金子達仁
親は子の鏡というが、ならば、A代表は若年層代表の鏡なのか。少なくともA代表がつかんだ自信、実績は、そのまま若い選手たちにも伝播するものらしい。メキシコで始まったU-17W杯を見ていると、そのことを実感する。
もう5年ほど前になるか、就任したばかりだった当時の犬飼・日本サッカー協会会長が嘆いていたことを思い出す。 「日本のサッカー界にはね、スタジアム力が欠けているんですよ。その存在だけで、観客を引きつけるようなスタジアムがね」
いまから28年前、東海大学を休学してスペインに渡っていた“天才児”と呼ばれた男は、耳にタコができるほどに聞かれたそうだ。 「なぜバルセロナに?」 サービス精神が旺盛な彼は、決して「日本人の知り合いがいたから」という本当の理由を口にしようとはせず、いかにクライフのサッカーが魅力的か、バルセロナのサッカーに将来性があるかを力説したという。
物事には順序がある、という言い回しを思い出した。もしこの試合が終盤に入って一方的に押しまくられたこの試合がザッケローニ監督の初陣であれば、未来への期待は相当に損なわれていたことだろう。選手に疲れがあったのはわかる。モチベーションを保つのが難しい試合でもあっただろう。だが、少なくない同情点を差し引いたとしても、ザッケローニ体制となってから最低の試合だった。
夢の決勝再び、である。今週末、マンチェスターU―バルセロナの欧州CL決勝が行われる。2年前の対決ではエトオ、メッシのゴールでバルセロナが快勝したが、さて、今回はどうなるか。
すべての人がそうだ、などと言うつもりはない。けれども、「頭を下げることは負けに等しい」と考える外国人が、日本人よりも相当に多いのは事実である。外国人の立場に立ってみると、すぐに頭を下げる日本人の謝罪、懇願は、かなり安っぽいものに思えるらしい。トルシエが沖縄の事務所で「簡単にゴメンナサイって言うな!」と癇癪を起こしていたことを思い出す。
5連敗と言えば、年間144試合を戦うプロ野球のチームにとってもかなりの痛手である。ならば、34試合しかないJリーグのチームが味わう5連敗の痛みは、どれほどのものか。まして、それが開幕からの5連敗だとしたら――。今季久しぶりにJ1に復帰してきたアビスパ福岡が、いきなり強烈な試練に直面している。
18日間で4試合という、前例のない、そしてこれからもなかなか起こりえないであろうクラシコが終わった。結果は1勝2分け1敗と全くの五分。そのうち3試合を10人での戦いを余儀なくされたことを考えれば、レアル・マドリードの奮闘が光ったクラシコでもあった。
ほんの1年前、日本代表にとって両サイドのディフェンスは頭痛の種だった。長友の評価は高まりつつあったものの、彼が右に入れば左が、左に入れば右がウイークポイントとなってしまう。それは、誰が入っても変わらなかった。
著名な俳優が、人気ミュージシャンが、そしてスポーツ選手が、次々と被災地を訪れている。欧米ではずいぶんと前から当たり前だった「社会的に影響のある人々のボランティア」が日本でも完全に根付いたのだと実感させられる。
最も大きな影響を被るであろう当事者が「それでいい」というのだから、これでいいのだろう。 わたしが日本サッカー協会の人間であれば、南米連盟からのオファーにはなんとしても応えたいと考えたに違いない。
CS放送のJスポーツでオンエアされていたマリオン・ジョーンズのドキュメンタリーを見た。シドニー五輪陸上競技で5つのメダルを獲得した彼女は、後にドーピング発覚してすべてのメダルを剥奪されたばかりか、偽証罪に問われて6カ月の実刑を受けた。番組には、いまは女子プロバスケットボールの選手として活躍する彼女の、印象的な言葉がちりばめられていた。 「完全に打ちのめされた人間でも、立ち上がることが可能だと証明したかった」。「嬉しかったのは、若い人たちから諦めないでくれてありがとうと言われたこと」 いつか、被災地の方々に見ていただきたいドキュメンタリーである。
昭和41年生まれのわたしは、古橋広之進さんの現役時代を知らない。それでも、“フジヤマのトビウオ”と呼ばれ、世界新記録を連発した彼の泳ぎが、敗戦にうちひしがれる日本に大きな勇気をもたらしたことは知っている。 たぶん、長居での試合はそういう類いの試合だった。何年か後、平成23年3月11日の大地震に端を発した大災害からの、再起への一歩として記憶されることになる、あるいは復興へ向けて国民が頭をあげたきっかけだったと印象づけられることになる試合だった。歴史的な、試合だった。
