第8回 女王を倒したショット(後編)

 この日、クルム伊達公子はひとつの作戦を立ててゲームに臨んだ。シュテフィ・グラフが得意とするフォアハンドを封じるというものである。そのため伊達はいったんグラフのオープン・スペースにストロークを返し、バックハンドでしか対応できないスペースを作っておいて、そこに精度の高いバックハンドでのクロスやフォアハンドでのダウン・ザ・ラインを狙い打った。

第7回 女王を倒したショット(前編)

 日本女子テニス界にあって、クルム伊達公子を超える選手は、未だにひとりも現れていない。数多くの名勝負の中でも、とりわけ印象に深いのが1996年4月28日、日本対ドイツのフェドカップ・ワールドグループIの1回戦でシュテフィ・グラフと繰り広げた死闘である。

第98回 “ブラウンGP”強さの秘密

「まるでおとぎ話のようだ」  レースを制した英国人ドライバー、ジェンソン・バトンは顔を紅潮させ喜びを表現した。 「これ以上はない」  チームを率いるロス・ブラウン代表も、感慨深げに語った。  2009年フォーミュラワン(F1)開幕戦オーストラリアGPは、新規参入チームのブラウンGPが1、2位を独占するという衝撃的な結末だった。

第6回 サングラスの暗号(後編)

 高橋尚子は18キロ付近でいきなりペースを上げ、15人近い集団を壊しにかかった。ついてきたのは市橋有里、リディア・シモン(ルーマニア)、キム・チャンオク(北朝鮮)、エスタ・ワンジロ(ケニア)の4人。しばらくしてキム、ワンジロの2人が遅れ、トップ集団は高橋、シモン、市橋の3人となった。

第97回 “内需拡大”に一役買った野村監督

 東北楽天・野村克也監督といえば“ボヤキ”が代名詞だ。勝っても負けてもなにかと話題を提供してくれる。  WBC開催期間中には日本代表の正捕手・城島健司(マリナー)のリードについて「城島の配球が悪い。相手がヤマを張って待っているところに、シュートで攻めてまたシュートじゃダメ」などと酷評した。

第96回 アジアで稼げ! Jリーグ(後編)

 盧廷潤といえば忘れられないエピソードがある。今から16年前、アメリカW杯最終予選での出来事。盧廷潤は苦戦を強いられていた日本の選手たちにキムチを贈ったのだ。  盧廷潤からのキムチはサンフレッチェ広島の同僚・森保一を介して全選手に配られた。異国での食生活に不満を感じていた日本の選手たちが突然の差し入れに小躍りしたことは言うまでもない。

第95回 アジアで稼げ! Jリーグ(前編)

 17年目のJリーグが開幕した。今シーズンからJ2に栃木SC、カターレ富山、ファジアーノ岡山の3クラブが加入し、J1、J2ともに18クラブ制となった。  プロ野球(NPB)の本拠地が11都道府県しかないのに対し、Jクラブは27都道府県にまたがる。Jリーグ創設の際に掲げた「地域密着」の理念は着実に根付きつつある。

第94回 宮崎大輔の比類なき向上心と貪欲さ

マイナー競技であるハンドボールに降って湧いたように、注目が集まったのは一昨年の暮れだ。2007年9月に行なわれた北京五輪アジア地区予選の判定が不可解だったとしてIHF(国際ハンドボール連盟)がAHF(アジアハンドボール連盟)に試合のやり直しを命じたのである。

第47回 神の一振り 〜1988,Octorber〜

「このスタジアムがこんなに興奮したのは久しぶりだ。88年のワールドシリーズ初戦でカーク・ギブソンが劇的なホームランを打って以来だろうか」  そう語ったのはロサンゼルス・タイムズのケビン・バクスター記者。WBC決勝の日本対韓国戦を見ての感想だ。最高の褒め言葉といっていいだろう。

第93回 スポーツ中継は冬の時代へ 経費削減で「貧すれば鈍する」TV界

 日本テレビが今年3月末でプロレス中継を打ち切ることになった。同局がプロレス中継をスタートさせたのは開局翌年の1954年2月。「日本プロレス中継」「全日本プロレス中継」そして「プロレスリング・ノア」とタイトル名を変え、深夜枠に移行しながらも生き延びてきた。

第92回 選手・監督として成功しながら、影が薄い若松勉にもう一度ユニホームを着せたい Vol.2

 若松の現役時代の実績については改めて説明する必要もあるまい。公称こそ身長168センチだが、実際には166センチしかなかったと本人が明かしている。  こんな小さな体で通算打率3割1分9厘をマーク。これは日本人選手としては歴代1位(4000打数以上)の数字だ。打率3割以上もプロ19年で12回マークしている。72、77年には首位打者にも輝いた。

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