上位進出が期待されたブラジルW杯、日本代表はグループリーグで敗退してしまいました。 あと一歩のところでゴールを割れないシーンを見て「釜本邦茂がいればなぁ……」とつぶやいたオールドファンは少なくなかったのではないでしょうか。
パ・リーグの?争いは福岡ソフトバンクとオリックスの“2強”に絞られた観がある。 開幕前から下馬評の高かったソフトバンクは当然として、オリックスのここまでの奮闘を予想した評論家は少なかったのではないか。
ブラジルW杯が開幕する前のことだ。元日本代表GKの小島伸幸に「GKにとって最も必要な条件は何か?」と質した。 「一番は人間性です」 意外な答えが返ってきた。 「GKは失点した場合、全部、それをひとりで背負い込なければならない。そこで他人のせいにしていたら、仲間から信頼されないんです。当然、仲間からの信頼がなければ、共同作業もできない……」
立場こそチャンピオンだが、実質的にはチャレンジャーと言っていい。下馬評は圧倒的に不利だ。 ボクシングWBC世界フライ級王者・八重樫東が4度目の防衛戦に迎える相手はWBA世界ミニマム級、同ライトフライ級元王者のローマン・ゴンサレス。9月5日、東京・代々木第二体育館で対戦することが決まった。
ブラジルW杯・グループリーグにおけるベストゴールのひとつと言っていいだろう。決めたのはオーストラリア代表FWのティム・ケーヒルだ。 対オランダ戦。0対1で迎えた前半21分、DFライアン・マクゴーワンからの後方からのクロスに合わせ、ケーヒルは左足を鋭く振り抜いた。
創設4年目でのファイナル進出の立役者は弱冠20歳、身長167センチのポイントガード(PG)富樫勇樹だった。 bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)の2013−2014シーズンファイナルは琉球ゴールデンキングス(沖縄・ウエスタンカンファレンス王者)が秋田ノーザンハピネッツ(イースタンカンファレンス王者)を103対89で下し、2季ぶり3度目の優勝を果たした。
大久保嘉人、岡崎慎司、本田圭佑、香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗、齋藤学、大迫勇也――。 人事はメッセージである。サッカーのブラジルW杯を戦う日本代表メンバー23人中、8人をFWとして登録したのは、標榜する攻撃サッカーを貫くとのアルベルト・ザッケローニ監督の毅然とした意思表示だろう。
6月に開幕するブラジルでのサッカーW杯を「自分の成長を確かめる意味で楽しみ」と語る代表選手がいる。ドイツ1部リーグ(ブンデスリーガ)のハノーファー96でプレーするサイドバックの酒井宏樹だ。 酒井といえば185センチの長身をいかした右サイドからのダイナミックな攻め上がりが持ち味。ゴールに直結する“高速クロス”は日本代表の秘密兵器でもある。
かつて、高原直泰は日本最強のストライカーだった。ジュビロ磐田時代の2002年には得点王、ベストイレブン、リーグMVPに輝いた。W杯にはドイツ大会に出場した。 ドイツで6シーズンに渡ってプレー、フランクフルト時代の06〜07シーズンは11得点を記録した。
東京ヤクルトの西浦直亨が横浜DeNAとの開幕戦でプロ初打席初ホームランを記録した。これは史上55人目の快挙だ。 ルーキーでの開幕戦初打席アーチとなると1950年の戸倉勝城(毎日)に次いで史上2人目。しかも初球を打ったのは史上初だった。
ソチ冬季パラリンピックで、日本は海外開催の冬季パラリンピック史上最多タイの3つの金メダルを獲得した。そのうちの2つがアルペンスキー(座位)の滑降とスーパー大回転を制した狩野亮だった。
さる3月9日に行なわれた名古屋ウィメンズマラソン。35・7キロを過ぎたあたりで早川英里、田中智美から遅れ始めた時には、「日本人最先着」は無理かと思われた。 失速の理由は左太腿裏のしびれ。15キロ過ぎから異変を感じていたという。 しかし木崎良子は諦めなかった。懸命に追走し、40キロ手前で2人に追いつくと早川とのし烈な3位争いを制して、「最低限の目標」に掲げていた日本人トップでゴールに飛び込んだ。
日本を代表するゴルファーである青木功が、プレーヤー部門で「日本プロゴルフ殿堂」入りを果たした。 式典で71歳の青木は「私に引退はありません。引退しないことを、ここで宣言しますよ」と張りのある声で語った。 「自分にとってゴルフは天職。これしかないと決めているんです。だから、現役はいつまでと決めてしまったら寂しいですよ。いつか、ゴルフができなくなる時が必ず来る。その時に悔いが残らないよう、1日1日、1年1年を大切に過ごしていくつもりです」
