「いやぁ、良かったですねぇ、今日の試合。久しぶりに興奮しました。まるで、『PRIDE』を観ているような気分でしたよ」 さいたまスーパーアリーナを出て駅に向かって歩いていた時、格闘技観戦をライフワークにしている知人が駆け寄ってきて、顔を輝かせながら、私にそう言った。5月11日、『DREAM3』が終わった直後のことだ。 私も彼と同じ気持ちだった。 アリーナが満席になったわけでは無かったが、場内には熱気が漂った。過去2回の大会では感じることのできなかった「熱」が『DREAM』に確実に生じていた。そのことが、格闘技好きとして嬉しかった。
「2回戦に進出した皆さん、おめでとうございます。僕は関係ないんで」 極真カラテの世界王者アンドリュース・ナカハラを破って1回戦を突破した直後のリング上で桜庭和志は、そう喋っていた。4月29日、さいたまスーパーアリーナで開かれた『DREAM.2』でのことだ。 インタビュールームでも彼は、こんな風に続けている。 「僕は初めからトーナメントに関係ないです。もうトーナメントは無理です。ワンマッチならやりますけど」 もともと、1日に複数試合を行うこともあるトーナメントを桜庭は好んでいない。加えて、『DREAMミドル級グランプリ』のチャンピオンになりたいという気持ちが強くも無いようである。
3月に開かれた2つの格闘技イベント――3・5代々木『戦極』と3・15さいたま『DREAM1』を観て久しぶりに熱い気持ちになれた。今年は毎月、格闘技のビッグイベントが開催されることになりそうで嬉しい。さて、『戦極』と『DREAM』のどちらが、より『PRIDE』の熱を維持していたか? 私は『戦極』だったと思う。両団体ともに、新機軸を打ち出したいと考えているようで、それは良いことだが長年、観る者を熱くさせてきた『PRIDE』の良き部分は、しっかりと引き継いでもらいたいとも思う。
代々木第一体育館での取材を終えての帰り路、原宿駅へ向かうつもりが気がつくと渋谷駅へと歩いていた。ショックを受けてボーッとしていた。 3月5日『戦極』旗揚げ大会のメインエベント、吉田秀彦のタップシーンは私にとって衝撃が大きかった。柔道時代から20数年、吉田の試合を見続けてきた。その間、私が知る限り彼がギブアップを表示したことは一度も無い。 まだ私が柔道をやっていた頃から、3つ歳下ながら吉田は特別な存在でもあり、彼が「参った」をする姿が、まったく想像できなかった。それだけに、あのシーンは驚きでもあり、淋しくもあった。
大晦日の格闘技シーンを大いに盛り上げた三崎和雄×秋山成勲戦の公式結果が覆った。「1ラウンド8分12秒、三崎のKO勝利」が、「ノーコンテスト」へと。釈然としない。 まず、三崎の蹴撃は果たして秋山が4点ポジションにある際に見舞われたものなのか? ビデオテープを何度見直しても秋山の左手が、マットについていたとは断定できない。僅かにグローブがマットから浮いているようにも見える。加えて、あの状態を果たして「4点ポジション」と規定すべきなのだろうか、と考えてしまう。
秋山成勲をマットに沈めた三崎和雄の右の蹴りが反則だったのではないか、とFEGの谷川貞治氏が口にし、そのことがスポーツ紙でも報じられた。三崎が蹴った時点で、秋山は4点ポジションにあった……そこを蹴撃したのだから「反則だ」というわけだ。 ※年末年始の更新スケジュールにともない、毎月第1木曜更新の連載・近藤隆夫「INSIDE格闘技」は、今月に限り4日(金)更新とさせていただきます。
『PRIDE』が事実上、消滅したことで勢いを欠いた2007年の日本総合格闘技界だが、ここにきて息を吹き返しつつある。 新団体WVR(ワールド・ビクトリー・ロード=来年3月5日、東京・代々木第一体育館で旗揚げ)の発足に続き、旧PRIDEスタッフによって『やれんのか! 大晦日! 2007』(12月31日・さいたまスーパーアリーナ)が開催されることが決定した。
