その姿は怒っているというよりも必死になって訴えかけているように映った。 さる7月8日、西武ドームでの埼玉西武対福岡ソフトバンク戦。7回二死一塁から中西健太が左越えの2ベースを放ち、一塁走者の代走・明石健志は一気に本塁を狙った。
会釈をしない。相手の目を見て話さない。相手が近くにいるのに、わざわざメールで用件を伝える。そんな若手社員が増えているという話を、ある企業の人事担当者から聞いた。「通信機器が発達するにつれ、人間本来が持つコミュニケーション能力は逆にどんどん劣化しているような気がする」。そうも言った。時代の風潮といえばそれまでだが、なんだか寂しくもある。
北京五輪で金メダルを目指す星野ジャパンのキーマンは、2軍から1軍に上がってきたばかりの上原浩治(巨人)である。先頃、発表された代表候補39人にも名を連ねていた。
「この人は右に曲がるのか、それとも左に曲がるのか。最初のうちはわからなかったのですが何度もやっているうちにピタッと当たるようになってきた。コツを心得ると意外に簡単で、歩き出す前、爪先がちょっと左を向いたり、首がパッと右に向いたりするんです。
シチズンホールディングスが「環境のために時間短縮すべきこと」と題して行ったアンケートによれば1位はネオンやライトアップの点灯時間(49%)、2位は24時間営業(36%)、そして3位は国会審議(35%)――。プロ野球の試合時間も11位(8.5%)に顔を出していた。要するに「長過ぎる」ということだろう。
プロ野球は何年かに一度、黄金世代が出現する。古くは「江川(卓)世代」、「桑田(真澄)&清原(和博)世代」、最近では「松坂(大輔)世代」、最も新しいのは「ハンカチ王子(斎藤佑樹)&マー君(田中将大)世代」か。 カープの若きホープ前田健太は斎藤や田中と同学年。PL学園時代から野球選手としてのセンスはズバ抜けていた。
43の国と地域が参加した南アフリカW杯アジア地区予選で、最終予選にコマを進めたのは日本、豪州、バーレーン、ウズベキスタン、カタール、韓国、イラン、サウジアラビア、北朝鮮、UAEの10カ国。W杯出場経験があるのはこのうち7カ国だが、組み分け抽選の結果、A組に入ったのは日本と豪州のみ。この事実ひとつをとっても日本はクジ運に恵まれたといえる。W杯未出場国が悲願をかなえるのは、我が日本代表の苦闘の歴史が物語るように容易なことではない。
黒田博樹(ドジャース)の抜けた穴を補って余りある活躍ぶりだ。カープの新外国人コルビー・ルイスが投げるたびに評価を高めている。6月15日の西武戦でセ・リーグトップの10勝目をあげた。防御率2.16は3位、奪三振110はトップという安定ぶりだ。
「永井さんと星野さんがいなければリーグ優勝はできなかったんです。もし、ここで打たれたとしても、誰も文句は言いませんよ」 日本シリーズが始まる前、福岡ダイエーホークスのキャッチャー城島健司は3戦目、4戦目の先発が決まっていた永井智浩と星野順治にやさしい顔でそう告げた。
現実主義者の私でも双手を挙げて賛成する気にはなれない。また問題が先送りされるだけだ。さて法務省は、どんな判断を下すのか。 今に始まった話ではないが日本代表FWのゴール前の非力さは目を覆うばかりだ。
巨人相手に開幕3連勝を飾った時には「ひょっとすると、ひょっとするかも」と思わせたスワローズだが、ここにきて低空飛行を余儀なくされている。6月20日現在、28勝34敗と6つの借金。クライマックスシリーズ出場を果たすためにはもう負けられない。
広島カープには、古くから「3文字の姓のピッチャーは大成する」との言い伝えがある。身長1メートル67の小柄ながら通算197勝をあげ「小さな大投手」と呼ばれた長谷川良平(故人)。2リーグ制以降、3度のノーヒッター(うち1度は完全試合)を達成した唯一の投手で、75年の初優勝の立役者でもある外木場義郎。沖縄出身初のプロ野球選手で巨人キラーの異名をとった安仁屋宗八。球団史上初の200勝投手で、沢村賞に2度も輝いた北別府学。近年では史上6人目となる100勝100Sを達成した佐々岡真司。
