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「オレって、なんて幸せ者なんだろう……」 レフトの守備についた田中幸長の目には涙が溢れていた――。 2007年6月17日、大学野球の聖地、明治神宮球場では全日本大学野球選手権決勝戦が行われていた。
田中幸長が野球を始めたのは、4、5歳の頃だった。3つ上の兄がリトルリーグに入って野球をやっているのを見て影響されたのか、物心ついたときには兄の真似をしてバットを振っていたという。 「両親は、特に野球が好きだったわけではなかったのですが、おじいちゃんの部屋でよく甲子園を一緒に観ていた記憶があります。甲子園での高校球児や兄を見て憧れたんでしょうね。早く自分もリトルリーグに入ってやりたくて仕方ありませんでした」
7月14日、アトランティックシティに1万人近い観衆を集めて行なわれた再起戦で、アーツロ・ガッティは痛烈なKO負けを喫した。 これで2試合連続、ここ4試合でも3度目のKO負け。ドラマチックなファイトでアメリカのボクシングファンを楽しませ続けてくれたガッティだが、すでに多くのものを失ってしまったと見るべきか。 動きにキレがなくなった。心は折れなくても足が動かなくなった。自慢だったパンチ力と馬力も減退したように見える。もう、潮時である。 「次はファンの1人としてこの場所に戻って来たい」 試合直後、ガッティはそう声明を発表。あしかけ16年のボクシングキャリアの終焉、現役引退を表明した。
「毎年開催されているスポーツイベントの中で、最大規模のものはなにか?」 日本人でこの質問に正確に答えられる人は少ないかもしれない。サッカー? 野球? いやいや答えは「ツール・ド・フランス」。そう、毎年7月に3週間かけてフランスを一周する自転車レースだ。
「オレ、早稲田で野球やるわ」 2003年7月28日、地方大会決勝で宇和島東は今治西に敗れ、田中幸長の夏が終わった。結局、一度も甲子園の土を踏むことはできなかった。 そんなある日、母親に進路について聞かれた。何のためらいもなく自然と田中の口から出てきたのが先の言葉だった。
オールスターブレイクが近づいても、ヤンキースの不振は続いている。 7月4日の時点で39勝42敗、首位レッドソックスまで12ゲーム差。投手が良いときは打つ方が貢献できず、打線が点を取ったときは投手がそれを守りきれない。攻守がまったく噛み合わず、ここ10年以上も経験がないような悲惨な状況に陥ってしまっている。 10年連続の地区優勝はおろか、ワイルドカードでのプレーオフ進出にすら絶望感が漂い始めている今日この頃だ。
「早稲田、33年ぶり日本一!」 2007年6月17日、東京・明治神宮球場で行なわれた全日本大学野球選手権大会決勝、早稲田大学が東海大学を4−1で下し、全国制覇を果たした。 9回裏、2死。最後の打者のバットが空を斬った瞬間、早稲田の選手たちが満面の笑みをこぼしながらマウンドへと駆け寄る。誰彼となく抱き合って喜ぶ選手たち。その大きな円の中央には背番号「10」の姿もあった。 早稲田大学野球部97代目主将、田中幸長だ。
「残念だけど、辞めてもらうことになった」 2006年11月、前田真宏は2年間所属した四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツから解雇を言い渡された。入団1年目の05年は先発として20試合に登板したが、06年は(先発は)わずか6試合。成績だけを見れば、解雇も考えられなくはなかった。だが、前田自身はピッチャーとして自分の成長を感じていた。それだけに、納得することはできなかった。解雇の理由を聞くと「人間性がまだ甘い」と言われた。その言葉を聞いた瞬間、前田は愛媛への未練を断った。
ダンスは動きが激しく、スポーツに通じるものがある。その固有感覚や、身体のメンテナンスなど、ダンサーと話をしていても共有できるものが多い。ところが、フラダンスはどうだろう。あのスローで優雅なアクションを見ているとアクティブとは言いにくい感がある。ところが、最近は力強く斬新なフラがあり、アメリカ本土で話題を呼んでいるのだとか。そんなハラウ(ハワイ語で教室の意味)が日本にやってくると聞いて、持ち前の好奇心がむくむくと…日本公演に確認しに行った。
中学の総体で県大会ベスト4となり、その立役者となった前田真宏の元には、愛媛県内外のいくつもの高校から誘いの声が掛けられた。実際に02年の選手権大会で初の全国制覇を成し遂げた高知・明徳義塾高や、熊本・有明高、愛媛・帝京第五高などの練習や試合を見に行ったりもした。どの高校もナイター設備や室内練習場が完備され、まさに野球をやる上では理想的な環境が用意されていた。
この1カ月強の間に、世界ボクシング界にとって重要な意味を持つ2つのタイトルマッチが行なわれた。 まずは5月5日、ここ10年間で最大規模の興行となったWBAジュニアミドル級タイトル戦、フロイド・メイウェザー対オスカー・デラホーヤがラスベガスで華々しく挙行された。そして先週末の6月9日には、WBAウェルター級タイトル戦、ミゲル・コット対ザブ・ジュダーが、マジソンスクウェア・ガーデンを大いに湧かせた。
前田真宏の家族は全員、大の巨人ファン。両親はもちろん、今は亡き祖父母も夕食時にはプロ野球のテレビ中継を観るのを日課としていた。母方の祖父などは、巨人が負けるとふさぎ込んでしまうほど熱烈なファンだったという。
