史上6校目の甲子園初夏連覇を達成した興南(沖縄)。その立役者はトルネード左腕の島袋洋奨だった。 決勝では東海大相模(神奈川)を9安打1失点に封じた。奪った三振こそ4と少なかったが、これは勝利を優先した証拠。打たせるところは打たせ、要所要所では縫い目にしっかりと指のかかったボールを投げていた。
「オリンピック代表の監督はあくまでも反町(康治=前新潟監督)で、スーパーバイザー、総監督的な立場でオシムが……。あっ、言っちゃった」 ドイツからの帰国記者会見の席で、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(会長)はポロリと次期代表監督の名前を口にしてしまった。
新日本プロレスなどで活躍した元プロレスラー山本小鉄の訃報に接した巨人・原辰徳監督は「山本小鉄さん? ヤマハ・ブラザーズですよ」と語ったという。 そうなのだ。我々の世代にとって山本小鉄と言えば「ヤマハ・ブラザーズ」だ。小兵ながらムキムキの筋肉を武器に気風のいいファイトを展開し「人間爆弾」の異名をとった。
夏の甲子園準決勝。興南対報徳学園戦。4回が終わって0対5.ゲームとしては、ほぼ一方的だ。 しかし「どこかで引っくり返すんじゃないかな」という予感があった。 5回に3点、6回に1点、7回に2点を奪い6対5。そのまま興南が逃げ切った。
90年代、日米問わず多くのプロ野球の投手が影響を受けたと言われるピッチングテキストが「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」(ベースボール・マガジン社)だ。著者はメジャーリーグ史上最多の7度のノーヒッターを達成したノーラン・ライアンと投手コーチのトム・ハウス。
プロ1号から11戦8発。 やはり、この男、ただ者ではない。 北海道日本ハムの中田翔がプロ入り3年目でブレイクした。 来季、開幕からスタメンに名を連ねればホームラン王争いに加わることも不可能ではあるまい。そう思わせるだけの逸材である。
野球王国・四国――。かつては、そう呼ばれていたと書くのが正解だろう。残念ながら、もはや過去形である。
東北楽天の山武司がオールスターゲームで2試合連続ホームランを放った。40代での球宴2戦連発は史上初だそうだ。 「中年の星」と呼ばれる山だが、かつては“暴れん坊”として通っていた。
「中盤からも前からも選手が返ってくる。後ろだけで守り切れるわけじゃありませんから。その意味では誰というわけじゃなく、全員の守備の勝利ですよ」 試合後、表情を緩めることなく、秋田豊は言った。 20世紀最後のJリーグチャンピオンシップは鹿島アントラーズが制した。 横浜F・マリノスを相手に初戦0対0のスコアレスドロー。続く第2戦は3対0の完勝。アントラーズの鉄壁の守備網は最後まで崩れなかった。
65回目の終戦記念日が訪れる。巨人のエース沢村栄治に3度目の赤紙が届き、門司港からフィリピンに向かう船中、東シナ海で敵の魚雷を受け、戦死したのは66年前の冬のことだ。今回は“不世出の大投手”に関する秘話をひとつ紹介したい。
プロ野球における最年長勝利投手記録は阪急で活躍した浜崎真二の48歳4カ月である。 1950年5月に達成したものだから、もう今から60年以上も前の話だ。
身に覚えのないことなら堂々と明記すればいい。相撲協会執行部は、いったい何を恐れているのか。「ガバナンス(統治)の整備に関する独立委員会」(奥島孝康座長)がまとめている暴力団排除対策案から八百長行為の禁止と罰則に関する規定が消えたという話を関係者から聞いた。「そもそも八百長はない」と執行部から突き上げられたからだという。
オリックスの新外国人フランシスコ・カラバイヨと聞いてもピーンとくる人は少ないだろう。実は先日、イチロー(マリナーズ)が出演していたユンケルのテレビCMの相手投手役を務めていたことが判明した。ほんの一瞬、顔が映る程度だから気づかれないのも無理はない。