「そういえば、ここのマウンドにヒクソン・グレイシーが立ったことがありましたね」 プロ野球日本シリーズ第4戦の試合前、バッティング練習を見ていたら、顔見知りの野球評論家(元選手)から、そう話しかけられた。ナゴヤドームに野球の取材に来ているのだが、格闘技の話題を振られることは少なくない。野球界には格闘技好きが結構、多いのだ。 まず、プロボクシングの亀田騒動、続いて大晦日「Dynamite!!」の桜庭和志×船木誠勝戦はどうなるか、そして皆が一番熱心に尋ねてくるのが、ヒクソンについてである。
あと数日で『PRIDE』は10周年を迎えます。そう、1997年の10月11日に『PRIDE.1』は開催されました。10年……長いようで短い――。 さて今回は、10周年を記念して「PRIDE名勝負10」を私的に選んでみましょう。思えば、ナンバーシリーズ、グランプリシリーズ、武士道はもとより『THE BEST』、ラスベガス決戦……すべての『PRIDE』の会場に私は足を運んできました。次の大会が開かれないのは気になりますが、発表を待つしかないので、その間に……と、先日、『PRIDE.1』から順にビデオテープで試合を振り返ってみたのです。
先日、米国の或る雑誌からインタビュー取材を受けた。 テーマは、「人気が低迷し始めた日本の総合格闘技を、どう見るか?」――。 私の元を訪れたインタビュアーは結構、格闘技に詳しく、いくつかのマニアックな質問もしてきたが、こんな風にも問うてきた。 「これまでに日本でも、アマチュアの格闘技で実績を残した選手が総合格闘技に参戦している。柔道の吉田秀彦、滝本誠、レスリングの永田克彦……。彼らは、総合格闘技のリングに上がることで高額なファイトマネーが手に入る点が魅力だったのだろう。でも、いまやPRIDEも消滅状態にある。これからは、そんな選手もいなくなるのではないかと私は思う。あなたはどう見るか?」
船木誠勝が現役復帰を宣言した。 7月16日、横浜アリーナ『HERO’S』のリング上で――。 正直、驚いた。選手が、引退を撤回することが珍しくはない格闘技界。だが船木に限っては、それは無いと思っていたから。 あれから7年以上も経つのに、まるで昨日のことのように鮮明に憶えている。衝撃的だった船木の引退表明――。2000年5月26日、東京ドームで開かれた『コロシアム2000』のメインエベントで船木はヒクソン・グレイシーと闘い、チョークスリーパーを決められ失神負けを喫した。直後、記者会見場で彼は「引退します」と口にしたのだ。
「PRIDEは、この先どうなってしまうのでしょうか」 「海外のトップ選手は、ボードックファイトやUFCに皆、流れてしまいますよ。日本人選手だってHERO’Sに行ってしまうんじゃないですか。田村潔司とかもHERO’Sに出るんでしょ?」 「今年に入ってからPRIDEは、まだ1回しか大会を開いていないじゃないですか。(地上波での)テレビ中継も無くなったし、ファンに忘れられてしまいますよ」 私の耳に届くのは、そんな声ばかりだ。色んな噂話も聞くが、まあ、そんなに焦らなくてもいいんじゃないかと私は思う。
6月2日にロスアンジェルスへは行かなかった。1984年の五輪メイン会場であり、かつてはNFL(ナショナル・フットボールリーグ)LAレイダースの本拠地であったメモリアル・コロシアムで開催された『Dynamite!! USA』を私はテレビで観戦した。他の取材スケジュールが入っていたため行けなかったのだが、大会の直前になっても「どうしても現地で観なければ…」とは思えなかったからだ。昨年の5月、LAのステイプルズ・センターでホイス・グレイシーがマット・ヒューズと闘った(UFC60)。この時も別の予定が入っていたのだが直前になり、どうしても現地で観て取材しておきたいと思った。無理を言って、あるイベントの出演をキャンセルし飛行機に乗った。だが今回は違った、「どうしても…」という衝動は最後まで湧き上がってはこなかった。どうしてだろう?
「PRIDEは、どうなっちゃうんですか? もう日本で大会が開かれることはないんですか? アメリカに行っちゃうんですかね…」 先日、池袋東口にある「アントニオ猪木酒場」で仕事仲間と打ち合わせがてら呑んでいた時に、そんな風に話しかけられた。 「PRIDEが好きで、ずっと会場へ行き続けていたんです」 そう、淋しそうに話していた。