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岡田晴菜が柔道の世界に入ったのは、ひょんなことがきっかけだった。 「小学5年生の時に親友に誘われて、なんとなく始めました」 もともと運動が大好きだった岡田。陸上や水泳は得意だったが、武道とは無縁の環境で育った。柔道を見るのもやるのも初めて。それでも見学に行くと、すぐに柔道の魅力にとりつかれた。 「意外に激しくて、おもしろそうだなと思いました」 表情や口調はおっとりとしている岡田だが、間近で感じた柔道のパワーとスピードに胸が高鳴った。
2007年、岡田晴菜は帝京大学女子柔道部に入部した。実は当初、高校を卒業後は就職を考えていた。大学進学はほとんど頭になかったという。しかし、全国大会にも出場するほどの彼女を大学側が放っておくはずはなかった。入部のオファーは2校。地元の松山東雲女子大学と東京の帝京大だった。果たして岡田が選択したのは、一代で全国の強豪校に築き上げ、何人もの代表選手を育て上げた稲田明監督率いる帝京大だった。
今春の実現が待望されたフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオ戦は、交渉の最終段階まで来て消滅。「スーパースターウォーズ」はひとまずお蔵入りとなり、全世界のファンを落胆させてしまった。 ただ、その代わりに、両雄はそれぞれウェルター級を代表する強豪を相手に「代替戦」を行なうことを発表。まず来週末にパッキャオが元IBF世界ウェルター級王者ジョシュア・クロッティと、さらに5月第1週にはメイウェザーが3階級制覇王者のシェーン・モズリーと対戦する。
「今年は大爆発するんじゃないかと、非常に期待しているんですよ」 日本女子柔道界きってのスーパースター谷亮子の育ての親として知られる稲田明帝京大学女子柔道部監督が大きな期待を寄せている選手がいる。3年生の岡田晴菜だ。彼女は昨年6月に行なわれた全日本学生柔道優勝大会(5人制)の優勝メンバーの一人。初戦の徳山大学戦で次鋒を務め、見事一本勝ちを収めた。 「将来はオリンピック代表になれるくらいの素質をもっている」と稲田監督。名伯楽がイチオシする岡田晴菜とは――。
パ・リーグ審判員として順調にキャリアを積む津川は、プロ野球選手としての経験がプラスになったと感じている。多くの同僚がアマチュア球界などで審判としての経験を積んできた中、比較的キャリアの浅い津川が公式戦の他に、クライマックスシリーズやオールスターゲームなど重要な試合を任されている。やはりこれは、プロでの経験が土台にあってこそだろう。
2月14日にダラスで開催された今季のNBAオールスターゲームには、バスケットボール史上最多の108,713人の大観衆が集まった。 昨年オープンしたばかりのカウボーイズスタジアムは噂通り豪華絢爛な見事な建物だった。そして、その大球場が立錐の余地もないほど埋まった様は壮観で、雰囲気は荘厳に感じられたほど。 試合前やハーフタイムにはアリシア・キーズ、ネリー、シャキーラら豪華ゲストも登場。彼らのパフォーマンスも素晴らしいもので、大イベントに大きな華を添えてくれた。会場に居合わせたすべての人間は、この夜のことを生涯忘れないに違いない。それはNBAからファンに贈られた、とびきりスウィートなバレンタインデーの贈り物だったと言ってよい。
タイ北部のトレイルを走ってきた。素敵なトレイルが沢山あるタイの山間部、チェンライを中心に行われた「チェンライ国際MTBチャレンジ」に参加してMTBを堪能。日本からも80人が参加し、大いに盛り上がった。
1999年10月にヤクルトスワローズから戦力外通告を受けた津川は、現役の道を摸策するべく入団テストに臨んだ。受けたのは西武ライオンズとオリックスブルーウェーブの2球団。藁にもすがる想いで現役続行に向けて行動を起こした。しかし、結果は両チームともに不合格。津川のプロ野球選手としての生活は26歳の若さで幕を下ろした。
