日本シリーズ連覇を狙う巨人とチャンピオンフラッグ奪還に燃える西武。1990年の日本シリーズは、相撲でいえば横綱同士の対決となった。
アステカ・スタジアムには10万人を超える大観衆が集結していた。もちろん全員が地元メキシコのサポーターだ。異様な空気がスタジアムを包んでいたことは想像に難くない。
一世を風靡したプロレスラー、ビル・ロビンソンの代名詞といえば「人間風車」だ。得意技のダブル・アーム・スープレックスで、弧を描くように相手を宙に舞わせ続けた。華麗なる大技を駆使する一方で、シュートレスリングにも滅法強く、誰からも一目置かれた。
プロ入団以来、優等生だった清原和博が牙をむき出しにしたことがある。 1989年9月24日、西武球場。ロッテ・平沼定晴の140キロ台のストレートが左ヒジを直撃した瞬間、清原の血相が一変、握り締めたバットを“加害者”目がけて投げつけたのだ。
「きょう限りで引退させて頂きます」 寝耳に水だった。 その一言で報道陣は騒然となった。 2004年6月8日。 びわこ競輪「第55回高松宮記念杯」(G?)を制した直後、松本整の口から衝撃的な引退発言が飛びだした。
横浜ベイスターズの工藤公康は現役最年長のプロ野球選手である。これまでの戦績は577試合に登板し、222勝135敗3セーブ、通算防御率3.40。奪三振2824。日本シリーズでは25試合に登板し、8勝5敗3セーブ、防御率2.29。奪三振102は史上最多である。
ラスベガスの太陽は容赦というものを知らない。強い西日のなかに数十分も身を置いていると、体のなかの血液が沸騰していっているような錯覚にとらわれる。
神様、仏様、大黒様――。 今から3年前のことなのに、もう随分昔のことのように感じられる。それだけサッカー日本代表を取り巻く環境は目まぐるしいスピードで動いているということだろう。
野坂昭如さんは大好きな作家だが、小説を読むようになったきっかけは新聞に出たコメントだった。多くの識者が凡戦と評する中、野坂さんだけが「あんな緊張感のある試合は初めて観た」とのコメントを寄せたのだ。「この人はスゴイ!」。高校1年生だった私は直感的にそう思った。
「クンロク(9勝6敗)大関」と揶揄されたが、貴ノ花ほど土俵をわかせる相撲をとった力士は他に知らない。まさに「横綱を超えた大関」だった。
カルロス・サラテといえば「KOアーティスト」の異名を欲しいままにしたバンタム級史上に残るハードヒッターである。そのサラテからWBC世界バンタム級王座を奪ったのがルペ・ピントールである。
「こんな島国で頂点に立てない人間が、世界の頂点に立てるわけがない」。異端のマラソンランナー中山竹通がそう言い切ったのは1987年12月6日のことだ。
オールスターゲームといえば、真っ先に思い出すのが江夏豊(当時阪神)の9連続三振だ。田舎でテレビ観戦していたが、記録達成後、江夏が左手を高々と突き上げたシーンは今でも鮮明に覚えている。
ミュンヘン五輪と聞けば、真っ先に頭に浮かぶのがパレスチナ武装勢力「黒い九月」によるイスラエル選手団襲撃事件である。犯行グループは選手村に侵入して、イスラエル人選手を人質にとった。
「何が起こるかわからない」のがサッカーではあるが、まさか“世紀のジャイアントキリング”を目のあたりにすることになるとは――。
夏といえば甲子園。私にとって甲子園での最大のスターといえば太田幸司(三沢)。では最大の怪物は、といえば江川卓(作新学院)である。
この時、私は2歳だから、もちろんこの試合は覚えていない。しかし「吸血鬼」の恐ろしさは身に染みて知っている。テレビで試合を観た日はこわくてひとりでトイレに行けなかった。
この国の野球人は24年前の快挙をもっと誇ってもいいのではないか。 1984年8月7日、ロサンゼルスのドジャースタジアム。ロス五輪野球決勝。公開競技とはいえ、日本は米国を6対3で破り、金メダルを獲得した。
バルセロナ五輪、柔道71キロ級決勝。赤旗2本が上がった瞬間、古賀稔彦は両の拳をしっかりと握り締め、空を見上げて「ハァーッ!」と叫んだ。同時に大粒の涙が頬をつたった。1992年7月31日のことだ。
サッカーの日韓戦は54年の歴史を誇る。これまでの戦績は日本代表の11勝36敗20分け。日本からすれば、まさに「赤い悪魔」だ。
長いことプロ野球を観ているが、腰も抜かさんばかりに驚いたのは、他に記憶がない。1969年6月15日、東京・後楽園球場。巨人−中日9回戦。3回2死無走者の場面で“事件”は起きた。
1971年10月31日、28歳の決して若くはないボクサーに世界挑戦(スーパーウェルター級)のチャンスが訪れた。チャレンジャーの名前は輪島功一。日雇い労働者から身を起こした苦労人だ。
1990年5月27日。 第57回日本ダービー。 レース後、東京競馬場には「ナッカッノー、ナッカッノー」の大シュプレヒコールがこだました。
オリンピックは4年に1度巡ってくる。オリンピックが近付くたびに思い出すのがソウル五輪競泳男子100メートル背泳ぎ決勝だ。
1975年10月15日。その日は「生涯最良の日」と言っていいかもしれない。 広島カープは球団創設以来26年目にして、初めてのペナントレース制覇に向けてマジックを1としていた。