その他スポーツ

久保尚志(鷺宮製作所硬式野球部/香川県観音寺市出身)第2回「初物づくしの甲子園」

「広いなぁ……」  第67回全国選抜高校野球大会。開幕前の練習で初めて甲子園の土を踏んだ久保尚志は、その広大さに圧倒された。スタンドで待機していた時にはテレビで観るよりも小さく感じ、なんだか“おもちゃ”のように思えた。ところが、いざグラウンドに降りると、そこはまさに“マンモス球場”だった。

第104回 NBA人気回復へ、3つのポイント

 11月に開幕した世界最高のバスケットボールリーグ・NBAは、今季も例年通りの激しい戦いを続けている。  最近では日本ではすっかり注目度が落ちてしまったが、スピード感と躍動感に溢れるNBAのアメリカでの人気は健在。今季には新たな躍進チーム、スター選手も飛び出し始め、その盛り上がりに拍車をかけている。6月のファイナルを迎えるまで、今後も数々の華やかなシーンを生み出して行ってくれそうだ。  それにしても、これほどエキサイティングで楽しいスポーツなのに日本での露出が少ないのは何とも寂しい。そこで今回は、今季のNBAにまつわる話題の中から、幅広い人気獲得をテーマとしたトピックを集めてみたい。久々のNBA人気爆発に向け、必要なものは……?

久保尚志(鷺宮製作所硬式野球部/香川県観音寺市出身)第1回「少年時代には見えなかった甲子園への道」

「香川県立観音寺中央高校」  高校野球ファンにとっては、思い出深い名である。1995年の全国選抜高校野球大会。春夏ともに一度も甲子園に出場したことのなかった観音寺中央は待望の初出場を果たした。1回戦を勝ち、勢いに乗った同校はあれよあれよという間に決勝に進出した。決勝の相手は古豪・銚子商業(千葉)。試合前、誰もが銚子商の勝利を信じて疑わなかった。ところが、紫紺の優勝旗を手にしたのは観音寺中央だった。しかも、4−0の完封勝ち。  当時、古豪を零封した優勝投手は今もなお、白球を追い続けている――久保尚志、30歳。現在、鷺宮製作所硬式野球部に所属している。

長友佑都(明治大学体育会サッカー部/愛媛県西条市出身)最終回「苦境を成長の糧に変えて」

 サッカーへの意識の高さ、精神面の強さは、長友の特長の一つといえるだろう。  中学時代のサッカー部監督である井上博氏(現新居浜市立北中教諭)は、こう振り返る。 「一言で表せば、サッカーに対する意識の高い選手でしたね。どんな練習でも手を抜くということがなかった。それに、年を追うごとに気持ちが強くなっていった。技術面が高いというのはあったけれど、それ以上にメンタル面の強さが際立っていましたね」

長友佑都(明治大学体育会サッカー部/愛媛県西条市出身)第3回「サイドバックという新たな道」

「長友と初めて会った時? 実はね、あまり強い印象はないんですよ。入部したての時は、特長がよくわからない選手だった。東福岡高校時代のこともそれほど知らなかったんです。極端な言い方をすれば、無名の選手でした。彼の高校時代の先輩には『こういう特長があって、面白い選手ですよ』と聞いていたんだけど、最初に見た時は『悪くはないけど、モノになるまでには時間がかかるかな』と思ったのを覚えています」  明治大学サッカー部の神川明彦監督は、長友が部に入ってきた2年半前を振り返り、こう続けた。 「でもね、それからメキメキと頭角を現していったんですよ」

第103回 米ボクシング界の一番長い日

 11月10日の土曜日は、アメリカでボクシングを取材する記者たちにとって近年で最も忙しかった日として記憶されるだろう。  まずは午後からニューヨーク・ミッドタウンのホテルで盛大な記者会見が開かれ、来年1月18日にロイ・ジョーンズ対ティト・トリニダードの試合が挙行されることが正式発表された。

第74回 「あほらしいスポーツ!?」

 今年の体育の日、福島県のいわき市で「スパトライアスロン」が開催された。と言っても、これが何なのか理解できる人はほとんどいないだろう。無理もない、温泉とトライアスロンの融合であるこのスポーツが開催されたのは世界初なのだから……。 「林道トレッキング、温泉ウォーク、湯上りジョギング」この3種目を続けてやるから温泉トライアスロンというネーミング。確かに意味としては間違っていないけど、これを競技するってどういう事?