高校2年の夏、高知県大会決勝で高知商業に敗れた明徳義塾高校野球部には大きな変化が訪れる。新しい監督が就任したのだ。30代の青年監督は、熱い指導で選手たちを鼓舞した。 「とにかく勝ちにこだわる監督でした」。当時の監督の印象を、津川はこう振り返っている。
春季キャンプ開始も間近に近づき、MLB各チームのオフの補強策も9割方が終了。そして今季に関しては、昨季王者ヤンキースの動きに少なからず疑問を呈す声が地元ニューヨークでも多い。 ツールの多いカーティス・グランダーソン、昨季ブレーブスのエースとして活躍したハビアー・バスケスを補強したまではまだ良かった。だが松井秀喜、ジョニー・デーモンという昨季の優勝に貢献したクラッチヒッターたちを積極的に引き止めず、代わりに獲得したのは故障の多いニック・ジョンソン、峠を越えたランディ・ウィン。トータルで見ても近年と比べてかなり地味な動きに終始したまま、オフ戦線を終えようとしているようにも見える。
2月に入り、プロ野球ファンの心躍る時期になってきた。間もなく始まる新しいシーズンに向けて、各球団が一斉にキャンプ地へと入り開幕へ向けて始動する。 新シーズンに備えるのは選手やファンだけではない。1月下旬、寒空の神宮球場にはセ・パ両リーグの審判団が集結していた。プロ野球を支える彼らも着々とトレーニングをこなしている。
「サイン、見えてんのか!?」 マウンドに歩み寄り、キャッチャーマスクをとった古田敦也は怒っていた。2006年4月12日、横浜スタジアムの横浜対東京ヤクルト。ルーキーピッチャーの高木は唇をかみしめながらベンチへ駆け足で退いた。何が何だかわからないうちに終わったプロ初登板だった。
年末年始のスポーツニュースで俄然注目を集めたのがタイガーウッズ。それがいつものゴルフに関することでなく、プライベートのゴシップネタ。単なる自動車事故のはずが、浮気ネタへ。さらには愛人が何人も出てきて、ついには同性愛疑惑や異常性愛者のような話まで出てきた。まあ、ここまできたら何が本当で、何が嘘なのかわからないし、判断のしようもないが、なんらかの火種はあったことは間違いないのだろう。本人も静かに反省の時を過ごしているようだ。
転機は21歳になる秋に突然やってきた。大阪体育大学に進学し、3年生となっていた高木は阪神大学リーグのマウンドに上がっていた。試合は敗色濃厚。「今日は負けやなぁ」。キャッチャーとそんな会話を交わしていた。「後は適当に投げたらええやん。フォークでも投げてみるか」。当時、高木の主な持ち球はストレート、カーブにスライダー。フォークボールは投げたことがなかった。人差し指と中指にボールを挟み、腕を思い切り振ってみた。ボールは途中までストレートと同じ軌道で進み、打者の手許でストンと落ちた。「意外に落ちるやん」。この遊び半分で投げた変化球が右腕の運命を大きく変えることになる。
新球場・シティフィールドが華やかにオープンして迎えた昨季は、メッツのフランチャイズ史上でも最も重要なシーズンと言われた。 ヨハン・サンタナ、デビッド・ライト、ホゼ・レイエス、フランシスコ・ロドリゲス(K−ロッド)ら攻守に役者が揃い、戦力も充実。『スポーツイラストレイテッド』誌の開幕前予想でも世界一候補の筆頭に推された通り、実り多き1年となる可能性は高いと目された。 だが……フタを開けてみれば、夏場には早くもプレーオフ戦線から脱落し、最終的には70勝92敗と惨敗。主力から故障者が続出したとはいえ、あまりにも不甲斐ない戦いぶりに終始した。一般的にライバルと目されるヤンキース、フィリーズがワールドシリーズに進出したことまで考慮すれば、2009年はメッツにとって球団創設以来最低の1年だったと言ってよかったかもしれない。
高木が野球を始めたのは小学校3年生の時だ。「友達がやっていて、楽しそうだから1回行ってみようかなって感じでした」。実際にやってみると、ボールを遠くへ飛ばす楽しさに惹かれた。もともと体が大きかったため、ボーイズリーグでは投手も任された。これが高木の原点である。
2009〜10年のNFLシーズンも大詰めを迎え、今週末からついにプレーオフの戦いに突入する。 今季は絶対的な本命が存在せず、サンディエゴ・チャージャーズ、インディアナポリス・コルツ、ダラス・カウボーイズらが横一線との下馬評。予断を許さない激戦が1回戦から続きそうだが、そんな群雄割拠の中で、最もドラマチックな流れでこのプレーオフにたどり着いたのがAFC第5シードのニューヨーク・ジェッツである。
