第60回 ひょうたんから“大駒”となるか(広島・大瀬良大地)

 バリバリのメジャーリーガー黒田博樹の8年ぶりの復帰もあり、開幕前には優勝候補と目された広島カープが低空飛行を余儀なくされている。  6月22日現在、30勝35敗でリーグ5位。35敗のうち逆転負けが19もある。リリーフ陣が安定していない証拠だ。

華麗なW杯の裏でFIFA会長選の暗闇 <後編>

 アベランジェの金城湯池だった南米は、その票田をすべてブラッター会長が引き継いだかたちになっているが、北中米カリブサッカー連盟のワーナー会長とブレーザー事務総長は「職権を逸脱して北中米カリブサッカー連盟会長選挙に介入した」としてブラッター会長にゼンルフィネン事務総長の解任を求めた。この動きをブラッターの差し金だと見る向きは少なくない。  まさに、永田町も真っ青の泥々の密室政治劇。陰謀、裏切り、賄賂……、何でもありのFIFAワールド。会長選挙が行われるソウルは反ブラッターグループの急先鋒である鄭夢準氏のおひざ元でもあり、いわばブラッター会長にとってはアウェーでの戦いになる。ハヤトゥ氏が強気になるのも無理はない。

第696回 外国人タッグチームマイベスト10

 1+1が3にも4にもなる。それがプロレスのタッグチームの魅力である。  相棒ディック・マードックとのコンビ“テキサス・アウトローズ”で一世を風靡したダスティ・ローデスが11日、急逝した。死因はアウトローらしく「自宅近くで転倒した」というものから「腎不全」まで報道によってまちまちだ。

第59回 再選が一転、疑心の4日天下(ゼップ・ブラッター)

 元ブラジル代表FWで、1994年アメリカW杯のMVPロマーリオは国際サッカー連盟(FIFA)をして「サッカー界の汚職の総本山」と呼ぶ。  ロマーリオといえば、現役時代は「悪童」のニックネームが示すように、何かとトラブルを引き起こすことで有名だったが、引退後は政治の道を志し、現在はブラジルの上院職員である。

華麗なW杯の裏でFIFA会長選の暗闇 <前編>

 再選からわずか4日での退陣表明だ。去る5月29日、国際サッカー連盟(FIFA)会長選で5期目の当選を果たしたゼップ・ブラッターだったが、その4日後に緊急会見を開き、辞意を表明した。FIFA幹部経験者が複数逮捕される贈収賄事件が明らかになり、ブラッター会長自身にも捜査の手が及ぶと言われている中での電撃辞任。しかし、FIFAの金銭をめぐる疑惑が浮上したのは今回が初めてではない。ブラッターが2選目を果たした2002年の会長選でも、それは起こった。当時の原稿で、なんでもありの権力闘争を振り返り、FIFAの闇に触れてみよう。

第694回 FIFAの醜聞「最後の伏魔殿」 〜ブラッター緊急辞任〜

 ディスクローズが大原則の国際機関や国際組織にあって、これほど透明性の悪い組織は近年、他に思い浮かばない。皮肉を込めて言えば、いっそのこと「最後の伏魔殿」として、ユネスコが定める「無形文化遺産」に登録を申請してみたらどうか。もちろん「負の遺産」として。

第693回 カープ、得失点差トップだけど最下位なんでだろう〜

 ♪なんでだろう〜、なんでだろう〜。日常生活の何気ない疑問を独特のギターのリズムに乗せて踊りながら問いかける「テツandトモ」を久しぶりにテレビで見かけた。赤いジャージの中本哲也と青いジャージの石澤智幸。出で立ちも芸風も昔のままだった。

サッカーの時間 田嶋幸三

 日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三副会長が、この4月、国際サッカー連盟(FIFA)理事に当選した。田嶋は4年前にも立候補したが、落選しており、2度目の挑戦で要職を勝ち取った。5月末のFIFA総会で正式に承認されれば、小倉純二JFA名誉会長以来、4人目の日本人FIFA理事となる。田嶋はこれまでアンダー世代の日本代表監督を歴任し、JFAの技術委員長を務めるなど、日本サッカーの強化・育成に尽力してきた。今後はFIFA理事として、アジアの競技力向上に意欲を見せる。田嶋が抱くビジョンを、13年前の原稿で振り返る。

第691回 “詐欺”や“偽計”もスポーツの一部

 ファイトマネーもケタ違いなら、損害賠償の請求額もケタ違いである。「世紀の対決」として注目を集めたフロイド・メイウェザーとの世界ウェルター級王座統一戦で1億ドル(約120億円)ものファイトマネーを手にしたマニー・パッキャオが、右肩の故障をネバダ州のアスレチック・コミッション(NAC)に報告しなかったことを理由に、試合後、2人の男性から500万ドル(約6億円)以上の損害賠償を求める訴訟を起こされた。

第690回 「浪花節」貫いた阿修羅原のプロレス人生

 長ドスを手にした高倉健が天龍源一郎なら、橋の袂で暗闇からニョッと現われる池部良が阿修羅原――。まるで映画『昭和残侠伝』のような入場シーンだった。1991年8月9日、SWS1周年記念興行。横浜アリーナでの“龍原砲”の2年9カ月ぶりの復活戦は未だに忘れられない。

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