福島由登(青山学院大野球部/徳島県板野郡藍住町出身)第3回「PL学園戦で得た内角球への重要性と自信」

「史上最弱」  これが中田翔(北海道日本ハム)らが抜けた大阪桐蔭への評価だった。 「新チームになった時に西谷浩一監督に言われたんです。『オマエら、他から何て言われているか知ってるか? 今年の桐蔭は弱いって言われているんだぞ。そんなこと言う奴らを見返そうじゃないか!』って。確かに僕たちの学年には中田さんたちの学年のようにスター選手がいたわけではなかった。だから、とにかく“全員野球”でいくしかなかったんです」  全国から注目された前年とは一転、この年の大阪桐蔭はまさにゼロからのスタートだった。

福島由登(青山学院大野球部/徳島県板野郡藍住町出身)第2回「憧れの高校…そして甲子園へ」

「一度も野球を嫌いになったことはないですよ」  高校3年間はテレビを観ることも携帯電話を持つことも許されなかった。お正月休みの1週間を除けば、休日は1年に3日ほど。あとは毎日6時間以上の練習の毎日だった。 「夕方4時頃から練習が始まって、終わるのは10時過ぎ。それから寮に帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、洗濯して……あとはもう寝るだけです」。 まさに青春の全てを野球に捧げた3年間。どんなに練習が厳しくても、辛くても、福島には野球のない生活は考えられなかった。

福島由登(青山学院大野球部/徳島県板野郡藍住町出身)第1回「激戦区での挑戦」

 2011年は大阪桐蔭高校出身者が熱い。パ・リーグでは中田翔(北海道日本ハム)、浅村栄斗(埼玉西武)、セ・リーグでは平田良介(中日)、そして海の向こうでは西岡剛(ツインズ)が華々しいプレーで観客を沸かせている。彼らが3年間、泥まみれになって白球を追い続けたグラウンドで、この男もまた野球の礎を築いた。福島由登。今から3年前の夏、常葉菊川との決勝戦で、松坂大輔(横浜)以来となる完封勝ちを収めたエースだ。

越智亮介(愛媛FC/愛媛県今治市出身)後編「ライバルは東(大宮)」

 故郷のクラブでルーキーイヤーの開幕戦にデビュー。順調なプロの第一歩を踏み出した越智だったが、その後はなかなか出番に恵まれなかった。 「フィジカル面も足りなくて、思うようなプレーができなかった。自分に対してイライラしながらサッカーをしていた。余裕がないので、周りも見えなくて余計に悪い方向に行っていましたね」

越智亮介(愛媛FC/愛媛県今治市出身)前編「ミスター愛媛への道」

 次世代の「ミスター愛媛」として期待されている選手である。  越智亮介、21歳。大分トリニータのユースから故郷のクラブでプロになって3年目。主にボランチで昨季は31試合に出場した。イヴィッツア・バルバリッチ監督からも「プレーにクリエイティビティがある」と評価を受けている。

齋藤学(愛媛FC)後編「愛媛経由、世界行き」

 横浜F・マリノスのユース時代にJデビュー。順風満帆だったサッカー人生に影が差したのは、正式にトップチームに昇格した2009年だった。サテライトの試合に出ていた齋藤は相手と接触し、左ヒザを痛める。 「それまでヒザのケガは経験がなくて、打撲だと思ったんです。でもボールを触ったら超痛い。すごく調子良かったんですけど、トレーナーに言ったら、すぐ交代になりました」

齋藤学(愛媛FC)前編「愛媛のメッシ、見参」

 愛媛のメッシと呼ばれている男がいる。  愛媛FCの背番号27、齋藤学だ。今季、横浜Fマリノスから期限付き移籍で愛媛にやってきた。ここまで(15節終了時)全9試合に出場し、3得点。彼の活躍もあって昨季まで得点力不足に泣いたチームが首位と勝ち点5差の8位につける原動力になっている。

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)最終回「拳道一途」

 日本タイトルへの挑戦失敗から5カ月。大村は再びリングに立っていた。2月14日、後楽園ホール。相手の藤沢一成(レパード玉熊)はノーランカーだった。格下相手に「きれいに勝ちたい」「倒したい」との思いはこれまで以上に強かった。

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)第4回「初の日本タイトル挑戦」

 2010年9月4日、後楽園ホール。これまでのボクシング人生を賭ける一戦がやってきた。日本ライト級タイトルマッチ。大村にとってはプロ18戦目で初のタイトル挑戦だ。相手は荒川仁人(八王子中屋)。2度目の挑戦で日本王座を獲得したテクニシャンである。