2009年夏、プロ入り4年目の高木啓充はヤクルト2軍の本拠地、戸田で投げていた。プロに入って3年間、1軍で何度か登板機会はあったが、白星はなし。1軍は巨人、中日と優勝争いを展開しており、実績のない投手に昇格のチャンスが訪れる雰囲気は全くなかった。 「このままクビになるのかな」 正直、オフに非情の通告を受けることも覚悟していた。その後の就活もリアルに考えざるを得なかった。
「木村志穂」の名が世界のテコンドー界に知れ渡ったのは2005年7月のことだ。オーストラリアで開催された第14回世界テコンドー選手権。木村は女子型2段の部で見事3位になった。初めて世界の舞台で表彰台の上に立った木村。世界の頂点に一歩、近づいた瞬間だった。
2000年8月2日、全国高校総体第2日、陸上女子100メートル障害予選。9組スタートの木村志穂はもてる限りの力を出し、走りきった。しかし6位で予選落ち。彼女は陸上界から身を引くことを決意した。 「陸上は頑張った結果、日本一になることができなかった。自分の限界を感じたんです。テコンドーならもっと大きな舞台に行けるチャンスがあるのかなと」 やるからには頂点を極めたい。木村は自分の能力を開花させる場所は、陸上ではなく、やはりテコンドーだと感じていた。しかし、約1年半のブランクは決して小さくはなかった。2年ぶりに出場した全日本選手権。それまでは必ず決勝に進出していた木村が、まさかの初戦敗退。それも完敗だった。
12月14日の夕方ごろのこと。『スポーツ・イラストレイテッド」誌の記者からのメールで、松井秀喜のエンジェルス移籍が決定的になったことを知った。 「俺の言った通りだったじゃないか!」 その記者は11月に雑誌の企画で行なった「松井去就予測座談会」に参加してくれていて、松井のエンジェルス行きを予想していたのだ。しかし筆者はそんな得意気なメールを軽く読み飛ばすと、すぐにスポーツサイトで彼のメールが真実であると確認し、そしてしばし呆然としてしまった。
近年、ブームともいえる広がりを見せるマラソン。東京マラソンを筆頭に、国内マラソン大会はどこも盛況。皇居周辺や大阪城など、都会のランニングスポットは渋滞さえしてしまう勢いだ。そのマラソンブームの元祖といえばホノルルマラソン。つい10数年前までは初心者のマラソンチャレンジといえば「ホノルル」と決まっていた。そのホノルルマラソンも今年で37回目。日本人参加者が半数以上を占める海外マラソンとして、独特の歴史を築いてきたが、ここ数年は確実に変化の兆しが見受けられる。
グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイトにて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは現在、元横綱・隆の里の鳴戸親方、東濃厚生病院アレルギー呼吸器科部長の大林浩幸先生との対談後編を公開中です!
「テコンドー」と「陸上」。それが高校時代、木村志穂の生活の基盤だった。彼女はテコンドーでは世界一を、そして陸上では高校日本一を目指し、学校と道場に通う毎日を送った。タイプの全く異なる競技だが、「メンタル面で大きく左右されるという部分はテコンドーも陸上も同じ」と木村は言う。陸上のトレーニングで身についた瞬発力がテコンドーに生かされたとも感じている。だが、やはり二足のワラジをはくのは想像以上に困難を極めた。
2009年10月、ロシア・サンクトペテルブルクでテコンドーの世界選手権が開催された。そこで堂々の銀メダル(女子型三段の部)に輝いたのが木村志穂である。4年前の05年、木村は世界選手権で初めて表彰台(銅メダル)に上がった。世界一の座がいよいよ見えてきたと思ったのも束の間、ヒザの靭帯を断裂。2度の手術を乗り越え、今年再び世界の舞台へと戻ってきた木村。今度こそ世界の頂点を極めようと、仕事と両立させながら、練習の日々を送っている。