JFL第6節が行われた4月13日、気持ちよく晴れた沖縄県総合運動公園陸上競技場では、ちょっとした“事件”が起きていた。 日本で行われた、日本のチーム同士の試合だったにもかかわらず、日本人の取材陣は少数派だったのである。 多数派を占めたのは、マレーシア人だった。
あらためていうまでもないことだが、ゴールシーンはサッカーというスポーツにおける最大のクライマックスである。素晴らしいトラップやパス、ドリブルは見逃しても、ゴールシーンだけは絶対に見逃すまいとするのがファン心理であり、ピッチの外からレンズを向けるカメラマンの心理でもある。
いささか気の毒な気がする。もし日本がWBCで3連覇を達成していたら、こんなにも「なぜ、いま?」といった反応が出てくることもなかっただろうに。ともあれ、これで国民栄誉賞は4回続けてスポーツ界から生まれたことになる。
完敗だった。敗因は3つある。 ひとつはまず油断。何しろ、最初の対戦では6―0で勝っている相手である。チーム力はもちろんのこと、個々の能力においても大差があると考えた選手がいたとしても、わたしには責められない。
状況が劇的に変わったのは、いわゆる“ドーハの悲劇”からだろうか。あの予選を機に、W杯予選はサッカーマニア以外の人たちからも注目を集めるようになった。つまり、サッカーがマイナーであるという世界的に見ると極めて珍しい日本の状況が変わり始めたのは、Jリーグの発足とほぼ同じ20年近く前ということになる。
21年前、マレーシアの首都クアラルンプールは活気に溢れつつも牧歌的な雰囲気を存分に残した街だった。この街で開催されたバルセロナ五輪アジア最終予選に出場した日本代表は、中国、韓国、カタールに完敗し、6チーム中5位という無残な成績で大会を終えた。
磐田の前田にシーズン最初の得点を決められたチームはJ2に降格するという“デスゴール伝説”が話題になっている。
今年の元日、国立競技場のゴール裏を埋めつくした柏のサポーターはまず「KASHIWA」という巨大な人文字を造り上げ、次にそこから3文字を消した。残ったのはAとSとIとA。天皇杯決勝を前に、彼らは勝者に出場権が与えられるアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)への思いをスタンドに刻んだのである。
先日、ラジオの番組にゲストとして呼ばれた時の話である。リスナーの方から質問をいただいた。 「本田選手はどうしてCSKAモスクワから移籍しないんですか?」 なるほど、言われてみればもっともな疑問である。確かにここ近年、ロシア・リーグのレベルは急速に上がってきている。欧州リーグでイングランドやスペイン、イタリアのチームを破るのももはや驚きではなくなった。選手の年俸も相当に高い。ただ、いまや日本を代表する選手となった本田ならば、もっと上のステージ、クラブで戦ってもいいのでは、と考えるファンがいるのも不思議ではない。
レスリングが五輪から除外されるというニュースには驚かされた。なにしろ、第1回大会から行われてきた伝統の競技が大会から消えるのである。不利を予想された競技のロビー活動が効いたという声もあるが、投票をしたIOCの委員にとっても予想外の結果だったのではないか。当然、レスリング側からは死に物狂いの巻き返し工作がなされるはずで、問題の完全決着はまだ先の話になるだろう。
試合数の増加による過密日程が問題となる現代サッカーにおいて、3カ月の空白というのは考えうる最長のブランクと言っていい。
いまはどうだかわからない。だが、10数年前、その大学のサッカー部ではグラウンドを整備するのは1年生の仕事だった。米国からの帰国子女として入学した青年には、それが理解できなかった。なぜそんなことをしなければならないのか。サッカーの上達とはまるで無関係ではないか――。
日本円にして1杯60円ぐらいの安いグラスワインを飲みながら、2人でため息をついたことを思い出す。96年4月のことである。
いまや平成に入って四半世紀が経(た)とうかという時代である。学校での体罰を全面的に支持する人は相当な少数派になりつつあるに違いない。大阪の市立高校バスケ部で体罰による自殺者が出たあと、世論が「体罰けしからん」という声一色に染められたのは、当然といえば当然のことである。
