心底呆れ、かつ、ガッカリした。東アジア杯のことではない。あれはせいぜい「軽い失望」ぐらいなもの。国内でプレーする選手たちの意地や下克上へかける思いといったものがあまり感じられなかったのは残念だが、この時期、この大会のために必死になれと言われても、選手としては難しかったのかもしれない。大丈夫。きみたちができなかったことは、海外組がやってくれるとも。
目の覚めるような一撃、という表現があるが、山口の同点弾ぐらい、この表現にふさわしい一撃はなかった。言うまでもなく素晴らしいシュートではあったが、それ以前に、試合が信じられないほどに退屈だったからである。あのシュートが決ま […]
目の覚めるような一撃、という表現があるが、山口の同点弾ぐらい、この表現にふさわしい一撃はなかった。言うまでもなく素晴らしいシュートではあったが、それ以前に、試合が信じられないほどに退屈だったからである。あのシュートが決まるまで、視聴者が闘っていたのは韓国ではなく睡魔だったのではないか。少なくとも、わたしに関してはそうだった。
7月下旬の10日間、高校野球の地方予選を取材した。フリーのライターになって20年、甲子園で取材をしたことはあっても、地方大会を1回戦から取材するとなるとさすがに初めてのこと。頭では理解しているつもりだった、この国における高校野球というものの存在の重さを、改めて実感させられた10日間でもあった。
新しいものは古くなるが、いいものは古くならない。スタジアムとはそういうものだとわたしは信じている。こう言い換えてもいい。ドーム球場は古くなるが、甲子園は古くならない――。
素朴な疑問だった。 「女子はあんなに頑張ってるのに、なぜ男子は勝てないんだ?」
見誤っていた。 3年前のロンドン五輪決勝で敗れたことで、すでにリベンジを食らったような気分になっていた。王者は米国。自分たちは挑戦者――わたしはそう思っていたし、おそらく、なでしこの選手たちもそう考えていたのではないか。
先日、ドイツのキッカー誌に興味深い……というか、かなり衝撃的な記事が掲載されていた。 テレビ放送権料にまつわる記事である。
野茂英雄がメジャーへの挑戦を明らかにした時、誰よりもその未来に対して悲観的だったのは日本人だった気がする。日本人が通用するはずがない――という思い込みは、手の施しようがないほど根深く巣くっていた。ほんの20年前の話である。
シンガポールで最大の発行部数を誇る「ストレイツ・タイムス」の電子版によると、日本のシュートを止めて止めて止めまくったGKイズワン・マフブッドは、試合後に一言、「ミラクル」とつぶやいたという。サッカーが2つのチームによって勝敗を争う競技である以上、一方にとっての奇跡は、当然、他方にとっての悪夢である。
怪鳥のごとく舞い上がったオマン・ビイクが、非常識なほど高打点からのヘディング・シュートを見舞った。コースは甘く、強さもなかったが、しかし、通常ではありえない角度からのシュートは、GKネリー・プンピードのミスを誘う。カメルーン1。アルゼンチン0。大げさではなく、全世界が揺れた世紀の番狂わせ。呆然とするディエゴ・マラドーナの表情はいまも鮮明に記憶しているが、それが起きた日にちまでは覚えていなかった。
武藤のマインツ入りが決まった。最近では、こういうニュースに接するたび、およそGDP3位の国とは思えないJリーグの経済力に不安が募るのだが、ともあれ、日本の選手が純粋に戦力として見なされるようになってきていること自体は、喜ぶべきことなのだろう。
なぜロンドンの冴えない二流クラブだったチェルシーは、その存在を世界中のサッカーファンに知られるようになったのか。
ゲームは楽しい。だから、お金を出してでもやりたいと思う人がいる。ゲームなんかくだらない。お金を出すなんて考えられない、という人もいる。 スポーツは、本来、ゲームである。
チェルシーのモウリーニョ監督は言った。「メッシさえいれば、誰が監督をしていてもCLの決勝にいくことはできる」 ベッケンバウアーは「メッシがいなければバルサ普通のチームだ」とまで言い切った。
負ける者がいるから、勝つ者がいる。ましてサッカーは、内容にそぐわない理不尽な結果が多々起こりうる競技でもある。勝ったからすべてを許し、負けたからすべてを否定するという考え方を、わたしはどうしても好きにはなれない。
スペイン語の発音通りに表記するならばメヒコ・オチェンタイセイス。日本語に直せばメキシコ86。ちょっと信じられない気もするが、わたしにとって初めての外国でありW杯だった86年のメキシコ大会から、かれこれ30年近くが経とうとしている。 長旅の疲れでヨレヨレになって到着したメキシコシティーのホテル。何げなくつけたテレビにまず映ったのは、清涼飲料水を片手に微笑むサッカー選手の姿だった。
ずいぶんと昔、ドーハで韓国人記者に言われたことを思い出した。 「日本の選手はまるでカニだな。横に進むばかりだ」
漁業の世界では、前の年まで豊漁の続いた魚種が、突如として不漁になることがあるという。 サッカーの世界でも似たようなことがある。たとえばブラジル。82年大会のチームは「史上最も魅力的」とも言われるが、あのチームには致命的な欠陥があった。
わたしには以前から苦々しく思っていることがあて、それは、W杯が近づいてくると、Jリーグを取り上げる大メディアの報道がことごとく「この選手は代表に選ばれるか否か」という視点で塗りつぶされてしまうことだった。
まだ試運転期間だということはわかっている。この段階でのサッカーが、必ずしもその監督のすべてを表すわけではないこともわかっている。 それでも、何か釈然としない。
先週末のJリーグでは、J2から昇格してきた松本と山形が初勝利を挙げ、これで昇格組は3節までにすべて白星を手にしたことになった。 昨年、3冠を達成したのはJ2から昇格してきたばかりのG大阪だったが、まっさきに降格が決まったのも、昇格してきた徳島だった。1部と2部との間に存在する格差が、他の国よりも複雑かつ微妙になっているのがJリーグの現状だ。
やっと、自分の中でしっくりするたとえ話が見つかった。 W杯は、ゴルフにたとえればいいのだ。
監督が代われば選ばれる選手も代わる。それが代表チームの宿命である。 わずか半年前、果たしてどれだけの人が武藤嘉紀の名前と存在を知っていただろうか。
日本代表の次期監督がハリルホジッチでほぼ決定したらしい。面白いところに目をつけたな、というのが個人的な感想。W杯ブラジル大会で見せたアルジェリアの戦いぶり、特にドイツを苦しめた一戦は強く印象に残っている。
