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190センチ、110キロという日本人屈指の体格、そして、どのような相手であれ、怯むことなく前に出続けるファイトスタイル――。『逆輸入ファイター』の異名をとるノブ ハヤシ(ドージョーチャクリキ・ジャパン所属)は観る者に強い印象を残すキックボクサーである。
1月19日にニューヨークで行なわれたLヘビー級ノンタイトル戦、ロイ・ジョーンズ対ティト・トリニダードは、戦前に予想された通りの内容、展開、結末となった。 「過去のヒーロー対決」とも陰口を叩かれたこのカード。3年にも及ぶブランクの影響かやはりトリニダードの動きにはキレがなく、中盤以降は体格とスピードに勝るジョーンズが難なく試合をコントロールしていった。結局、ジョーンズが大差判定で勝利。余りに想定通りの流れとなり、波乱の無さが物足りなかった人も多かったかもしれない。
スノーボードハーフパイプ界期待のホープ・青野令選手(松山城南高校2年)。愛媛・東温市内の屋内スキー施設「アクロス重信」を拠点に力をつけ、昨季のスノーボードワールドカップ(以下W杯)男子ハーフパイプで、日本人初の総合優勝という快挙を成し遂げた。 2010年バンクーバー五輪での表彰台を目指す青野選手に二宮清純がインタビュー。スノーボードを始めたきっかけ、バンクーバーへの意気込みなどを訊いた。
日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返っての思い、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道へ思いを熱く語った。(最終回)
今季のNFLシーズンも大詰めを迎え、あとは各カンファレンスのタイトルゲームとスーパーボウルを残すだけとなった。 歴史に残る快進撃を続ける大本命ペイトリオッツ、現役最高のRBラデイニアン・トムリンソンを擁するチャージャーズ、英雄ブレッド・ファーブが絶好調のパッカーズ、そして無印からの快進撃を続けるジャイアンツ……ここまで勝ち進んできたチームにはそれぞれ見所が盛りだくさんである。 近年にないドラマチックなシーズンとなった今季――。最後の関門を勝ち抜き、夢舞台スーパーボウルに辿り着くのはいったいどのチームなのか。
RHR(Record Holding Republic)という世界中の記録を集めた本の08年度版に掲載される日本人がいる。もちろん数人はいるであろうと思われるが、その中に私の知人が掲載されるというので早速、本人に聞いてみた。その記録はなんと「最長遠泳記録」で「湖で82キロ」を泳いだというものだ。「82キロ」って泳げるものなのか?
日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返っての思い、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道へ思いを熱く語った。(第2回)
日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返って、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道への思いを熱く語った。
2007年は残念ながら米スポーツ界にとって素晴らしい年ではなかった。 MLBワールドシリーズ、NBAファイナルは共に盛り上がらぬままスイープ決着。NFLスーパーボウルも内容に乏しかった。最終決戦がどれも凡戦で終わったため、それぞれのシーズンはどこか引き締まらない形で幕を閉じることになったのだ。それだけならまだしも、昨年の真のハイライトは各競技のフィールド外からわき上がった数々の醜聞だった。 07年は、人呼んで「Cheater(詐欺師)たちの年」。その言葉通り、スポーツ界から様々な形での規則違反者が続発したのだ。
春夏連続の甲子園出場、加えて選抜では優勝投手となった久保尚志は、プロのスカウトからも注目される存在だった。しかし、彼は自ら進学を希望した。 「その年から大学への進学を表明した選手をドラフトで指名することはできなくなりました。僕がプロを志望すれば指名されていたかもしれません。でも、自分がプロになれるとは全く思えなかったんです」
「優勝が夏だったら、最高だったのに……」 次々と押し寄せてくるプレッシャーの波に耐えながら、久保尚志はそう心の中でつぶやいていた。 春の選抜で初出場初優勝を果たした観音寺中央高校。大会後はマスコミにも大きく取り上げられるようになり、新聞や雑誌には必ずと言っていいほど『春夏連覇』の4文字が躍った。そんな中、久保はチームに違和感を感じ始めていた。
12月15日、MLBが激震に見舞われた。 元上院議員のジョージ・ミッチェル氏が責任者となってまとめられた禁止薬物調査「ミッチェル・レポート」がついに公開。その中で、約90名ものメジャーリーガーたちが過去の禁止薬物使用者として公表されたのだ。 ロジャー・クレメンス、アンディ・ペティート、ミゲル・テハダ、エリック・ガニエ……そこには多くのビッグネームも含まれていたため、アメリカでも当然のごとく絶大な反響と興味を呼んでいる。
12月3日の朝、翌日から海外に行く事もあり、やること山積状態でパソコンに向かいMailチェック。と、驚くべきNewsが入っていた。 「田山寛豪がワールドカップ優勝!?」 正直、読み間違いかと目を疑った。しかし、何度読み返してもはっきりとそう書いてあるではないか。これまで日本人がワールドカップで優勝した事はなく、男子においては今年に入ってトップ10入りさえなかった状態。関係者でさえも、優勝を夢見てはいたが、予想すらできなかっただろう。なのに、いきなりの優勝。喜びよりも驚きの方が大きかったというのが本当のところだ。
決勝の朝を迎えた。エース・久保尚志はここまで3連投を含む4試合に登板。疲労は蓄積し、体はズシリと重かった。だが、彼の心は喜びに満ち溢れていた。その理由は前日まで激痛が走っていた右肩の回復にあった――。
「広いなぁ……」 第67回全国選抜高校野球大会。開幕前の練習で初めて甲子園の土を踏んだ久保尚志は、その広大さに圧倒された。スタンドで待機していた時にはテレビで観るよりも小さく感じ、なんだか“おもちゃ”のように思えた。ところが、いざグラウンドに降りると、そこはまさに“マンモス球場”だった。
11月に開幕した世界最高のバスケットボールリーグ・NBAは、今季も例年通りの激しい戦いを続けている。 最近では日本ではすっかり注目度が落ちてしまったが、スピード感と躍動感に溢れるNBAのアメリカでの人気は健在。今季には新たな躍進チーム、スター選手も飛び出し始め、その盛り上がりに拍車をかけている。6月のファイナルを迎えるまで、今後も数々の華やかなシーンを生み出して行ってくれそうだ。 それにしても、これほどエキサイティングで楽しいスポーツなのに日本での露出が少ないのは何とも寂しい。そこで今回は、今季のNBAにまつわる話題の中から、幅広い人気獲得をテーマとしたトピックを集めてみたい。久々のNBA人気爆発に向け、必要なものは……?
