その他スポーツ
8月8日に開幕する北京五輪の日本代表選手団結団式と壮行会が7月28日、都内ホテルで行われた。 結団式の決意表明では、日本選手団の主将を務める柔道男子100キロ級代表の鈴木桂治(平成管財)が、「オリンピック北京大会に日本選手団として参加することを誇りに思い、栄光を勝ち取る決意を持ち、各国選手と友好を深め、世界平和に貢献することを誓います」と力強く宣言した。 日本選手団は、北京五輪で実施される28競技のうち26競技に出場。2004年アテネ五輪を上回り史上最多となる576人(選手339人、役員237人)が派遣されることとなった。
2005年4月、ヘルシンキ世界選手権イヤーのシーズンに入ったばかりの頃だった。練習中、中野は着地でバランスを崩し、足首の靭帯を切る怪我に見舞われた。 「ボキッと音が聞こえたので、折れたのかと思ったら、靭帯でしたね。あんな音がするんだなと・・・・・・。それで半年を棒に振ってしまいました」 日本選手権に出場できず、世界選手権代表も叶わなかったが、手術、リハビリ期間を経て、半年後の8月に競技復帰を果たした。
「『日本新』という文字だけが出ている感じで、あまり実感がなかったですね」 高校3年時から、日本新記録を幾度となく樹立した当時を、中野はこう振り返る。 東京学芸大1年時の97年にも、3メートル80の日本新記録を出し、日本人初の4メートル超えを期待されたが、その後、怪我の影響もあり、伸び悩んだ。 「1、2年生の頃は、体重が増えたり、怪我が多かったりと悪循環でした。ハードルのときから腰痛はあったんですけど、技術的にも不安定な部分がたくさんあったので、腰に負担がかかって怪我にもつながってしまった」
ニューヨークで行なわれた今季のMLBオールスターゲームは、様々な意味で歴史に刻まれる大熱戦となった。 両リーグを代表する投手たちが揃って好投を見せ、試合は決着のつかぬまま延長戦に突入。史上最長試合、最多奪三振、最多残塁、最多出場選手といった多くの記録を塗り替えた末に、最後は延長15回裏にアメリカンリーグがサヨナラ勝ちを飾った。ヤンキースタジアム最終年に開催された球宴に相応しく、劇的で華やかなゲームだったと言って良い。
現在、毎夜ツールドフランスの中継を担当している。今年は絶対的な本命がいないので、大混戦模様が続き、近年にない面白さ。フランス人選手が元気な事もあって、フランス国内でも盛り上がっているようだ。
温暖な瀬戸内の香川・観音寺市で生まれ育った中野は、幼少の頃から外で遊びまわるなど活発だった。 「身体を動かすのは、子どもの頃から好きでした。3歳上の姉にくっついて近くの公園で遊んだり、ブロック塀を平均台代わりにして、上を走ったり(笑)」 小学校の頃には持ち前の運動神経で、数々のスポーツ大会に借り出されたという。陸上の大会にも出場し、60メートル障害で香川県大会で上位に入るなどこの頃から能力の高さを発揮していた。
卓球で“日本のエース”といえば、女子の福原愛を想像する人が少なくないだろう。しかし、男子にも日本卓球界を牽引する若きエースが誕生した。水谷隼、19歳。伸び盛りの才能は、すでに世界の舞台で、次々とトップ選手を倒している。北京オリンピックでは日本卓球界初の表彰台も狙える存在だ。五輪に向け、最終調整に励む平成生まれのホープを二宮清純が直撃した。
北京五輪陸上競技の日本代表選手選考を兼ねた日本選手権(川崎市・等々力陸上競技場)初日の6月26日に行われた女子棒高跳び――。 朝から降っていた雨は決勝の試技が始まる午後3時にはあがっていたが、気温は上がらず、長袖の上着が必要な肌寒さを感じる日となった。 五輪参加標準記録Aの4ートル45を跳んで優勝すれば五輪代表に内定するが、この種目のA標準突破者はまだ出ていない。大会前には、4メートル36の日本記録を持つ錦織育子(出雲市陸協)、昨夏の大阪世界選手権代表の近藤高代(長谷川体育施設)、そして一昨年にこの大会で優勝を果たした元日本記録保持者・中野真実(今治造船)のB標準(4メートル30)突破者による三つ巴戦が予想されていた。