長友佑都(明治大学体育会サッカー部/愛媛県西条市出身)第2回「恩師に学んだ周囲への感謝」

 ある人物との出会いが長友のサッカー人生を大きく変えた。 「先生がいなかったら? 今の自分はなかったでしょうね。そのぐらい大きな影響を受けましたよ」  地元の西条北中に入学した長友は、恩師といえる人物と出会う。それが長友の入学と同時に西条北中に赴任して、サッカー部監督を務めた井上博氏(現新居浜市立北中教諭)だった。

長友佑都(明治大学体育会サッカー部/愛媛県西条市出身)第1回「右サイドを切り裂いた新星」

 07年6月6日、北京五輪2次予選最終戦(第6戦)マレーシア戦。  1人の大学生が聖地・国立競技場のピッチで躍動した。彼の名は長友佑都。明治大学体育会サッカー部3年生。170センチと小柄だが、身体能力が高く、1対1の強さに定評のある攻撃的サイドバックである。 「まさか国立の舞台でやれるなんて……。俺って本当に幸せ者やなって思いましたね」  長友は噛み締めるようにして言った。

第102回 レッドソックスに黄金時代到来か

 10月29日、デンバー国際空港でのこと――。  ワールドシリーズの取材を前日に終えた筆者は、コロラドからニューヨークへのフライトを待っていた。すると背後から、レッドソックスファンの男性の電話口での話し声が聴こえて来た。 「第4戦の9回裏には、まだ何か悪いことが起こるんじゃないかと気が気じゃなかったよ。レッドソックスファンの悲しい性だ。だけど、何もないまま試合は終わった。どうやらこのチームは変わったようだね……」

野本尚裕(空手・新極真会/愛媛県松山市出身) 最終回 「終わりなき下段職人道」

 直前の怪我の影響で「不完全燃焼」に終わった「第8回オープントーナメント全世界空手道選手権大会」(03年10月)後、野本は肉体改造に踏み切った。 「減量して中量級に出るくらいなら、練習で苦しんで大きいヤツと戦った方がいい」と、174センチ、84キロの体格ながら、100キロ以上の巨漢がひしめく重量級(80キロ以上)で戦ってきた野本だったが、何試合も行うトーナメントでは、やはり体重での不利を痛感せざるを得なかった。

野本尚裕(空手・新極真会/愛媛県松山市出身) 第3回 「32歳の世界デビュー」

「野本尚裕」の名が全国的に知られたのは、2002年6月に行われた「第19回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会」重量級を制したことがきっかけだった。そして、04年の世界大会代表がかかった03年4月の「第20回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会」重量級で3位に入り、世界大会代表切符を手にした。当時、32歳。遅咲きの世界デビューだった。 当時を振り返って、野本は言う。「『オレなんかが世界大会に出ていいのか?』と思っていました(笑)。それまで、地方大会でも4回戦まで行けないくらいのレベルでしたから」。

第101回 松坂の1年目は「失敗」ではない

 レッドソックスにとって重要な意味を持った10月15日のリーグ優勝決定シリーズ第3戦で、松坂大輔はまたも期待に応えられなかった。  波に乗るインディアンス打線をかわしきれず、4回2/3を投げて4失点。地区シリーズのエンジェルズ戦に続き、これで2試合連続で5回を持たずに降板したことになる。そしてこのコラムを書いている時点(現地時間17日)で、レッドソックスは1勝3敗でシリーズに王手をかけられてしまった。このままいけば、15日の煮え切らない投球が今季の松坂の最後の登板となる可能性が高い。   獲得に1億ドル以上(約120億円)を費やされながら、プレーオフでは好投できずじまい。ここまでは温かく見守ってきたボストンの熱狂的なファンも、もしこのままシリーズに敗れた場合には、期待を裏切った高額輸入品への風当たりを強めるに違いない。