バルセロナを退団し、ニューヨークで家族とともに休養中だったグアルディオラが、監督業に復帰する意思を明らかにしたという。 今後の具体的な行き先については、マンチェスターの2チーム、チェルシー、ブラジル代表などが候補としてあげられていたが、ブラジル代表についてだけは、本人が否定的な考えを明らかにしたとされる。
昨年最後のコラムで「女子に比べて男子は」と書いたのだが、新年早々、また同じことを書くハメになってしまった。 あまりにも情けない天皇杯の決勝戦、いや、ガンバの戦いぶりだった。先制されてからの極端な意気消沈ぶりは、驚きを通り越して衝撃的ですらあった。弱いのは、押し込まれるのは仕方がない。なにせ、彼らはJ2に降格するチームなのだから。だが、リードを奪われて迎えた終盤にシュートを打とうとする気概さえ見せず、自陣での無意味なパスを繰り返すのには恐れ入った。
皇后杯の決勝は素晴らしい試合だった。マスコミの扱いは勝った神戸の側に集中していたが、個人的には敗れた千葉の選手、スタッフに最大限の賛辞を贈りたいと思う。試合が手に汗握る展開になったのも、劇的なエンディングとなったのも、千葉の信じられないほどの奮闘があればこそ、だった。
今年もあと10日あまりとなった。 スポーツ界、サッカー界にとって今年最大のイベントと言えば、やはりロンドン五輪だっただろう。4年前、国威発揚型に大きく逆戻りした五輪という大会は、今年のロンドンを機に再び新たな方向へと舵(かじ)を切った。06年のW杯ドイツ大会で明確に打ち出された、「試合以外の時間と空間をいかに充実させるか」という方向性である。
日本では『キッカー』の名前で知られるドイツのスポーツ紙『キッカー・シュポルトマガツィーン』の本社は、ニュルンベルクにある。首都ベルリンでも、南部の大都市ミュンヘンでも、経済の大動脈フランクフルトでもなく、南部の地方都市にすぎない(オペラ好きには怒られるかもしれないが)ニュルンベルクにある。日本でいうならば、全国展開をしている大新聞の本社が、東京から遠く離れた地方都市に居を構えるようなものである。
専門誌でガンバの担当をしていたJリーグ初年度、鹿島戦の試合後にいまならば絶対にしない類いの質問をしたことがある。 「ガンバの10番は非常に才能を評価されている選手なのですが、どんな印象を持たれましたか?」
20年もやっていると、現存しているルール、システムが未来永劫続くような気分になってくる。新しいやり方に対するアレルギーも強まる。今季から昇格、降格に関する新たな方式を取り入れたJリーグにも、賛否両論さまざまな声が寄せられていたと聞く。それだけに、J2プレーオフの盛り上がりと、ファイナルでの劇的な結末には、溜飲を下げる思いだった人もいたに違いない。
日本ハムが来季のヘッドコーチとして高校野球の監督を招聘したというニュースが大きく伝えられた。元プロ野球選手とはいえ、いきなりそんな大役を任せて大丈夫なのか。彼を慕って入学した生徒たちの今後はどうなるのか――等々、今後、様々な意見が出てくるのは間違いない。ただ、個人的には、日本ハムという球団が下した今回の決断には、最大級の賛辞を贈りたいと思う。
負けなくて良かった、というしかない。内容も決定機の数も、明らかに優勢だったのはオマーンの方だった。日本が相手よりも勝っていたのは、勝負に対する執念と、幸運の総量だった。前半10分の決定機。決められないために日本がやったことは何もない。ただ、相手が信じられないようなミスをしてくれただけ。ポストを叩いたボールがGKにあたり、それでもゴールラインを割らないというのもちょっとあることではない。
吹きつける風が冷たさを増し、今年も年末が迫ってきたことを実感する。熱かったロンドン五輪の記憶も、はや少しずつセピアの色を帯びつつある。
先日、セルジオ越後さんの来日40周年記念パーティーがあったので顔を出してきた。川淵三郎氏がJリーグの器をつくった最大の功労者だとしたら、越後さんは器を満たす選手を育てた功労者の一人である。さらにいうなら、彼がいなければ、いまでは少しも珍しいことではなくなった監督や選手、協会への批判は、依然としてタブーであり続けていた可能性が高い。20周年記念パーティーにも出席させていただいた者の一人としては、60周年記念パーティーの招待状が届く日を楽しみにしたいと思う。