北京五輪卓球日本代表選手団の壮行会が5日、東京の代々木第2体育館で行われた。男子、女子計6名の代表選手全員が登場し、エキシビジョンマッチなどで会場を沸かせた。卓球競技での日本人初メダルの獲得が期待される福原愛は「北京では悔いの残らないようにがんばって、笑顔で帰ってきたい」とファンの前で本番への意欲を語った。
MLB2008年シーズンもほぼ折り返し地点を迎え、球界の祭典・オールスターゲームが間近に迫っている。今年の球宴の舞台となるのは最終年を迎えた殿堂・ヤンキースタジアム。まさに夢舞台と言える歴史的オールスターに、現時点で4人のジャパニーズの名前が出場選手候補として挙がっている。 この中から何人が実際に選ばれるかは分からないが、候補とされるだけでも名誉なこと。そこで今回は、シーズン前半でそれぞれ存在感をみせた4人の軌跡を振り返っていきたい。
「高知県出身初のVプレミアリーグ選手」 これが長山拓未の目標だ。実現できるかどうか、まだそれほど自信はないという。だが、それはただの謙遜にすぎない。長山が所属する中央大学男子バレーボール部は、全日本大学選手権で最多となる12度の優勝を誇る名門だ。現役4年、主将の福澤達哉は16年ぶりの五輪出場を決めた植田ジャパンのメンバーに選出され、将来は日本のエースとして嘱望されている。そんなレベルの高い中大でも、長山は2年ながら既にレギュラーの座を獲得している。やはり彼の力は本物だと言っていいだろう。
「3年間で一番忘れられない試合です」 高校最後の春高での敗戦は最も印象深く長山の心に刻み込まれている。 「勝てる試合だっただけに、悔しかったですよ。ここ1本という時に、取るか取られるかで勝負が決まる。そのことを痛感させられた試合でした」 その時の悔しさは今も消えてはいない。
リーグを代表する人気チーム同士の対戦となり、近年最大の注目を集めた今季のNBAファイナル。結果はボストン・セルティックスがロスアンジェルス・レイカーズを4勝2敗で下し、通算17度目の王座に就いた。 シリーズが決着した第6戦のアメリカ国内でのテレビ視聴率は2000年以来最高を記録。戦前の期待通りファイナル中には数々のドラマティックなシーンが生み出され、スポーツファンを歓喜させてくれた。
オリンピックイヤーはスポーツに関する話題が多いものだが、今年の水泳界は選考よりも水着問題で持ちきりとなった。 選手のパフォーマンスそっちのけで盛り上がる世論に、北島康介選手は「I am the swimmer 泳ぐのは僕だ!」というTシャツで登場しての抗議。結局、スピード社製などの日本水泳連盟が契約を結んでいる3社以外の水着の着用を認めることで落ち着きを見せた。
中学でも全国の壁を破ることができなかった長山拓未は、さらなるレベルアップを求めて高知高校へと進学した。もちろん、県外の高校から誘いがなかったわけではなかった。だが、長山は高知県きっての期待の星だ。みすみす手放すはずはない。 「県外の高校からも、長山を欲しいという声はありましたよ。でも、高知にとっては宝でしたからね。私としては県内の高校で、開花してほしいという思いがありました。とはいえ、私が断固として拒んだわけではないんですよ。県外の高校の監督も私たちが、どれだけ長山を大事に思っていたか、もうわかっていましたから」。中学時代の恩師・小笠原健一先生はそう言って笑った。 長山本人もまた、そうした地元の期待をひしひしと感じていたのだろう。県外留学ということは微塵にも考えなかった。