第73回 「エイジ イズ…」

 ご存知の方も多いと思うが、私は現役のトライアスリートである。それも一応、人様から多少注目を集めるプロとして活動している。なので、どんなに他の仕事が忙しくとも、アスリートとしてパフォーマンスを維持すべく努力するのが当然の義務。もちろん繁忙期には練習から遠ざかり、少々厳しい状態にはなるが、それでも一般の人から見ると明らかにアスリートしての風貌を保っているつもりである。なので、どこへ行っても「40歳には見えない素晴らしい身体ですね」という言葉を頂き、ちょっと嬉しくなることが珍しくない。人間というのは誉められることに弱いものだ!?

野本尚裕(空手・新極真会/愛媛県松山市出身) 第2回 「サッカー少年から空手の道へ」

 愛媛県松山市内で野本は生まれ育った。小学生の頃は、映画や2歳年上の兄の影響で、ブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れていた。 「よくマネをして遊んでいました(笑)。2歳年上の兄貴と喧嘩するといつもかなわなくて、強くなりたい、という気持ちも強かったですね」

第100回 07年アリーグ・プレーオフ展望

■  12年振りの地区優勝は果たしたが、終盤のレッドソックスはヤンキースの勢いの前に青息吐息だった。その原因は、今季前半の快進撃を支えて来た投手陣に疲れがみえたことである。  先発はエースのジョシュ・ベケット以外、衰えの目立つカート・シリング、この時期は未知数の松坂大輔、地区シリーズは欠場することになったティム・ウェイクフィールドとやや迫力に欠ける。

野本尚裕(空手・新極真会/愛媛県松山市出身) 第1回 「世界で戦う水道屋」

「下段職人」「ロシア人キラー」の異名をとる空手家・野本尚裕(新極真会愛媛支部)。重量級としては小柄ながら、体格の不利をものともせず02年全日本ウェイト制空手道選手権大会重量級で優勝、04 年全日本空手道選手権大会で準優勝するなど、数々の戦績を誇る。  昨年10月、東京体育館で行われた全日本大会で4位に入賞し、上位4人に与えられる4年に1度の世界大会・第9回オープントーナメント全世界空手道選手権大会(10月13〜14日・東京体育館)の出場切符を手にした。

村上幸史(陸上やり投げ/愛媛県今治市出身)最終回「やりと自分だけの空間」

 2006年は村上にとって苦しいシーズンだった。春先の試合で痛めた踵の怪我が完治せぬまま、日本選手権では優勝を守ったものの、シーズン中に日本人選手に2度敗北するという屈辱も味わった。  今治明徳高校陸上部時代の顧問で現在も村上を指導する浜元一馬氏からは「オマエは日本選手に負けたらもう終わりだ」と、厳しい言葉も浴びせられた。  村上は言う。「まぁ、自分でもそう思いましたね。やっぱり、怪我していようが何だろうが、その大会にエントリーした時点で、負けてはいけない。『怪我していたから仕方ない』と同情されたらもう終わりだと思いますから」。

第99回 世界ボクシング界が注目する冬の2大決戦

 近年のボクシング界では最大規模の試合前記者会見が、9月19日にニューヨークのロッカフェラーセンターで行なわれた。  会場はクリスマスに世界最大のツリーが飾られる敷地内。そこで、なんとオスカー・デラホーヤとバーナード・ホプキンスが司会役に起用され、12月8日に予定されるWBCウェルター級タイトルマッチ、フロイド・メイウェザー対リッキー・ハットン戦のプロモーションイベントが盛大に催された。 「ボクシングが死んだなんて言ったのは誰だ? 今年の終わりには最高のカードが連続で用意されているんだぜ!」ホプキンスはその場で高らかにそう叫んだ。

