日本体育大学関係者で、北京五輪に出場した選手、役員、スタッフが一堂に介した「日本体育大学 2008 北京オリンピック報告会」が19日、都内ホテルで開催された。会場には北島康介(日本コカ・コーラ)や内村航平(体育学科2年)をはじめ、30人の選手・スタッフが出席し、支援への感謝の言葉を述べた。日体大は北京五輪に在学生、卒業生を合わせて26選手を送り込み、金メダル3、銀メダル3、銅メダル4のメダル獲得を含む、22人が入賞を果たした。
北京オリンピックの男子ハンマー投げで5位に終わった室伏広治(ミズノ)が、繰り上がりで3位になり銅メダル獲得の可能性が出てきた。室伏は前回アテネ大会でも、1位選手のドーピング違反で、2位から金メダルへ繰り上がっている。
北京五輪の自転車競技に出場した日本選手団の帰国報告会が3日、都内で開かれ、男子ケイリンで銅メダルを獲得した永井清史(日本競輪選手会)をはじめとする10選手とチームスタッフらが出席した。同種目で日本勢初のメダルとなった永井は「次は国内での競輪で日本一を目指し、ロンドンでは日本一から金メダルを狙いたい」と早くも4年後に向けた決意を語った。
17日間にわたって熱戦が繰り広げられた北京五輪も、24日をもって幕を閉じました。日本勢では競泳の北島康介選手が前人未到の連続2冠を達成したほか、ソフトボールが悲願の金メダルを獲得しました。またフェンシングで日本勢史上初の銀メダルとなった太田雄貴選手、陸上トラック種目で80年ぶりのメダルを手中にした男子400メートルリレーの快挙も印象に残りました。
北京五輪に出場した日本代表選手団の解団式が26日午前、東京都内のホテルで行われた。日本選手団の主将を務めた柔道男子100キロ級の鈴木桂治(平成管財)、旗手を務めた卓球女子の福原愛(全日空)の手によって、選手団旗が日本オリンピック委員会(JOC)に返還された。
25日、北京オリンピックに参加した日本選手団の本隊が帰国し、都内ホテルで記者会見を行なった。選手団の主将を務めた柔道男子100キロ級の鈴木桂治(平成管財)選手と旗手の福原愛(全日空)選手に加え、水泳男子平泳ぎ100m、200mの2冠を達成した北島康介(日本コカ・コーラ)ら各競技のメダリスト9名が出席し、北京オリンピックでの感想を述べた。
大会最終日(24日)に行われた陸上の男子マラソンは天安門広場をスタートし、国家体育場をゴールとするコースで行われ、ワンジル(ケニア)が2時間6分32秒で優勝した。ハイペースで進んだレースは、終盤まで複数の選手が競り合う展開。残り5キロでワンジルがスパートし、後続を引き離した。日本勢は尾方剛が2時間13分26秒で13位、佐藤敦之が2時間41分8秒で76位だった。
明日の男子マラソンに出場予定だった大崎悟史(NTT西日本)が故障を理由に欠場することとなった。女子マラソンの野口みずき選手に続く直前の欠場で、男女1人ずつがレースを断念するという事態になった。
野球の3位決定戦が行われ、金メダルの望みが絶たれた日本は米国と対戦した。日本は青木宣親の3ランで一時は3点リードを奪ったが、米国のホームラン攻勢の前に逆転を許し、4−8で敗れた。オールプロで臨んだ星野ジャパンはメダルすら逃し、屈辱的な形で今大会を終了した。
23日にシンクロナイズドスイミングチームフリールーティン(FR)が行なわれ、日本は47.167で、前日との合計が95.167の5位となり、メダルには届かなかった。
23日、国家体育場(通称、鳥の巣)でサッカー男子決勝が行われ、アルゼンチンがナイジェリアを1−0で下し、アテネ大会に続き金メダルを獲得した。 【男子サッカー】 決勝 −0 ナイジェリア代表 【得点】 [ア]アンヘル・ディマリア(57分)
22日、男子400メートルリレー決勝で、日本(塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治)が銅メダルを獲得した。 21日の予選で米国など強豪国のバトンパスのミスもあり、38秒52で全体の3位で決勝進出を決めた日本は、決勝でも確実なバトンパスを見せると38秒15で3位に入った。男子トラック種目でのメダル獲得は日本初の快挙。 優勝はジャマイカで、37秒10の世界新記録を樹立。3走を務めたボルトは100、200メートルと合わせて3冠を達成した。
