トレイ・ヒルマン、梨田昌孝、栗山英樹。フロント主導人事で、三代続けて優勝監督を輩出するのだから、北海道日本ハムは進歩的な球団である。 指導経験のない栗山を、いきなり監督に据えたのも、フロント力に確固たる自信があったからだろう。
秋も深まり、野球シーズンも佳境を迎えた。パ・リーグは北海道日本ハムがひと足先に日本シリーズ進出を決め、セ・リーグはクライマックスシリーズで巨人と中日が凌ぎを削っている。短期決戦において、ひとつの勝利、ひとつのプレーの重みはシーズンと比べものにならない。それゆえにベンチの戦術や采配の妙が、流れを大きく左右する。シーズン通りの戦い方をするのか、一戦必勝でいくのか、はたまた奇襲を仕掛けてみるのか。指揮官の腕の見せ所である。 ヤクルトが大阪近鉄を圧倒した2001年の日本シリーズも、両軍の勝敗を分けたのは監督の戦略にあったのではないだろうか。27日から開幕するセパ頂上決戦を前に、当時の原稿を振り返り、シリーズでのキーポイントを検証しよう。
「私たちの病気は視野が狭まるんですけど、逆に心の視野は広がるんです」。真っ直ぐこちらを向いたまま、ほのかな笑みを浮かべてそう語ったのは、ロンドンパラリンピック、ゴールボール女子金メダリストの小宮正江である。隣に座っていたチームメイトの浦田理恵がすぐに話を引き取った。「おかげで人間性を磨かせてもらっています」
「今回は米国が本気になっている。(WBCで)日本に3度も勝たせるな、と。ですから(監督、コーチ就任を)引き受けてもらうことが非常に申し訳ない」 こう語ったのは日本プロ野球機構(NPB)の加藤良三コミッショナーである。
ドイツ帝国初代宰相として知られるオットー・フォン・ビスマルクは日本の近代化にも多大なる影響を与えた大政治家だ。そのビスマルクには「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との名言がある。これについては本人の言葉かどうか疑わしいとの説もあるが、それはともかく、ビスマルクが没して100年以上経った今でも各界のリーダーたちが自らへの警句として、この言葉を口にすることは少なくない。
足が速いこと。肩が強いことはもちろんだが、ケガに強いこともプロ野球選手にとっては才能のひとつだろう。 世界記録となる1492試合連続フルイニング出場を誇る阪神の金本知憲が今季限りで引退を表明した。
“世紀の一戦”のゴングが刻一刻と近づいている。13日、ボクシングの本場・米国で世界スーパーバンタム級王座統一戦が行なわれる。この試合、拳を交えるのは、3月に日本人初のWBC同級名誉王者となった西岡利晃と、WBO、IBF同級王者のノニト・ドネアだ。西岡は5度目の世界挑戦で、悲願の戴冠を果たした不屈の男である。対するドネアは4階級制覇を成し遂げたフィリピンが生んだスーパースター。軽量級の頂上決戦に世界中の注目が集まる。 強敵と立ち向かう西岡の折れない心の一端に、2年前の原稿で触れてみたい。
「彼しかいない。人間的な魅力も評価されたんじゃないでしょうか」。そう語るのは来春のWBCで3連覇を目指す野球日本代表「侍ジャパン」監督に就任することが内定した山本浩二の“育ての親”である松永怜一である。
優勝の陰の功労者と言ってもいいだろう。2位・中日とのゲーム差11・5、貯金42(9月27日現在)。巨人がぶっちぎりでセ・リーグを制した。 4月に5連敗を2度喫するなど立ち上がりこそ不安定だったが、最大時の借金7もハンディキャップにはならなかった。
チケット販売数は史上最多の270万枚。障害者スポーツの発祥の地ということもありロンドンパラリンピックは空前の盛り上がりを見せた。
来春のWBCで3連覇を狙う日本代表(侍ジャパン)の監督選びが難航している。 落合博満、秋山幸二、梨田昌孝、山本浩二、山田久志……。
うどの大木――。体ばかり大きくて何の役にも立たない者のたとえだが、プロ野球の世界でも、20年程前までは「大男は使い物にならない」と言われたものだ。
「口は歪み、目の焦点も定まっていなかった。それでも話は理路整然としていた。しかし監督としての現場復帰は、さすがに難しいのでは……」 前中日監督の落合博満は9月8日、松山市内で講演を行った。以上は講演を聞いた男性会社員の感想だ。
モダン・ベースボールの申し子がユニホームを脱いだ。10日、田口壮が会見を開き、現役引退を正式に発表した。20年間のプロ生活で、日米4球団を渡り歩き、好守の外野手として活躍。オリックスで日本シリーズ、カージナルスとフィリーズでワールドシリーズ制覇に貢献するなど、日米を股に掛けた名バイプレイヤーだった。オリックス時代にイチロー、本西厚博と形成した外野陣は鉄壁を誇り、史上最強との呼び声も高かった。 プロ野球の一時代を築いた堅守の外野陣を、当時の原稿で振り返る。