「香川県立観音寺中央高校」 高校野球ファンにとっては、思い出深い名である。1995年の全国選抜高校野球大会。春夏ともに一度も甲子園に出場したことのなかった観音寺中央は待望の初出場を果たした。1回戦を勝ち、勢いに乗った同校はあれよあれよという間に決勝に進出した。決勝の相手は古豪・銚子商業(千葉)。試合前、誰もが銚子商の勝利を信じて疑わなかった。ところが、紫紺の優勝旗を手にしたのは観音寺中央だった。しかも、4−0の完封勝ち。 当時、古豪を零封した優勝投手は今もなお、白球を追い続けている――久保尚志、30歳。現在、鷺宮製作所硬式野球部に所属している。
サッカーへの意識の高さ、精神面の強さは、長友の特長の一つといえるだろう。 中学時代のサッカー部監督である井上博氏(現新居浜市立北中教諭)は、こう振り返る。 「一言で表せば、サッカーに対する意識の高い選手でしたね。どんな練習でも手を抜くということがなかった。それに、年を追うごとに気持ちが強くなっていった。技術面が高いというのはあったけれど、それ以上にメンタル面の強さが際立っていましたね」
「長友と初めて会った時? 実はね、あまり強い印象はないんですよ。入部したての時は、特長がよくわからない選手だった。東福岡高校時代のこともそれほど知らなかったんです。極端な言い方をすれば、無名の選手でした。彼の高校時代の先輩には『こういう特長があって、面白い選手ですよ』と聞いていたんだけど、最初に見た時は『悪くはないけど、モノになるまでには時間がかかるかな』と思ったのを覚えています」 明治大学サッカー部の神川明彦監督は、長友が部に入ってきた2年半前を振り返り、こう続けた。 「でもね、それからメキメキと頭角を現していったんですよ」
11月10日の土曜日は、アメリカでボクシングを取材する記者たちにとって近年で最も忙しかった日として記憶されるだろう。 まずは午後からニューヨーク・ミッドタウンのホテルで盛大な記者会見が開かれ、来年1月18日にロイ・ジョーンズ対ティト・トリニダードの試合が挙行されることが正式発表された。
今年の体育の日、福島県のいわき市で「スパトライアスロン」が開催された。と言っても、これが何なのか理解できる人はほとんどいないだろう。無理もない、温泉とトライアスロンの融合であるこのスポーツが開催されたのは世界初なのだから……。 「林道トレッキング、温泉ウォーク、湯上りジョギング」この3種目を続けてやるから温泉トライアスロンというネーミング。確かに意味としては間違っていないけど、これを競技するってどういう事?
ある人物との出会いが長友のサッカー人生を大きく変えた。 「先生がいなかったら? 今の自分はなかったでしょうね。そのぐらい大きな影響を受けましたよ」 地元の西条北中に入学した長友は、恩師といえる人物と出会う。それが長友の入学と同時に西条北中に赴任して、サッカー部監督を務めた井上博氏(現新居浜市立北中教諭)だった。
07年6月6日、北京五輪2次予選最終戦(第6戦)マレーシア戦。 1人の大学生が聖地・国立競技場のピッチで躍動した。彼の名は長友佑都。明治大学体育会サッカー部3年生。170センチと小柄だが、身体能力が高く、1対1の強さに定評のある攻撃的サイドバックである。 「まさか国立の舞台でやれるなんて……。俺って本当に幸せ者やなって思いましたね」 長友は噛み締めるようにして言った。
10月29日、デンバー国際空港でのこと――。 ワールドシリーズの取材を前日に終えた筆者は、コロラドからニューヨークへのフライトを待っていた。すると背後から、レッドソックスファンの男性の電話口での話し声が聴こえて来た。 「第4戦の9回裏には、まだ何か悪いことが起こるんじゃないかと気が気じゃなかったよ。レッドソックスファンの悲しい性だ。だけど、何もないまま試合は終わった。どうやらこのチームは変わったようだね……」
直前の怪我の影響で「不完全燃焼」に終わった「第8回オープントーナメント全世界空手道選手権大会」(03年10月)後、野本は肉体改造に踏み切った。 「減量して中量級に出るくらいなら、練習で苦しんで大きいヤツと戦った方がいい」と、174センチ、84キロの体格ながら、100キロ以上の巨漢がひしめく重量級(80キロ以上)で戦ってきた野本だったが、何試合も行うトーナメントでは、やはり体重での不利を痛感せざるを得なかった。