20日に銅メダルを獲得したデュエットに続き、シンクロナイズドスイミングのチームでのメダル獲得を目指す日本は、22日に行われたテクニカルルーティン(TR)で、48.167で4位となった。 3連覇を狙うロシアが49.500点でトップに立ち、スペインが2位。五輪初のメダルを目指す中国は48.584点で日本を上回り3位につけた。
野球の準決勝が行われ、日本は韓国に2−6で敗れた。2−2と同点の8回、巨人に在籍する李承に勝ち越し2ランを浴びるなど、4失点。攻撃が中盤以降、得点を奪えなかったのも痛かった。日本は悲願の金メダルを逃し、23日の3位決定戦にまわることが決まった。
21日、女子ソフトボールの決勝が行われ、日本は五輪3連覇中の米国と対戦した。日本は昨日に続いてエースの上野由岐子が先発。その上野を打線が援護し、日本が終始試合の主導権を握った。投げては上野がピンチにも冷静なピッチングで要所を締め、米国をわずか1失点に封じて快勝。日本はソフトボールが正式競技として採用されて以来、目標としてきた待望の金メダルを獲得し、有終の美を飾った。
21日、サッカー女子の3位決定戦が行われ、日本はドイツに2−0で敗れ、銅メダル獲得はならなかった。 【女子サッカー】 日本代表 0− 【得点】 [ド]バイラマイ(69、87分)
21日、北京オリンピック女子レスリングで金メダルを獲得した55キロ級の吉田沙保里、63キロ級の伊調馨、銀メダルを獲得した48キロの伊調千春が、所属する綜合警備保障(ALSOK)で、メダル獲得の報告を行なった。注目される今後については、3人に代わって栄和人日本代表コーチが、「(3選手と)相談しながらいつ練習を再開するのか、進退も含めもう少しお時間を頂きたい」と答え、明言を避けた。
21日に行われた陸上女子20キロ競歩決勝で、アテネ五輪に続く2大会連続で出場した日本記録保持者の川崎真裕美(海老沢製作所)は、1時間29分43秒で14位、初出場の小西祥子(大阪茗友ク)は1時間32分21秒で26位だった。
21日に行われた卓球女子シングルス4回戦で、福原愛(ANA)は世界ランキング1位の張怡寧(中国)と対戦した。 福原は張に5−11、2−11、5−11と3ゲーム連取されたが、そこから粘りを見せ、第4ゲームを11−9で奪う。第5ゲームも一時はリードするなど食い下がったが、惜しくも及ばず8−11。1−4で敗れ、準々決勝進出はならなかった。 福岡春菜(中国電力)、平野早矢香(ミキハウス)はともに3回戦で敗退した。
20日夜に行われた陸上の男子200メートル決勝で、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が、19秒30の世界新記録で100メートルに続く世界新での2冠を達成した。 ボルトは、序盤からトップに立つと、後続の選手を引き離し、マイケル・ジョンソンが持つ19秒32の世界記録を12年ぶりに更新した。 100メートルと200メートルの2冠は、84年ロス五輪のカール・ルイス(米国)以来24年ぶりの快挙。
野球の1次リーグ最終戦が行われ、日本は延長戦の末、米国に2−4で敗れた。星野ジャパンにとって初体験となるタイブレーク方式で4点を奪われた。この結果、日本は1次リーグ4勝3敗の4位。22日の準決勝は同1位の韓国と対戦することが決まった。
ソフトボールの準決勝と3位決定戦が行われ、1次リーグ2位の日本は準決勝で五輪3連覇中で同1位の米国と対戦した。日本は延長戦の末、米国に4点を勝ち越され、1−4で敗れた。日本は夜に行われる3位決定戦にまわり、オーストラリアと対戦。こちらも延長戦にもつれ込んだが、西山麗のタイムリーでサヨナラ勝ちをおさめた。日本は21日の決勝進出を決め、再び米国と激突する。
20日、シンクロナイズドスイミング女子デュエット決勝のフリールーティンが行われた。予選で3位につけていた原田早穂、鈴木絵美子(ミキハウス)組が、48.917の得点をあげ、前日のテクニカルルーティンとの合計得点が97.167で3位となり、銅メダルを獲得した。日本はシンクロナイズドスイミングで84年ロサンゼルス大会以降、7大会連続のメダル獲得となった。
野球1次リーグ第6戦が行われ、日本は中国を10−0の7回コールドで下し、決勝トーナメント進出を決めた。日本は10安打10得点と打線がつながり、投げては先発の涌井秀章が相手の攻撃をすべて3人ずつで終わらせた。
19日、体操種目別では男子鉄棒に冨田洋之(セントラルスポーツ)と中瀬卓也(徳洲会)、女子平均台に鶴見虹子(朝日生命クラブ)が出場したが、いずれもミスが大きく影響し、メダル獲得にはいたらなかった。