天気図風にいえば“パ高セ低”だな。 6月9日現在、交流戦は53勝43敗とパ・リーグがセ・リーグに10も勝ち越している。今季も最終的にパ・リーグが勝ち越せば、交流戦がスタートして以来、4年連続だ。
一柳はJTを率いて6年目のシーズンを迎えようとしていた。自らもセッター出身ということもあり、早くから竹下の能力に目をつけていた。 また当時のJTにはセッターが西堀育実だけしかおらず、Vリーグに昇格するためには竹下の能力とキャリアが必要だと考えていた。
米国においてモータリゼーションが始まったのは20世紀初頭である。これにより市民生活の向上や産業振興がはかられたが、当初から将来の環境汚染や広域犯罪の発生、事故の多発を懸念する声が相次いでいた。実際、そうした懸念のほとんどが現実のものとなった。しかし、だからといって再び馬車の時代には戻れない。歴史上、人類が手に入れた最先端の科学技術を手放したことは一度もない。
どんなピッチャーなのか気になっていた。甲子園で投げていた姿はかすかに覚えている。キャンプでのピッチングもチラリと見た。 しかしプロに入ってからは泣かず飛ばず。192センチの長身。「未完の大器」と呼べば聞こえはいいが、そう呼ばれたピッチャーのほとんどが「未完」のままで終わっている。
いつも毅然としておられた。しかし、その振る舞いは決して居丈高ではなかった。古武士のような人だった。しかし頑迷固陋ではなかった。 手許に1冊のノートがある。表紙には「長沼健メモ」。2日に死去したサッカー協会最高顧問・長沼健氏とのやりとりが綴られている。語録の一部を紹介しよう。
どうやらライオンズの強さは本物のようだ。5月25日現在、32勝18敗1分けでパ・リーグの首位。昨季、26年ぶりにBクラスに転落し、今季も苦戦が予想されたが、再建は急ピッチで進んでいる。
メキシコ五輪重量挙げフェザー級銅メダリスト三宅義行が噴門(食道から胃への入り口)にできた潰瘍を切除したのは32歳の時だ。「(メキシコで)銅メダルを獲った以上、あとは金しかない。兄(義信)は金を2つ(東京とメキシコ)も獲ってる」。バーベルの重量以上のプレッシャーが三宅の双肩にのしかかった。「もっと練習を積みたいのにケガもあって思うような練習ができない。そうしたストレスが原因で胃に激しい痛みが走るようになったんです。手術に踏み切る前の3年間は痛みで眠れない日々が続きました」
2007年ドラフトの高校生ビッグ3といえば、中田翔(大阪桐蔭―北海道日本ハム)、佐藤由規(仙台育英―東京ヤクルト)、そしてこれから紹介する唐川侑己(成田―千葉ロッテ)の3人である。
「あなたはもういらない」 人間、こういわれるほど辛く悲しいことはない。 自らの存在が否定されるばかりでなく、居場所すら失われるのだ。 「あのときは心も体もボロボロでした」 苦い記憶を噛み殺すように竹下佳江は言った。
商売柄、時折、スポーツ選手のHPやブログをのぞく。これは読んでいて胸がジンとした。北京五輪柔道男子100キロ級代表・鈴木桂治の「絆」というブログだ。
予想どおりと言えば予想どおりだが、セ・リーグでは阪神と中日の2強の力が抜きん出ている。 5月13日現在、阪神が24勝12敗1分けで首位、中日が21勝14敗3分けで2位。以下、東京ヤクルト、巨人、広島、横浜と続くが、3位以下はいずれも勝率5割を切っている。“2強4弱”の様相だ。
聖火のチョモランマ登頂を成功させるため、国家の威信をかけて低酸素、低温に耐えうる特殊トーチをつくることはできても、大地の鳴動を防ぐ手立てはない。
昨年12月に行われた野球の北京五輪アジア地区予選におけるハイライトシーンといえば、台湾戦でのサブロー(千葉ロッテ)のスクイズバントだろう。 7回表無死満塁の場面。日本は6回裏、台湾の主砲・陳金鋒に逆転2ランを許し、1対2と1点ビハインドを背負っていた。