし、通常ではありえない角度からのシュートは、GKネリー・プンピードのミスを誘う。カメルーン1。アルゼンチン0。大げさではなく、全世界が揺れた世紀の番狂わせ。呆然とするディエゴ・マラドーナの表情はいまも鮮明に記憶しているが、それが起きた日にちまでは覚えていなかった。
武藤のマインツ入りが決まった。最近では、こういうニュースに接するたび、およそGDP3位の国とは思えないJリーグの経済力に不安が募るのだが、ともあれ、日本の選手が純粋に戦力として見なされるようになってきていること自体は、喜ぶべきことなのだろう。