2007年4月28日、四国アイランドリーグに続く国内2番目に誕生したプロ野球独立リーグ、北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)が開幕した。現在、新潟アルビレックスBC、信濃グランセローズ(長野)、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4球団が初代チャンピオンを目指して、各地で熱い戦いが繰り広げられている。
MLB通算本塁打記録更新に目前まで迫ったバリー・ボンズが、5月の最終週にニューヨークを訪れた。 ある程度予想されていたことではあったのだが、このメッツ3連戦でのニューヨーカーのボンズに対する反応は極めてネガティブなものだった。「まるでコンサートみたいだね」とボンズ本人も30日に語った通り、打席に立っても、守備についても、轟音のようなブーイングがその周囲を絶えず飛び交ったのだ。
プロ2戦目の舞台となったのは、女子格闘技の草分けと言われる『SMACK GIRL』のリングだった。 5月19日、東京・歌舞伎町の新宿FACEにて開催された『SMACK GIRL2007〜最強はUSAだと女王は言った〜』。メインは高橋洋子(巴組)×アリシア・ミーナ(米国)の第3代スマックガール無差別級女王決定戦。このイベントで、中井は第3試合に登場、真武和恵(和術慧舟會東京本部)と対戦した。
自分の思いつくまま公共施設などでトレーニングをしながら、アマチュアの格闘技の試合に出ていた中井が、現在、指導を受ける宇佐美文雄コーチと出会ったのは、昨年の夏だった。 宇佐美は、かつてアマチュアレスリング選手として活躍、その後はプロ総合格闘家として「WILD宇佐美」のリングネームで、プロ修斗のリングなどで戦ってきた。
ヤンキースが不振に喘いでいる。 4月を終えた時点でアリーグ東地区の最下位に沈んだチームは、5月に入ってもなかなか浮上のきっかけを見出せない。首位を快走する宿敵レッドソックスにはすでに8.0ゲーム差(5月15日現在)。早くも地区10連覇に黄信号が灯り、地元ニューヨークにも危機感が漂っている。 もっともヤンキースは2年前にも、11勝19敗のスタートから逆転で地区優勝を飾ったことがあった。そんな実績を背景に楽観論を唱える向きも多い。だが今季の場合には具体的な中身を見ていっても、彼らの前途はかなり多難に思えてくる。今回はその不振の要因、さらに先行きが暗いと思える理由を3つピックアップして見ていきたい。
このところ、自転車関係の話題が社会を賑わせている。 まず、自転車が車道を走るべきであるという見解が警視庁から出され、30年ぶりに道交法の改正を進める予定らしい。これに合わせて、国土交通省は自転車道を整備する方針を発表。また、時期を同じくして初の自転車危険走行に対する取り締まりが始まった。良くも悪くも自転車の置かれている社会的ポジションが変化してきた象徴的な出来事と行って良い。
松山南二中には柔道部がなく、中井は週に3日、道場の稽古に通った。その中で、1年生のころから全国中学大会に出場し、3年のときには女子48キロ級で5位に入った。 「道場での週に3回の練習で全国5位になれたから、じゃあ高校で毎日やったら、もっと上に行けるんじゃないかな、と」
昨年10月1日、大阪・梅田ステラホールで開催された総合格闘技イベント「パンクラス2006 BLOW TOUR」。メインには、パンクラスのライトヘビー級タイトルを持つ同団体のエース・近藤有己が登場したこの大会、第2試合「パンクラスアテナ(女子部門)」で、柔道出身、当時19歳の中井りん(現所属・修斗道場四国)が、伊藤あすか(パンクラス稲垣組)戦でプロデビューを果たした。
開幕から1ヶ月弱が経過した4月27日―――。 昨冬に松坂大輔のレッドソックス入りが決まった直後から待望された対決が、この日についに実現した。 伝統の宿敵同士の主力選手として、松坂と松井秀喜が雌雄を決する。 2回裏、聖地ヤンキースタジアムのマウンドに松坂が上がり、打席には松井秀喜が立った。第1球が投じられたとき、球場中で炊かれた多数のフラッシュのおかげで、一瞬目の前が見えなくなった。
運命の時――天野は落ち着いていた。前日もぐっすり眠れた。 「指名を受けなかったら、それはそれでしょうがない。運が悪かったと考えようと思っていましたね」 2001年11月19日、プロ野球ドラフト会議。四国学院大学4年生の天野は広島カープに10巡目で指名を受ける。四国六大学出身で初のプロ野球選手が誕生した瞬間だった。
人気衰退に悩む米ボクシング界だが、5月5日に行われるカードだけは誰も無視できないだろう。 この日、近年では最高と思えるビッグカードがついに実現する。現役最強と目されるスピードスター、フロイド・メイウェザー(37戦全勝24KO)の牙城に、90年代を支えて来た「ゴールデンボーイ」オスカー・デラホーヤ(38勝4敗30KO)が挑む。まさに世代を代表する両者が争うWBCジュニアミドル級タイトル戦の行方に、ボクシング好きのみならず、多くのスポーツファンの注目が集まっているのだ。
それは3月9日の記者会見から始まった。西武が2選手に裏金を払っていた事を発表。その後、早稲田大学では選手が退部し、木村選手謝罪会見。その後もアマチュア関係者170人に謝礼金を払っていたことを発表。一方、横浜が申し合わせ金額を大幅にオーバーしたお金を支払っていた事が発覚、球団社長と那須野選手が謝罪。今度は、特待生制度が発覚した専大北上高は野球部の自主解散を決めた。一度開けてしまったパンドラの蓋は止められない。
あの秋の惜敗が天野の胸の奥に秘められた情熱に火をつけた。 「甲子園といっても、最初は遠い存在でした。あの試合がなかったら、きっと本気で目指すことはなかったと思いますね」