日本代表が初めて出場したワールドカップ――1998年フランス大会での日本の守りは海外のメディアからも高い評価を受けた。井原正己とともに最終ラインを統率したのが秋田豊である。 初戦のアルゼンチン戦ではエースストライカーのガブリエル・バティストゥータを徹底してマーク。世界屈指の点取り屋と堂々のマッチアップを演じた。
冬季五輪と言えば、真っ先に思い出すのが1998年の長野大会、ノルディックスキー・ジャンプ団体戦での日の丸飛行隊の金メダルだ。 長い間、スポーツの現場にいるが、あれだけ痛快な大逆転劇は、なかなかお目にかかれるものではない。
スピードスケートの500メートルは、文字どおり1000分の1秒を争う究極のタイムレースである。距離にすると1・5センチ程度だ。 スタートの出遅れは、そのまま致命傷となる。 1998年長野五輪金メダリスト、02年ソルトレイクシティ五輪銀メダリストの清水宏保ほどスタートにこだわった選手を、私は他に知らない。
「彼女がメダルを獲ることは間違いありません。問題は何色かでしょう」 そう語るのは冬季五輪に5大会連続で出場し、98年長野五輪スキージャンプ団体で金メダルに輝いた原田雅彦である。 彼女――高梨沙羅の最大の長所はどこか。
残り2試合で、首位・横浜F・マリノスとの勝ち点は5差。横浜はひとつでも勝てば優勝だったのに対し、3位・広島は負けはもちろん、引き分けすらひとつも許されないという過酷な状況。これを引っくり返しての優勝だからミラクルと言っていいだろう。
「あれぐらい、はっきり言うと皆、期待しちゃうよね。逆に少々、心配になりましたよ。IOCの会長が、あそこまではっきり言っちゃって大丈夫なのかなって……」 言葉の主は福岡ソフトバンクの王貞治球団会長。続けて、こうも言った。 「僕は2006年のWBCで日の丸をつけて戦った経験(日本代表監督)があるんだけど、普段は日の丸なんて意識していないのに、いざつけるとその重みを実感できるんです。若い選手たちが、本当に純粋に野球をやってくれた。日の丸の力というのは、これはもう想像以上でしたね」
2020年東京オリンピック・パラリンピックに関する洪水のごとき報道に埋もれている観はあるが、前年の19年に日本ではラグビーW杯が開催される。ラグビーの盛んな欧州と南半球の地域以外では、初めてのW杯開催だ。
名人は、ちょっとしたGKの動きも見逃さなかった。 「最初はファーサイドにフワッとしたボールを蹴ろうと思っていた。ところが助走の瞬間、GKが半歩前に出てきたので、思いっきり強いシュートを(ニアサイドに)打ったんだ」
2004年から11年までの8年間、中日の監督として4度のリーグ優勝と1度の日本一を達成した落合博満が球団初のゼネラル・マネジャー(GM)に就任した。 来季からプレーイングマネジャーとしてチームの指揮を執る谷繁元信を後方から支える。
今では元プロレスラーと紹介するより、女子レスリングのアテネ、北京五輪銅メダリスト・浜口京子の父親と紹介した方が通りがよいだろう。 2020年夏季オリンピック・パラリンピック開催都市が東京に決まった際も、その翌日、レスリングが20年大会の実施競技に選ばれた際もアニマル浜口(本名平吾)はテレビに引っ張りだこだった。
「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました」 さる9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで行なわれた2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市を決めるIOC総会。最終プレゼンテーションに登場したパラリンピック陸上選手の佐藤真海は、こう切り出した。 「19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしまいました」
球団創設9年目。東北楽天の初優勝が見えてきた。 マジックナンバーは点いたり消えたりの状態だが、9月9日現在、2位・千葉ロッテに6ゲーム差の首位。8月22日には三木谷浩史オーナーが星野仙一監督に続投を要請した。