ラモスがピッチに崩れ落ち、ゴン(中山雅史)がベンチで顔を覆う。1993年10月28日、深夜(日本時間)。列島を悲鳴と嗚咽が包んだ。
北京五輪が8月24日閉幕した。今回の大会には204の国と地域から役員も含めて約1万6000人が参加、17日間にわたって熱戦が繰り広げられた。中国政府が国家の威信をかけて臨んだこの大会から何が見えたのか。上海出身の大学教授兼ジャーナリスト葉千栄氏、金融コンサルタントの木村剛氏、スポーツジャーナリストの二宮清純が討論した。(今回はVol.1)
日本シリーズ連覇を狙う巨人とチャンピオンフラッグ奪還に燃える西武。1990年の日本シリーズは、相撲でいえば横綱同士の対決となった。
アステカ・スタジアムには10万人を超える大観衆が集結していた。もちろん全員が地元メキシコのサポーターだ。異様な空気がスタジアムを包んでいたことは想像に難くない。
監督が代われば、こうも変わるものなのか。一時は最下位に沈み、最大で11あった借金が今じゃ貯金4、チームも2位に浮上した(9月17日現在)。9年ぶりのAクラス入り、クライマックスシリーズ出場はほぼ確実である。
一世を風靡したプロレスラー、ビル・ロビンソンの代名詞といえば「人間風車」だ。得意技のダブル・アーム・スープレックスで、弧を描くように相手を宙に舞わせ続けた。華麗なる大技を駆使する一方で、シュートレスリングにも滅法強く、誰からも一目置かれた。
プロ入団以来、優等生だった清原和博が牙をむき出しにしたことがある。 1989年9月24日、西武球場。ロッテ・平沼定晴の140キロ台のストレートが左ヒジを直撃した瞬間、清原の血相が一変、握り締めたバットを“加害者”目がけて投げつけたのだ。
「きょう限りで引退させて頂きます」 寝耳に水だった。 その一言で報道陣は騒然となった。 2004年6月8日。 びわこ競輪「第55回高松宮記念杯」(G?)を制した直後、松本整の口から衝撃的な引退発言が飛びだした。
スタートから5キロ地点の天壇公園の石畳は硬く、しかも道幅が狭いときている。8月17日に行なわれた女子マラソンでは、端の方を走る選手の頭に柏の枝が当たっていた。五輪でこんな光景は見たことがない。
横浜ベイスターズの工藤公康は現役最年長のプロ野球選手である。これまでの戦績は577試合に登板し、222勝135敗3セーブ、通算防御率3.40。奪三振2824。日本シリーズでは25試合に登板し、8勝5敗3セーブ、防御率2.29。奪三振102は史上最多である。
ラスベガスの太陽は容赦というものを知らない。強い西日のなかに数十分も身を置いていると、体のなかの血液が沸騰していっているような錯覚にとらわれる。
騙し打ちに合ったようなもの、と言えば言い過ぎか。 五輪3連覇を目指した柔道女子48キロ級の谷亮子は準決勝で敗れ、銅メダルに終わった。
神様、仏様、大黒様――。 今から3年前のことなのに、もう随分昔のことのように感じられる。それだけサッカー日本代表を取り巻く環境は目まぐるしいスピードで動いているということだろう。
野坂昭如さんは大好きな作家だが、小説を読むようになったきっかけは新聞に出たコメントだった。多くの識者が凡戦と評する中、野坂さんだけが「あんな緊張感のある試合は初めて観た」とのコメントを寄せたのだ。「この人はスゴイ!」。高校1年生だった私は直感的にそう思った。
「クンロク(9勝6敗)大関」と揶揄されたが、貴ノ花ほど土俵をわかせる相撲をとった力士は他に知らない。まさに「横綱を超えた大関」だった。
カルロス・サラテといえば「KOアーティスト」の異名を欲しいままにしたバンタム級史上に残るハードヒッターである。そのサラテからWBC世界バンタム級王座を奪ったのがルペ・ピントールである。
「こんな島国で頂点に立てない人間が、世界の頂点に立てるわけがない」。異端のマラソンランナー中山竹通がそう言い切ったのは1987年12月6日のことだ。
オールスターゲームといえば、真っ先に思い出すのが江夏豊(当時阪神)の9連続三振だ。田舎でテレビ観戦していたが、記録達成後、江夏が左手を高々と突き上げたシーンは今でも鮮明に覚えている。
小椋久美子、潮田玲子の「オグシオ」ペアが大人気だ。所属先の三洋電機は自社のシンボルとしてCMにも二人を起用している。 アイドル系のスポーツ選手といえばビーチバレーの浅尾美和が有名だが、彼女の場合、国内ツアーでさえ一度も優勝したことがなく、北京五輪の出場権も逃すなど、実力的にはイマイチ。その意味でバドミントンの「オグシオ」は人気、実力を兼ね備えた新時代のヒロインといえるかもしれない。
ミュンヘン五輪と聞けば、真っ先に頭に浮かぶのがパレスチナ武装勢力「黒い九月」によるイスラエル選手団襲撃事件である。犯行グループは選手村に侵入して、イスラエル人選手を人質にとった。
「何が起こるかわからない」のがサッカーではあるが、まさか“世紀のジャイアントキリング”を目のあたりにすることになるとは――。
「日本人は技術を改良するのは得意なんだけど、発想そのものを変えるのは苦手。残念ながら今回の水着騒動はその典型的な例だったような気がします」 水着問題を取材していて、あるメーカーの技術者からそんな話を耳にした。
夏といえば甲子園。私にとって甲子園での最大のスターといえば太田幸司(三沢)。では最大の怪物は、といえば江川卓(作新学院)である。
この時、私は2歳だから、もちろんこの試合は覚えていない。しかし「吸血鬼」の恐ろしさは身に染みて知っている。テレビで試合を観た日はこわくてひとりでトイレに行けなかった。
この国の野球人は24年前の快挙をもっと誇ってもいいのではないか。 1984年8月7日、ロサンゼルスのドジャースタジアム。ロス五輪野球決勝。公開競技とはいえ、日本は米国を6対3で破り、金メダルを獲得した。