フランスの作家ロマン・ギャリは著書「ヨーロッパ風教育」にこう書いた。 「人は昔から、絶望から逃れるための避難所を必要としてきた。その避難所は、時に歌であり、詩であり、音楽であり、本である」 この本が出版されたのは、第二次大戦が終わったばかりの1945年だった。時代は違うし国も文化も違う。それでも、戦時中レジスタンスとして活動し、戦後は外交官としても活躍したギャリの言葉は、半世紀以上たった現在の日本にもぴったりと当てはまる。現代の後知恵を付け加えるなら、もう一つ、スポーツという“避難所”もあるということか。
世界が祈ってくれている。日本のために、祈ってくれている。 メジャーリーガーが、テニス・プレーヤーが、そしてフットボーラ―が、世界のあらゆる場所で日本への祈りを捧げ、支援を訴えてくれている。かつて、かくも多くの人が日本のために祈ってくれたことが、あっただろうか。祈りは無力? そんなことはなかった。自分たちのことを気に留めてくれている人たちがこんなにもいる。そう思えることが、どれほど心強いことなのか。
サッカーは、結果が内容を蝕むことがある競技である。どれほどいいサッカーをしていても、不運な、あるいは事故としかいいようのない敗戦が続くと、徐々に内容もおかしくなってきてしまう。特に、選手と監督の信頼関係が固まっていないシーズン序盤戦は、毎試合が運命の分かれ道のようなものでもある。
19回目のJリーグ開幕が近づいてきている。93年の5月、10チームによる総当り4回戦方式でスタートしたリーグは、規模を大幅に拡張させ、いまや1部、2部ともにホーム&アウェー方式で運営されるリーグに成長した。課題、問題点は数多にあるにせよ、世界的に見ても稀有なスピードで成長してきたリーグであることは間違いない。
海外でプレーするのはおしなべて特別な、いや伝説的な選手だったという印象がわたしにはある。日本においては非の打ちどころのない存在であり、その生きざまも鮮烈。過去を知る人に聞けば、例外なく「あのヒトはすごかった」という答えが返ってくる。それがカズであり中田英寿だった。
土壇場で、絶体絶命の場面で、わずかでも弱みをみせれば一気に蹂躙されてしまいそうな状況で、選手を支えるもの、踏みとどまらせるものは何なのか。答えはもちろん一つではないだろうが、その中に「自信」が含まれるのは間違いない。
10年前、ロシアの選手にとって日本は憧れの国だった。ガンバ大阪でプレーしたアフリク・ツベイバが、引退後のビジネスとして日本に選手を送り込む代理人を始めたのも、十分に勝算があってのことだった。 「西欧でプレーするには年齢をとりすぎた選手や、レベル的に少し落ちる選手にとっては、Jリーグのギャラは素晴らしく魅力的だからね」
「世界で最もレベルの低い国際大会」と嘲笑されることもあったアジア杯も、ついに活躍した選手が世界的ビッグクラブに引き抜かれるような大会になった。長友のインテルへの移籍は、日本のみならず、アジア杯に参加した選手、観戦した関係者にも大きな勇気と希望を与えたはずである。いよいよもって、アジア杯は新しい次元、時代に突入したと言っていい。
わたしが皮肉屋の韓国人記者であれば、試合のMVPにはサウジアラビア人の主審を選ぶ。2点目のきっかけとなった日本のPKは反則のようには見えなかったし、百歩譲って反則だったとしても、ペナルティーエリアの外で犯されたものだったのは間違いない。韓国人からすれば、これまた微妙な判定だった先制点の“恩義”を差し引いても、主審に文句を付けたいところではないか。
ヨハン・クライフ率いるバルセロナが“ドリームチーム”と呼ばれるようになった理由の一つには、ウェンブリースタジアムでサンプドリアを下した欧州チャンピオンズ杯決勝での勝利があった。逆に、クライフがチームを追われるきっかけとなった原因の一つに、0−4という惨敗に終わったACミランとの欧州CL決勝がある。
決勝戦に象徴されるように、今年の高校サッカー選手権は面白い大会だった。おそらく、実力的には流通経大柏が頭一つ抜けていただろうが、上位に進出したチームはどこも自分たちならではの武器、特長を持っていた。
高校生は化ける。ほんの数カ月前、さしたる印象にも残らなかった選手が、チームが、信じられないほどの輝きをみせることもある。日々の練習か、一つのプレーか、それとも大舞台での結果か。きっかけは、どこに転がっているかわからない。 だが、現状の日本サッカー界は、化ける可能性に対していささか冷淡にすぎるのではないか。