巨人の猛追に遭いながらも、中日が首位をキープ(6月15日現在)していられるのは、この男の仕事ぶりに依るところが大きい。
バスケットボールの女子日本代表は、ロンドン五輪出場を懸け、25日からトルコで開催される五輪世界最終予選に臨みます。予選は12カ国が参加し、上位5チームが出場権を確保します。2大会ぶりの五輪出場を目指す日本代表を牽引するのはエースの大神雄子選手です。彼女は、2004年のアテネ五輪に出場し、その後は女子最高峰リーグのWNBAでもプレーもしました。今年3月に右足の手術を受けた影響が心配されましたが、現在は全体練習に復帰し、キャプテン、そして司令塔としてコート内外での活躍が期待されます。今回は、大神選手を取材した3年前の原稿を紹介します。
スティーブ・エヴェッツ演じるエリック・ビショップはマンチェスター市内に暮らす梲(うだつ)が上がらない中年の郵便配達員だ。2度の結婚はいずれも破綻。連れ子は非行に走った。仕事にも精彩を欠き、抜け殻のような日々。部屋の壁に貼った自らのアイドル――等身大の“エリック・ザ・キング・カントナ”のポスターが唯一の心の拠り所だ。そう、彼はマンチェスター・ユナイテッドの熱狂的サポーターなのだ。
さる4月6日の横浜DeNA戦で広島の前田健太、5月30日の東北楽天戦では巨人の杉内俊哉がノーヒット・ノーランを達成した。 しかし上には上がいる。元広島の外木場義郎は完全試合を含む3度のノーヒット・ノーランを達成している。まさに「ザ・レジェンド」だ。
「私は国家元首ではありませんが、国よりももっと大きな集団、若者の代表です」。3年前、コペンハーゲンで初々しい演説をした少女は、今年18歳になるはずだ。
<昨日勝って10連勝しました。日本人開幕連勝記録達成です。これからも頑張ります> 5月28日、台湾から短いメールが届いた。送り主は台湾プロ野球の統一セブンイレブン・ライオンズで活躍する鎌田祐哉。日本では東京ヤクルトと東北楽天で11年間プレーした。 鎌田は5月27日、台南で行なわれたラミゴ・モンキーズ戦に先発して7回3安打2失点と好投。開幕からの連勝を10に伸ばした。
女子レスリング72キロ級で3大会連続の五輪出場を決めた浜口京子選手が、ロンドン五輪を最後に現役引退を示唆しました。2004年のアテネ五輪から正式採用された女子レスリングは現在、日本のお家芸とも言える競技です。ここまで日本勢は、全階級においてメダルを獲得しています。元プロレスラーの父・アニマル浜口をコーチに持つ浜口選手は世界選手権5度優勝の実績を誇り、過去2大会でも金メダルが期待されていました。しかし、結果はいずれも銅メダル。ロンドン五輪では悲願の金メダルで、有終の美を目指します。今回は、そんな浜口親子の二人三脚の物語を、12年前の原稿より紹介します。
クローザーとは誇り高き生き物である。“江夏の21球”で知られる1979年の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦。4対3と1点リードで迎えた9回裏、広島の守護神・江夏豊は無死1、3塁の場面で心をかき乱される。「なにしとんかい!」。池谷公二郎がブルペンに走り、北別府学も続いたのだ。「オレを信用しとらんのか……」
444本塁打、2471安打、1522打点――。言うまでもなくミスターこと長嶋茂雄が残した数字である。 メディアはこの記録を抜いた選手が現れるたびに“長嶋超え”と大々的に報道する。確かに数字の上ではミスターを上回ったかもしれない。だが“長嶋超え”という表現には少なからず違和感を覚えずにはいられない。
寡黙な男が珍しく素直に喜びを表現した。20日のファイターズ戦、1対0の8回裏、1死一、二塁のチャンスで代打に起用されたカープの前田智徳は、植村祐介のフォークを三塁線に弾き返した。打球はサード小谷野栄一を襲って外野へ転がり、二塁走者を迎え入れた。興奮気味に一塁ベースを回ったところで手を叩く。感情を露にした40歳の姿に一振りに賭ける執念を見る思いがした。
怒りの大きさは期待の裏返しだろう。 東北楽天・星野仙一監督の怒声がベンチで響き渡ったのは4月18日。QVCマリンフィールドでの千葉ロッテ戦、2回が終わった場面だ。
バレーボールの全日本女子チームは現在、ロンドン五輪出場を目指し、19日から開催されている五輪世界最終予選兼アジア大陸予選を戦っています。大会は8カ国のリーグ戦で行われ、3位以内に入るか、または上位3チームを除くアジア最上位国が、ロンドン五輪の出場権を手にします。五輪本番での28年ぶりのメダルを目指し、全日本女子の指揮を執る眞鍋政義監督は北京五輪後の2008年12月に就任。10年の世界選手権では、全日本女子を32年ぶりのメダル獲得(銅)に導きました。今回は、眞鍋監督の女子バレー復権への道程を、2011年の原稿で振り返ります。
