“頭脳派”の異才 古田敦也<後編>

 プロから指名されなかった古田は社会人野球のトヨタ自動車に進む。これが結果的には吉と出た。  日本代表メンバーに選ばれ、1988年のソウル五輪に出場。日本代表では野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男らそうそうたるピッチャーのボールを受けた。 「これは自信になりました。というより“何で、コイツらがプロに行ってないんや?”と思ったものです。皆、ストレートは楽に150キロ前後出るし、変化球はビュッと曲がる。西村龍次や、湯舟敏郎もドラフト1位ですけど、彼らですら、あの頃の日本代表には常時、入っていませんでしたから」

第678回 「本気」時短へ球界全体で危機感共有を

 またしても掛け声倒れに終わるのか、それとも今度こそ成果をあげることができるのか。「3時間以内(9回)」を目標に掲げるNPBの熊崎勝彦コミッショナーが、キャンプ視察先の宮崎で試合時間短縮の必要性を熱弁した。 「6時に試合が始まり、9時くらいには終わって家に帰れるのが理想。野球は終盤の7、8、9回がおもしろい。それを見ずして(家路につく)ファンは気の毒。9時までに終われば地上波の放送枠にも収まる。(試合時間短縮を)私は本気で取り組む」

第677回 大鵬なら横綱としての言動を指摘したのでは

 大横綱から「子供が見てもわかる相撲」とまで言われれば、勝負審判も声を上げないわけにはいかない。満座で恥をかかされたようなものだ。ビデオ室に詰めていた錣山親方は、こう反論した。「白鵬の右足甲がつくのが早かったが、稀勢の里も両足が浮いて死に体。何度もスローで確認した。取り直しが妥当」

“頭脳派”の異才 古田敦也<前編>

 今年度の野球殿堂入りが発表され、プレーヤー表彰では元東京ヤクルトの古田敦也がただ1人選ばれた。古田は1990年にドラフト2位でプロ入り。攻守にわたる扇の要として、ヤクルトをリーグ優勝5回、日本一4回に導いた。大学、社会人経由では初の2000本安打を達成し、MVP2回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回、首位打者1回と、数々のタイトルを手に入れた。現役生活の18年で、古田はかつて自らのプロ入りを阻んだ「眼鏡をかけたキャッチャーは大成しない」という球界の迷信を見事に払拭した。球史に残る名捕手の技と頭脳に触れてみよう。

第676回 “できないことでは悩まない”達人の思考

「私の履歴書」といえば、日本経済新聞の名物連載である。元日からは王貞治・福岡ソフトバンク会長が登場している。  数多くのアンタッチャブル・レコードを保持している王だが、通算四球2390、通算故意四球(敬遠)427という記録は、この先、どれだけプロ野球が続いても、まず抜かれることはあるまい。ちなみに通算四球2位は落合博満の1475、敬遠2位は張本勲の228。王の足元にも及ばない。

第675回 震災から20年「がんばろうKOBE」もう一度

 6434人の死者を出した阪神・淡路大震災から20年の節目の今年、オリックスが勝負に出た。補強に総額約42億円もの大金を投じたのは、球団の優勝に懸ける意気込みの表れである。  埼玉西武の元主砲で米国で、昨季まで2年間プレーしていた中島裕之、2010年の打点王・小谷野栄一(前北海道日本ハム)を相次いで獲得し、新外国人もトニ・ブランコ(前横浜DeNA)、ブライアン・バリントン(前広島)と実績のあるところを揃えた。

第573回 親分肌vs.職人肌 凄腕投手コーチ

 プロ野球における名投手コーチと言えば、真っ先に頭に浮かぶのが元中日コーチの権藤博である。  中日、近鉄、ダイエー、横浜、中日とのべ5球団でコーチを務めた。  1998年にはバッテリーチーフコーチから監督に昇格し、チームを38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた。

不世出の大横綱 大鵬幸喜

 一気に“父”を超えられるか。大相撲初場所で横綱・白鵬の幕内優勝最多記録の更新が懸かっている。先の九州場所では32回目の賜杯を手にし、“角界の父”と慕う大横綱・大鵬の記録に並んだ。大鵬といえば、約10年もの間、角界の頂点に立ち続け、昭和の時代を彩った象徴的存在である。V9を達成した巨人とともに、子供たちの好きなものの代表として「巨人・大鵬・卵焼き」と称されるほど、抜群の人気を誇った。名横綱の圧倒的な強さがうかがえるエピソードを、2005年の原稿で振り返る。

第49回 マイナスから黄金期へ駆け上がる(原晋)

「当然、今回も(総合優勝を)狙いに行くんですけど、実際のピークは次なんですよ。今回はプレッシャーが少ない中で、勝てればいいなと……」  箱根駅伝の3週間前、青山学院大学陸上競技部の原晋監督は東京・町田の合宿所で、そう語った。  総合優勝を狙えるだけの力は身に付けた。しかし、まだウチが本命だと言い切れるだけの自信はない――。そんなニュアンスだった。

第673回 運命と闘い続けた日系人野球チームの画家

 サンフランシスコを本拠地としたフジアスレチックスは米国における日系人初の野球チームと言われている。このチームは強く、ゲームが終わりに近付くと、すぐ球場から逃げ出せるようにと用具類など荷物をまとめてベンチの隅に置くのを常とした。なぜなら、負けたチームが腹いせとばかりに襲いかかってくることがままあったらからである。日系人への偏見が、その背景にはあった。

第671回 bjとNBLにまず“温かいスープ”を

 10年も離れて暮らしていれば、空白の時間を埋めるのは容易ではない。元よりこの2人は、人生観も違えば、金銭感覚も異なるのだ。どうすれば元の鞘に収まるのか。  仲違いしたどこかの夫婦のことを言っているのではない。世間を騒がせているbjリーグとNBLのことだ。片や地域密着を理念とするプロリーグ。片や社威発揚、福利厚生を前提とする実業団が主流のリーグ。どこまで行っても水と油の関係だ。

第48回 たる募金からカープ女子まで

「カープは“たる募金”から生まれた市民球団。そんなファンの善意が実って選ばれた賞。ただの流行ではなく、これからも続いていく。来年は絶対に優勝したい」  広島カープを熱烈に応援する女性ファンを表す「カープ女子」が、その年、話題になった言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」年間トップ10に選ばれた。  先のセリフは、授賞式での広島県出身のモデル大井智保子から発せられたものだ。

Back to TOP TOP