高橋尚子には小出義雄がいたように、北島康介には平井伯昌がいたように、ロンドンパラリンピック車いすテニス男子シングルスで同種目史上初の2連覇を達成した国枝慎吾には丸山弘道という名伯楽がいた。いた、と過去形にしたのはロンドンを最後にコンビ解消を明言したからだ。その理由は「国枝慎吾を負かす選手を育てたくなった」。いかにも丸山らしい。
佑ちゃんどうした!? 北海道日本ハムの斎藤佑樹がもがき苦しんでいる。 7月29日、オリックスに4回途中でKOされ、監督の栗山英樹から2軍落ちを命じられた。故障以外での登録抹消はプロに入って初めてのことだ。
カナダ出身の名レスラーと言えば、真っ先に思い浮かぶのが“荒法師”の異名をとった第45代NWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーだ。2メートル9センチのジャイアント馬場を軽々とバックドロップで投げつけるほどパワフルなレスラーだった。
イタリア国籍のNPBプレーヤーはスティーブン・ラム(元阪神)に次いで2人目である。オリックスのアレッサンドロ・マエストリが8月26日の埼玉西武戦で初完投勝利をあげた。
イギリス・ロンドンで“もうひとつのオリンピック”と呼ばれるパラリンピックが開幕し、熱戦が続いている。陸上の男子マラソンは、最終日の9日に行なわれ、日本代表3選手が出場する。その中のひとり、高橋勇市は今大会で3連続出場となる。初のパラリンピックとなった2004年のアテネでは、T11(全盲)クラスに出場し、2時間44分24秒で、見事に金メダルを獲得した。連覇が期待された北京では、2時間43分38秒と、記録ではアテネを上回ったものの、T11とT12(弱視)のクラスが統合されたこともあり、16位に終わった。高橋はパラリンピック発祥の地とされるロンドンで、雪辱を胸に表彰台を目指す。 全盲ランナーの不屈の物語を、05年の原稿で振り返る。
「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」。世界で初めて障害者による競技大会を主催し、“障害者スポーツの父”と呼ばれるユダヤ系ドイツ人医師ルードヴィッヒ・グットマン卿の名言である。
ピッチャーとは孤独な生き物である。小高いマウンドに上がれば、もう誰も助けてはくれない。 つまりピッチャーが成功する条件――それは孤独に耐えられるか否かだと言っても過言ではない。
これは残念なデータである。パラリンピックに出場した選手らでつくる「パラリンピアンズ協会」(河合純一会長)の調査で、アンケートに答えた選手たちの実に75.6%がナショナルトレーニングセンター(NTC)を、80.7%が国立スポーツ科学センター(JISS)を利用したことがない事実がわかった。
その瞬間、球場中が凍りついた。ひび割れたヘルメットのツバが事態の深刻さを物語っていた。 8月2日、横浜スタジアム。横浜DeNA対広島。9回表1死一、二塁の場面で広島ベンチは代打に思いっ切りのいいバッティングが持ち味の會澤翼を送った。
球界を代表するスラッガーが、ついにバットを置く。14日、福岡ソフトバンクの小久保裕紀が今季限りでの引退を発表した。小久保はプロ入り2年目の1995年にホームラン王を獲得し、97年には打点王に輝いた。今季は6月に史上41人目の通算2000本安打を達成。プロ19年間で、積み上げてきた本塁打(411)と打点(1290)は金本知憲(阪神)に次ぐ現役2位(17日現在)の記録だ。しかし、「フリー打撃でボールが飛ばなくなった」などの衰えを理由に、ユニホームを脱ぐことを決意した。誇り高きホームランアーティストらしい幕の引き方と言えるだろう。 ミスターホークス・小久保のホームランへのこだわりを、16年前の原稿で、振り返る。
地方球場でオールスターゲームを2度開催したことがあるのは松山市の坊っちゃんスタジアムだけだ。球場名は言うまでもなく松山が舞台となった夏目漱石の小説「坊っちゃん」に由来する。ファウルグラウンドを除き、総天然芝の素晴らしい球場である。 球場名が公募された際、私は用紙に「景浦将記念スタジアム」と書き込んだ。その名を球場名に冠することで、地元が生んだスーパースターの功績を永久に語り継げるのでは、と考えたのだが、残念ながら一顧だにされなかった。