金子達仁

スポーツライター

断言しよう 今季、香川は爆発する

 元阪神タイガースの八木裕さん、亀山つとむさんが絶句したのを覚えている。 「こら、すごいわ」  お二人を驚嘆させたのは、ドルトムントの本拠地、ベストファーレンのゴール裏だった。そこだけで2万7000人を収容すると言われている巨大なスタンドは、確かに、甲子園のアルプスでさえかすんでしまうほどの迫力がある。

変化を“拒む”欧州で変化し続けるサッカー

 ミラノ在住の知人に言われたことがある。 「この国では、家庭の食卓に出される食事が、数百年前とほとんど変わってないんですよ」  確かに、イタリア人が最も愛する食事は“マンマのパスタ”だというのはよく聞く話である。魚から肉へ、米からパンへと時代によって食生活を大きく変えてきた日本人とは、なるほど、ずいぶんと違う。

米国に学べ スタジアムの快適性と先進性

 世界1位の経済大国における5番目のスポーツと、3位の国における2番目のスポーツ。観客動員で世界9位の国と12位の国。大差はないように見える。あるはずがないようにも思える。けれども、両者の間には途方もないほどの差が生まれ、いまなおその格差は開きつつある。米国と日本のサッカー環境について、である。

Jから失われた「サッカーは興行」という哲学

 メッシが出現する以前の「世界最高のスター」と言えば、多くの人が彼の名前をあげたはずである。  ロナウジーニョ。  母国ブラジルに戻ってプレーしていた彼がアトレチコ・ミネイロを退団するというニュースを聞いた。年齢からして引退なのかと思ったが、「彼は42歳までプレーする」という代理人のコメントも紹介されていた。

ブラジルの苦い惨劇が良薬になるとは限らない

 良薬は、苦い。それはわかる。ならば、苦いものは、良薬なのだろうか。いまだかつて味わったことがないほど苦い薬は、空前絶後の効果が期待できる薬なのだろうか――。  初めてセルジオ越後さんにお目にかかった20数年前、どうしても聞きたいことがあった。74年7月3日、クライフが宙を飛んだあの試合を、越後さんはどう見たのか。

協会の見切り発進は現場に深刻な衝突生む

 今年の春、フィリップ・トルシエはマレーシア代表監督にほぼ内定していた。  金銭的な条件に問題はまったくなかった。何しろ、昨年FC琉球から月15万円程度しかもらえていなかったマレーシア人選手を、年俸3000万円で引き抜いていく経済力がかの国にはある。スタッフの顔ぶれについても、ほぼすべて要求は通っていたという。

爆発的な歓喜も、絶望的な痛みも日本を強くする

 実を言えば、いままでで一番ドキドキしている。  初めて日本がW杯に出場した98年の時は、あの舞台にたどり着いただけで感無量になってしまっている自分がいた。なので、もちろん頑張ってほしかったし、勝ってもほしかったけれど、勝てるはずがないと思っていた部分があった。

「世界一」という意識の共有こそ本田最大の功績

 すごく日本人になってるな、と思った。おかしな表現で恐縮だが、コスタリカ戦での本田を見た率直な印象である。  本田はもちろん日本人だが、誰よりも自分自身の中に潜む日本人の欠点と戦ってきた男でもある。国際会議における日本人はスマイル、サイレンス、スリープの3Sだ、などと揶揄されることがあるが、本田は違う。会議はともかく、サッカーの世界ではそれでは勝てないことを、彼はよく知っている。だから、彼は中村俊輔からFKを奪い取ろうとしたし、W杯の目標は優勝であるとは公言もしてきた。

震災をきっかけに灯った「日本人」であることの誇り

 ポルトガル語でEstamos japones。英訳すればWe are Japanese。この言葉の持つ意味が、ずいぶんと変わった4年間だったように思う。  4年前まで、サッカーの世界において「わたしたちは日本人である」というのは言い訳の材料でしかなかった。日本人だから、できない。日本人だから、仕方がない。日本人だから、運動能力で勝てない。チーム作りの根っこにあったのは、「自分たちにはできない」という劣等感だった。

W杯決勝で見てみたいドイツ対日本

 63年ぶりの大決戦となったリーガ・エスパニョーラは、開幕前はノーマークに近かったAマドリードの優勝で幕を閉じた。ハルがつかみかけた伝統のFAカップは土壇場でアーセナルの手許へと渡り、ハンブルクは値千金のアウェーゴールによって、2部に落ちたことがないというチームの歴史を辛くも守った。

リーガの最終節決戦は「世界的行事」

 先日、ヤクルトの小川監督は巨人戦を前に「ザッケローニ監督のように攻撃的に行きたい」とコメントしたという。プロ野球の監督が、サッカーの監督を例としてあげる。サッカー好きであると同時に、野球好きでもある人間としては、ちょっとうれしくなってしまった。と同時に、ブレない阪神愛を貫く某スポーツ紙にまで1面を明け渡させてしまったW杯最終メンバー発表の反響の大きさに、いささか戸惑いもした。Jの勝敗が新聞の1面を飾ることがめっきりと少なくなった昨今だけに。