今やかの 三つのベースに人満ちて そゞろに胸のうちさわぐかな 四国で初めてのオールスターゲーム。 四国霊場八十八カ所の五十一番札所・石手寺周辺を潤す石手川にかかる橋を渡ったあたりから、球場に向かう人々は足早になる。 目の前には「坊っちゃんスタジアム」。言うまでもなく、松山を舞台にした夏目漱石の小説『坊っちゃん』にちなんで名づけられたものや。
安倍晋三氏以降、ほぼ1年に1度の割合でコロコロ入れ替わる総理大臣に比べればまだマシだが、1期2年での交代はあまりにも短い。サッカーの試合にたとえれば、まだ前半が終了したところだ。本人も不完全燃焼の思いが強いのではないか。
中日の2人の主力選手が打ちまくっている。 前半戦終了時点で、セ・リーグの打撃部門2位は和田一浩、6位は森野将彦だ。森野31歳、和田38歳。齢を重ねるに従って打撃技術を向上させている秘密はどこにあるのか。
浜崎真二といえば日本プロ野球史上最年長勝利投手として知られている。歯に衣着せぬ言説から「球界彦左」の異名をとった。満州から引き揚げてきて阪急の選手兼総監督となったのが戦後間もない1947年。その3年後、プロ野球はセとパに分立する。
今になって中日は「もったいないことをした」と後悔しているのではないか。 金銭トレードとはいっても、実質的には「無償トレードに毛の生えたような金額」(球団関係者)だったという。それが今ではパ・リーグを代表するアベレージ・ヒッター、昨季は首位打者に輝いた。 登録名を本名の土屋鉄平から「鉄平」に変えたのは東北楽天に移籍してからだ。
久方の アメリカ人のはじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも こんな摩訶不思議なアトラクション、ワシは生まれて初めてみたぞな、もし。 市長の中村時広ハンがマウンドに上がったのはええけど、いったい、なんぼ投げたんやろう……。7球? 8球? 演説する時よりも、よっぽど生き生きとしとったがな。
G7からG8へ――。主要国首脳の国際会議のことではない。サッカー南アW杯でスペインが初優勝し、W杯優勝国・地域は8つになった。
千葉ロッテの勢いが止まらない。2年連続Bクラスに沈んでいたチームが夏場に入っても首位争いを演じている。 データをみれば、昨季からの違いは一目瞭然だ。チーム打率は2割5分6厘(リーグ最下位)から2割8分7厘(12球団トップ)へ、チーム防御率は4.23(リーグ5位)から3.85(同4位)へと改善されている。
FIFAが公表しているデータによれば、今大会における日本のパス成功率は60%で出場32カ国・地域の中で最低だった。つまり10本のうち6本しか通らなかったのだ。ちなみにトップはスペインの80%。翻ってシュートのオンターゲット率(ゴールの枠をとらえた確率)は59%で、これは32カ国・地域の中で最高だった(記録はいずれも準々決勝終了時)。やみくもなプレスを避け、体力を温存した結果、シュートの精度は著しく向上した。
小刻みに纏を上げ下げするような独特のフォームながら、バットコントロールの巧みさは折り紙つきだ。 ベンちゃんこと和田一浩(中日)が5番から4番に昇格して、約1カ月がたつ。 7月1日現在、打率3割4分7厘で阪神のマット・マートンに次いで2位。出塁率4割4分3厘はリーグトップだ。
「ウ〜ン、日本に帰ってきてビデオを見ると、足とか全然上がってないんですよ。キレは全然よくないんですけど、最後の決めでどうにか一本をとったって感じですね。 やっぱり年齢は感じますよ。スタミナは確実になくなっているし、それを気持ちでどれだけカバーできるか。逆に気持ちさえ充実していれば、スタミナをカバーすることができる……」 今年10月、イギリスのバーミンガムで行われた柔道の世界選手権・81キロ級に出場した吉田秀彦は、決勝でモルドバのフロレスクを破り、この大会、初めての優勝を飾った。 しかも一本勝ち。伝家の宝刀内股の切れ味は、少しも錆びついていなかった。
野球賭博に深く関与した大嶽親方(元関脇・貴闘力)と大関・琴光喜は「解雇以上」、時津風親方(元幕内・時津海)は「降格以上」――。特別調査委員会の処分勧告受け入れと引き換えに日本相撲協会は名古屋場所の開催を決定した。