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スポーツ、輝きの瞬間

第41回 幻のスラッガー 〜1978,April〜

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 阿久沢毅という野球選手の名前は、余程の高校野球ファンでない限り知らないだろう。かつて私は彼を「高校野球史上最強打者」に指名したことがある。 もしプロの世界に身を投じていれば、プロ野球史に名を残すよう
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第40回 陸連に勝った女 〜2000,January〜

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 速いのは高橋尚子、強いのは弘山晴美。現役時代の二人にはそんなイメージがある。 2000年1月30日、シドニー五輪選考を兼ねた大阪国際女子マラソン。弘山は37キロ過ぎでトップに立ち、レースを引っ張った
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第39回 ラストファイト 〜1973,January〜

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 ボクシングで若者に勇気を与えたという点では、おそらく彼が一番ではないか。元WBA世界フライ級王者・大場政夫。私の世代の男子で、彼のファイトに影響を受けなかった者はいないといっていい。 1973年1月
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第38回 虎が眠りからさめた日 〜1985,April〜

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 1985年にはこの国を揺るがす大きな出来事が3つあった。第一にプラザ合意。日本は米国の対日貿易赤字解消のため、円高ドル安政策を受け入れざるを得なかった。円高不況を回避するため、日銀は低金利政策を実施
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第37回 小さな大打者の後ろ姿 〜1977,June〜

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 現役時代、「小さな大打者」の異名をとり、監督としても2001年にヤクルトを日本一に導いた若松勉が野球殿堂入りを果たした。 通算打率3割1分9厘――。これは4000打数以上のバッターの中では日本人最高
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第36回 狂気のマスクマン 〜1963,May〜

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 視聴率64%ということは、単純に計算して日本人の6割以上がこの試合を見ていたということだ。テレビがあまねく普及していない時代のこととはいえ、驚異的な視聴率だ。 1963年5月24日、東京体育館。力道
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第35回 8連覇ならず 〜1996,January〜

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 前半が終わった時点で、神戸製鋼の敗退を予想する者は、少なくともサントリーの関係者を除いてはひとりもいなかっただろう。11対3。神戸製鋼にとっては思い通りの展開だった。 1996年1月28日、全国社会
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第34回 カリスマの死 〜1994,May〜

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 1994年5月2日(日本時間)の未明。熟睡していた中嶋悟は「何か嫌な予感を感じて」フッと目が覚めた。「とりあえずテレビでも見ようか……」 テレビをつけた瞬間、中嶋の目にクラッシュシーンが飛び込んでき
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第33回 マウンド上の悔し涙 〜1999,October〜

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 マウンド上で涙をこぼしながら投げたのは後にも先にも上原浩治ひとりではないだろうか。 1999年10月5日、神宮球場。ヤクルト対巨人戦。7回1死無走者の場面だ。得点は5−0で巨人5点のリード。マウンド
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第32回 乾坤一擲のセーフティバント 〜1998,October〜

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 横浜を自由契約となった石井琢朗の広島入りが決まった。来季から赤ヘル軍団の一員として新球場でプレーする。38歳の経験と頭脳は、チームにとって大きな財産となるはずだ。 石井といえば忘れられないのが199
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