国内組に広がる代表意識は大きな進歩

 W杯開幕まであと1カ月あまりとなった。来週の頭には、ブラジルへ行く日本代表のメンバーが決まる。いよいよ、W杯モード突入である。  それにしても、4年前を思うと隔世の感がある。あの時、Jリーグ関係者は本気でW杯後のことを心配していた。冴えない試合を繰り返す代表チームが南アフリカで惨敗を喫し、日本のサッカー人気そのものが危機に瀕するのではないか。そう考えている人は少なくなかった。

黙祷か黙殺か……願うJの世界への意識

 え、また黙祷?  欧州サッカーの中継に携わるようになった初期のころ、驚かされたことの一つに黙祷の多さ、があった。  たとえばバルセロナの場合、クラブのOBに不幸があった場合はもちろん、チームスタッフに何かがあった時もすぐに黙祷を捧げる。不謹慎ながら「このチームは2週間に一度黙祷しているのではないかな」などと思ったこともあるぐらい、不幸に対するセンサーは敏感だった。

“国内組枠争い”激化に漂うW杯躍進気配

 98年、カズと北沢が外れた時は、大げさではなく、日本中が騒然となったものだった。02年、中村俊輔が落選した時も、結構な騒ぎになった。W杯本大会に出場するメンバーの発表は、もはやそれ自体が一大行事であり、そこから生まれる悲喜こもごもの人間ドラマは、多くのメディアによって取り上げられてきた。  さて、今回はいったいどんなことになるのか。

リトルなでしこが表現した日本

 Jリーグが発足した当時、その成功を確信していたのは、日本人よりもむしろ外国人だったような印象がある。  彼らが成功を信じる理由は、いたってシンプルなものだった。曰く、日本は経済で成功した。だからサッカーでも成功する――というものだ。我々は日本人である、ゆえにできない……という劣等感を発想の原点としていた身には、君たちは日本人である、ゆえにできる……という論理が、にわかに信じられなかった記憶がある。

サッカー界の常識覆すバイエルンの変貌

 香川真司にとって、ドルトムント最後の試合となったのが、2年前の5月12日に行われたバイエルンとのドイツ杯決勝だった。  あの時、バイエルンは特別なチームではなかった。素晴らしい選手は揃(そろ)っていたものの、手の届かない存在、ではまるでなかった。それどころか、開始早々香川のゴールで失点を喫したバイエルンは、最終的に5発を食らう惨敗を喫しているのである。

取材への謝礼要求はJの“悪しき慣習”

『be IN スポーツ』というテレビ局の取材を受けた。カタールに本拠を構える、最近まで『アルジャジーラ・スポーツ』と呼ばれていたスポーツ専門チャンネルである。  取材の趣旨は、W杯へ向けた日本の現状と課題について聞かせてくれ、といったところだったのだが、インタビューの合間、流暢な日本語を話すシリア人のアリーさんがポツリと言った。 「日本での取材、すごく大変です」

差別の罪深さ知らしめた村井チェアマン

 実を言えばここ数年、わたしの中でJリーグのチェアマンはプロ野球のコミッショナーとかぶり始めていた。つまりはお飾りにも近い名誉職。いなくとも日常は滞りなく進む――。  それがけしからん、というわけではない。わたし自身、マンチェスターUの監督の名前や国籍は知っていても、イングランド協会会長の名前やプレミアリーグのボスは誰かと聞かれれば沈黙するしかない。川淵氏の時代に比べ、クラブや選手を束ねる組織の長が以前ほどに注目されなくなったのは、この国のサッカーが成熟してきた証ととることもできたからだ。

J3、練習気分のU−22選抜に大失望

 賛否両論はあったようだが、わたしは、JリーグU−22選抜のJ3参加に大賛成だった。前例がない? Jの理念に反する? まずはやってみればいい。しょせんは下部リーグ。挑戦して、失敗すれば考えればいい。そう思っていた。  ただ、沖縄で行われた彼らの初戦には、大いに失望させられた。

極上の前半を演出した蛍と青山

 ジキルとハイド、どころではない。スーパー・ジキルとワースト・ハイド。うっとりするほど素晴らしい日本と、信じられないほどに無残な日本。とてつもなく大きな揺れ幅を見せつけられた試合だった。  前半、なんといっても素晴らしかったのはボランチに入った山口と青山のコンビだった。どちらの選手も相手ボールに対するアプローチが抜群に速くて強く、最終ラインの選手からすると自分たちの前にリベロが2人構えているような感じだったのではないか。

フォルランで知るJリーグの現在地

 Jリーグにやってきた久々の超大物外国人選手、フォルランの公式戦デビューを見ていささか感慨深い思いにとらわれた。  およそ30分間の出場で、見せ場はほぼゼロ。チャンスを作る云々以前に、ボールに触る機会がほとんどなかった。もし彼のプレーを見るためにスタンドに足を運んだ、あるいはチャンネルを合わせた方がいたとしたら、期待を裏切られたというのが率直なところだろう。  それが、嬉しかった。

今年のJ1開幕戦は大阪が熱い

 あらゆる静岡勢が圧倒的な強さを誇った時代があった。日本代表の大半を占めたのも、同県出身の選手だった。「サッカーどころ」の名をほしいままにしたのも、当然といえば当然である。  ただ、いまだ高い競争力を誇る静岡のサッカーだが、他地域の環境が整備されてきたこともあり、かつてのように突出した存在ではなくなった。ザック監督率いる現在の日本代表でも、静岡県出身者はもはや最大勢力ではない。本田も、香川も、柿谷も……大阪を中心とした関西圏の出身なのである。

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