小学6年で既に身長175センチ。加えて全国大会に出場したこともあって、高知県内では「長山拓未」という名は、将来有望な選手として知れ渡っていた。その長山の素質をいち早く見抜いていたのが、今も長山が尊敬してやまない高知中学男子バレーボール部顧問の小笠原健一先生だった。
メジャー6年目を迎えた松井秀喜に異変が起こっている。 過去、日本ではパワーヒッター、メジャーでは中距離打者として名を馳せて来たゴジラ松井が、今季はなんと首位打者争いに加わっているのだ。
北京五輪男子体操の日本代表に決定している期待の新星・内村航平(日体大)が5日、在籍する日本体育大学で会見を行った。男子代表6名中最年少の19歳の内村は、多くの報道陣に囲まれ緊張の表情だったが、「出る種目はノーミスでやって、個人総合でも決勝に残りたい」などと五輪への意気込みを語った。
「こんにちは」 そう声をかけられて振り返ると、196センチの長身の学生がいた。顔を上げなければ、目線が合わないほどの高さだ。だが、並んで歩いていても威圧感は微塵も感じられなかった。 「(大学の)HPでの写真よりも髪の毛が短くなっていますね。最近、切られたんですか?」 そう声をかけると、彼は「はい、切りました」と照れたように笑った。優しい目が印象的だった。 中央大学2年、長山拓未。彼は高知バレーボール界きっての期待の星である。
堂上が野球を諦めきれない理由――そこにはNPBを相手に互角に戦えているという自信がある。昨秋、アイランドリーグ選抜の一員として参加したフェニックスリーグ、堂上は東北楽天戦で2本の本塁打を放った。打った相手は青山浩二と一場靖弘。いずれも1軍で結果を残している投手だ。
5月はスポーツに最適な季節。そんなこともあってか、各地で自転車イベントが頻繁に開催されている。海外ではイタリアを1周する「ジロ・デ・イタリア」が開催され、世界のトップサイクリストが凌ぎを削っている。国内でもツアーオブジャパンが開催、1週間にわたって熱い戦いが繰り広げられているし、丸の内ではスプリントイベントが開催されたり、佐渡島や東京の荒川で大規模なサイクリングイベントが開催された。そう、5月は「自転車月間」なのだ。
堂上の強肩ぶりを物語るエピソードがある。高知ファイティングドッグスとの試合のことだ。1塁にリーグ盗塁王の経験もあるYAMASHIN(山本伸一)が出塁した。YAMASHINは、するするとリードをとって足場を固めている。「どこかで走ってくる」。マスク越しに堂上はランナーの気配を感じていた。
近年最高の盛り上がりをみせた今季のNBAもいよいよ大詰め――。 最終決戦プレーオフも後半に差し掛かり、ベスト4の座をかけた争いも佳境に入った。6月に行なわれるファイナルに向けて、強豪チームが連日凌ぎを削り、米スポーツファンをエキサイトさせ続けている。
「僕の野球人生にとって大きなポイントになりました」 それは6年前の春のことだった。大学3年生を迎える堂上に、転機とも言える出来事が訪れる。高知・春野で実施された西武の春季キャンプにアマチュア選手の代表として派遣されることが決まったのだ。
プロ卓球選手。 日本でたったひとりの肩書きである。 正式に言えばレジスタード・プロプレーヤー(認定プロ選手)。日本卓球協会が86年に競技者規定を設けて以来、初めてその適用を受けた。「日本では自分ひとりしかいないでしょう。だから使命感はありますよ。いい成績を残し、賞金を稼がなければ、後に続く人が出てこなくなる。卓球のステータスを上げるためにも、自分が頑張らなければいけない」 きりっとした口調で、松下浩二は言った。