第72回「マラソンの暑さ対策って!?」

 今年の日本は暑かった! 聞くところによると、東京は那覇より暑かったとか。まあこれだけ暑いと生活するだけでも辛い感じ。都内を自転車移動する私も、この季節は移動の回数だけバックの中にTシャツを忍ばせて生活していたくらい。汗をかかないなんて不可能なので、その後の対策を講じることにしたのだ。  そんな暑い中でも、皇居ではぞろぞろと人が走り出す。さすがにマラソン熱が高まっているようで素晴らしいことだが、夜ならともかく、あの暑い昼間に走っている姿はどうも感心できない。身体を鍛えているというより、身体をいじめていると言った方が適切か!?

村上幸史(陸上やり投げ/愛媛県今治市出身)第3回「雰囲気に圧倒されたアテネ五輪」

 中学時代、野球部に所属していた村上は、愛媛県内では知られる投手だった。やり投げを始めたのは高校に入学してからだ。中学時代、体育の授業で、ハンドボールを投げる村上の姿が当時陸上部の顧問だった中谷博氏の目に留まったのがきっかけだった。その後、中谷氏の推薦で、投てきの強豪校である今治明徳高から勧誘を受ける。同校陸上部顧問(当時)の浜元一馬氏が、中谷氏と“旧友”という縁もあった。  数々の野球の名門校からの誘いを断り、村上は今治明徳高に入学。やり投げに打ち込む道を選択した。スピードガンで150キロ以上を記録した逸話を持つ村上には高校時代、プロからの誘いもあった。

村上幸史(陸上やり投げ/愛媛県今治市出身) 第2回「自国開催の世界陸上」

 2日に閉幕した世界陸上大阪大会、男子やり投げの予選は9月1日に行われた。  村上は、11時から行われた予選B組に登場。予選通過記録は82メートル00。しかし、9時から行われた予選A組でその記録を上回ったのは4人のみ。8番目の選手までは79メートル台だった。今季、79メートル85を投げている村上にとって、決勝の舞台は本来の力さえ出せば届く位置にあった。予選A組の結果を受け、村上自身も「80メートル投げれば決勝に行ける」と確信していた。

第98回 躍進劇も終焉に近づいたマリナーズとイチロー

 今季MLで最大のサプライズチームはどこかといえば、シアトル・マリナーズだったのかもしれない。  イチロー、城島健司という2人の日本人プレーヤーを抱えるマリナーズは、過去3年間は連続で負け越しレコード。さしたる補強のなかった今季も低迷は必至と思われていた。  だが蓋を開けてみれば、今年は本格的な秋も近づいたこの時期まで、プレーオフ争いにしぶとく生き残り続けてきた。他地区で首位に立っているのは本命チームばかり。それだけに、彼らの健闘はひときわ際立って見えたのだ。

村上幸史(陸上やり投げ/愛媛県今治市出身)第1回「ビッグスローへの期待」

 今夏の大阪選手権の代表選考を兼ねた今年6月29日、陸上の日本選手権初日に行われた男子やり投げ決勝で、02年釜山、06年ドーハと、アジア大会で2大会連続銀メダルを獲得している陸上やり投げの第一人者・村上幸史(スズキ)は、5投目に79メートル85を投げ、8年連続8回目の優勝を果たした。世界選手権の参加記録A標準(81メートル00)突破はならなかったものの、05年ヘルシンキ大会に続く世界選手権代表に名を連ねた。

大木勉(愛媛FC/愛媛県松山市出身)最終回「最高だった久保とのコンビ」

「あいつは理想とするFWですよ。高さもスピードもあって、足元もうまい。一緒にやれたことは大きかった」 01年6月、劇的な延長Vゴールで契約延長を勝ち取った大木は吹っ切れたように直後のJ1セカンド・ステージで活躍をみせる。コンビを組んだのが当時の日本代表FW・久保竜彦(現・横浜FC)だった。大木と久保は同期生。ピッチ上でともにプレーすればするほど、大木は久保のほとばしるような才能を感じていた。

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