2000年に柔道部が創設されたばかりの頃だ。了徳寺学園と聞いて、仏教系の宗教法人が運営する学校だとばかり思っていた。実際、京都市には大根焚(だいこだき)の行事で知られる法輪山了徳寺という真宗大谷派の寺院がある。そこに縁(ゆかり)のある学校かと……。 程なくして了徳寺健二理事長の苗字に由来するものだと知る。これほど柔道に情熱を傾ける教育者とは、いかなる人物なのか。
ケン・グリフィー・シニアとケン・グリフィー・ジュニア、ボビー・ボンズとバリー・ボンズ、近年ではセシル・フィルダーとプリンス・フィルダー。メジャーリーグでは親子2代の名プレーヤーが少なくない。 翻って日本の場合はどうか。長嶋茂雄は名プレーヤーだったが、一茂は? 野村克也と比べて克則は? 残念ながら親子2代の名プレーヤーは1組も誕生していないのが、この国のプロ野球の実情である。
宮本慎也が2000本安打を達成した翌日、元東京ヤクルトの後輩・鎌田祐哉がリーグ最多となる7勝目をあげた。防御率も1.75でリーグトップである。 海の向こうの話だ。海の向こうといっても、もちろん米メジャーリーグではない。中華職業棒球大連盟(職棒)。要するに台湾プロ野球リーグである。鎌田は今年2月に台湾でテストを受け統一セブンイレブン・ライオンズに入団した。
8年間で4度のリーグ優勝を果たした落合中日の番頭格がこの人だった。森繁和、57歳。投手コーチ、ヘッドコーチなどを歴任した。
アテネ五輪100キロ超級、決勝。 相手はロシアの“怪豪”タメルラン・トメノフ。まるで白熊のような体をしたこの男は、このクラスでも破格のパワーを誇る。184センチ、110キロの鈴木桂治の体が華奢に見える。 実はアテネに行く前、彼は親友の棟田康幸に最重量級での戦い方を訊ねた。棟田は世界選手権を含めて3度、この大男と戦い、3度とも勝っている。
「これが中京の4番なら、僕はもっと(上に)行けると思った」 祝福の言葉にはイチローらしいウイットが含まれていた。さる4月28日、北海道日本ハムの稲葉篤紀がプロ野球史上39人目の通算2000安打を達成した。周知のように稲葉とイチローはともに少年時代、愛知県豊山町にあるバッティングセンター「空港バッティング」に通い詰めていた。
のっけにクイズを。プロ野球史上、最も多くの死球を受けたバッターは誰か? ? 清原和博 ? 野村克也 ? 衣笠祥雄 答えは?の清原である。通算被死球数は196。清原よりも通算試合数で339も多い衣笠が161個(歴代3位)、679試合も多い野村が122個(同7位)であることを踏まえれば、清原の数字は突出している。
ひと山いくらの舶来品ではない。06年には16勝をあげて最多勝に輝いている正真正銘のメジャーリーガーだ。マーリンズ時代の03年にはワールドシリーズで2勝を挙げ、世界一の立役者にもなっている。MLB通算119勝は、来日したピッチャーの中ではトップクラスの実績だ。福岡ソフトバンクの新外国人投手ブラッド・ペニーが原因不明の右肩痛に悩まされ、戦列を離脱している。入団前のフィジカルチェックはどうなっていたのか.
スライダー、フォークボールは当たり前。チェンジアップ、カットボール、ツーシーム……。近年のプロ野球は変化球花盛りだ。海を渡ったダルビッシュ有(レンジャーズ)にいたっては、12種類の変化球を操るというのだから驚きだ。 そんななか、最近はカーブを得意にするピッチャーがめっきり減った。現役でカーブの名手と言えば岸孝之(埼玉西武)と三浦大輔(横浜DeNA)ぐらいか。 かつてはカーブこそが変化球の王様だった。金田正一、杉浦忠、堀内恒夫、外木場義郎、江川卓、工藤公康……。カーブの名手をあげれば切りがない。いわば名投手の必需品だった。
スパグニョーロ。スパゲッティの新しい種類ではない。歴としたベースボール・プレーヤーの名前である。しかしメジャーリーグでプレーした記録はない。本名ヨゼフ・スパグニョーロ。メキシコ人内野手だ。
ひとつのミスも許されないパーフェクトゲームほどではないが、ノーヒット・ノーランがかかっているゲームも守っている野手は最終回に近付けば近付くほど、神経をすり減らす。 仮に内野手が球足の速い打球の処理を誤ったとする。エラーならノーヒット・ノーランに影響はないが、スコアボードにヒットを表すHランプが点けば、その時点で大記録は消滅だ。
「7回くらいから、その兆しはありましたよ。相手が打てそうな気がしませんでしたから。それにシーズンが始まったばかりの4月はピッチャーが有利。実は僕の3回目(のノーヒット・ノーラン)も4月なんです」。感慨深げにそう語ったのはカープの元エース外木場義郎だ。後輩のマエケンこと前田健太のノーヒット・ノーラン(6日の横浜DeNA戦)はテレビで観ていた。「彼は昨年の10月にも“あわや”という試合がありましたが、今回の方が安定感がありましたね」
「なんならマタの下から投げてもいいんだぜ!」 こうウソぶいたと言われるのが中日の元エース小川健太郎(故人)だ。 小川と言えば沢村賞に輝いたこともある名投手だが、それよりも天敵の王貞治に“背面投法”を披露したことで知られる。