第137回 良かれと思うことは貪欲にトライ(後編)

 サーブにも驚くような工夫がなされている。  現在、FIVB(バレーボール国際連盟)主催の全大会ではM社製のボールが使用されている。  このボールは青と黄の2色がスイカの縞のように入り混じっている。しかしヘソの部分は一方が青一色で、一方が黄一色だ。

第136回 良かれと思うことは貪欲にトライ(前編)

 2010年のスポーツを振り返るうえで、忘れてはならないのが女子バレーボールの復活である。秋に行なわれた世界選手権で32年ぶりとなるメダル(銅)を獲得したのだ。  女子バレーボールは1964年の東京五輪で、球技としては初めて金メダルを獲得した。監督の大松博文率いるチームは「東洋の魔女」の異名をとった。

第133回 部下時代の敗因を分析し勝ち取った日本一(後編)

 西村の成功はバレンタインの下で働きながら、見習うべき点、改めるべき点をきちんと仕分けしていたことに依る。 「コーチ時代に“べからず集”をつくったことがある」  かつて、こう語ったのは1998年、横浜で38年ぶりの日本一を達成した権藤博だ。

第132回 部下時代の敗因を分析し勝ち取った日本一(前編)

 敵地・福岡でソフトバンクを破り、日本シリーズ出場を決めると、千葉ロッテの西村徳文監督以下全員がレフトスタンド前に出向き、肩を組んでファンとともに応援歌を合唱した。  西村の挨拶もファンを意識したものだった。 「皆さんの熱い声援のおかげでここまで来られました。日本シリーズもあります。もう少しだけ力を貸してください」

第131回 自分の哲学を貫き掴んだエースの座(後編)

 マエケンが自らのやり方を曲げなかったのは次のような信念に依る。 「僕は投げ込まなくても、もうフォームは固まっているという考え方なんです。一応、プロ野球選手なので(笑)。12月と1月、たった2カ月ピッチングをしなかったくらいでフォームを忘れるようなら(そういう選手は)プロじゃないと思います」

第123回 定説を覆した苦労人古田の出世戦略(後編)

 プロに蹴られた古田は社会人野球の強豪トヨタ自動車に進み、ソウル五輪にも出場した。  当時の日本代表には野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男、佐々岡真司、与田剛ら錚々たるメンバーが名を連ねていた。彼らのワールドクラスのストレートや変化球を受けることで古田はキャッチャーとしての腕を上げていった。

第118回 潜在能力を開花させてこそ指導者(前編)

 東京ヤクルトのサウスポー石川雅規は昨オフ、球団と総額8億円以上の4年契約を結んだ。  昨季、石川は自己最多の13勝(7敗)をあげた。30歳という年齢を考えれば、まだ4、5年は十分、第一線で活躍できる。“シブチン”といわれる球団がポンと8億円を積み上げたのも当然といえば当然か。

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