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)第3回「勝者には何もやるな」

 デビュー戦でKO負け。どん底に叩き落された大村は次の試合までの4カ月間、悶々とした日々を過ごした。「今度こそ勝ちたい」と思えば思うほど、「今度負けたらどうしよう」との不安が頭をもたげてくる。2戦目の相手はプロのでの実績はなかったが、アマチュア経験の豊富な選手だった。映像で見ると、確かにボクシングはうまかった。

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)第2回「デビュー戦で味わった絶望」

 大村は4人兄弟の3男坊として生まれた。光矢という名前は「光る矢のようにボールを投げてほしい」との父の願いが込められたものだ。愛媛といえば野球王国。出身の西条市にある西条高は夏の甲子園で全国制覇の経験もあり、往年の名投手で巨人の監督も務めた藤田元司(故人)ら多くのプロ野球選手を輩出している。近年では阪神の秋山拓巳もそのひとりだ。野球好きの父は、プロ野球選手になる夢を息子たちに託していた。

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)第1回「平成の輪島功一になるために」

 倒されても倒されても立ち上がる男がいる。  日本スーパーフェザー級3位の大村光矢(三迫)だ。これまでの戦績は13勝(9KO)5敗1引き分け。昨年9月には、階級をひとつ上げ、荒川仁人(八王子中屋)の持つ日本ライト級王座に挑戦したが、2Rにダウンを喫し、5R54秒TKOでリングに散った。過去の試合でも序盤にダウンを奪われたことが5度もある。しかし、そのたびに立ち上がり、スイッチが入ったように相手に襲いかかった。そのうち2度は派手な逆転KOで勝ち名乗りを受けた。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)最終回「プロで味わった天国と地獄」

 1989年のプロ野球ドラフト会議といえば、史上最多の8球団から指名を受けた野茂英雄だ。クジ引きの結果、野茂の交渉権は仰木彬(故人)監督率いる近鉄が獲得。翌年、野茂は期待通りの活躍を見せた。しかし、この年のドラフトで1位指名を受けた選手、特にピッチャーは野茂の外れ1位も含め、翌年のルーキーイヤーから活躍した者が多かった。セ・リーグでは中日の与田剛と広島の佐々岡真司が激しいセーブ王争いを繰り広げれば、パ・リーグでは西武の潮崎哲也がセットアッパーとしてチームの優勝に大きく貢献した。そして忘れてならないのが、唯一先発として堂々と野茂との新人王争いに挑んだ日本ハムの酒井光次郎である。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)第3回「甲子園、最後の一球は清原からの三振」

「とんでもない相手とやることになったなぁ……」  松山商2年生エース・酒井光次郎は、準々決勝進出の喜びよりも、次戦の相手の方が気になっていた。1984年、初戦敗退を喫した春の雪辱を果たそうと、松山商は夏の地方大会を制し、再び甲子園へと乗り込んだ。1、2回戦を完封勝ちし、3回戦も打撃戦を制して15年ぶりに準々決勝へとコマを進めた。そして次戦の相手は、桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”擁するPL学園だった。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)第2回「投手としての礎を築いた高校時代」

 大阪出身の酒井光次郎だが、高校は愛媛県の強豪・松山商に進学した。 「中学の先輩のお父さんが松山市出身で、そのおじさんにあたる方が松山商の窪田欣也監督だったんです。それで先輩を筆頭に、うちの中学からは毎年のように松山商に行く選手がいました。僕もその流れで行った一人ですね」  中学時代、何度か松山商の練習を見に行ったことがあったが、そのあまりの厳しさに度肝を抜かれた。しかし、同時に「ここで野球をやってみたいな」という憧れの念を抱いた酒井は、中学卒業後、大阪を離れて海を渡った。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商業出身)第1回「無縁だった小学・中学時代の“KKコンビ”」

 1989年、プロ野球ドラフト会議で日本ハムから1位指名を受けたのが、酒井光次郎だ。彼は松山商時代、2年生エースとして春夏連続で甲子園に出場し、卒業後は近畿大へと進学。その近畿大では3年生からエースとなり、全日本大学野球選手権では初優勝の立役者となった。そして、“ドラ1”でのプロ入り――。ここまでは順風満帆な野球人生だった。だが、プロではわずか7年で現役生活に終止符を打った-。その後は台湾へ渡り、五輪代表、プロ球団のコーチを務める。横浜でのスカウト、スコアラーを経て今季、日本の独立リーグの一つ、BCリーグ・信濃グランセローズの投手コーチに就任した。わずか15歳で郷里を離れ、愛媛、東京、台湾、横浜そして長野へ――。波乱万丈とも言うべき酒井の野球人生を追った。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)最終回「ロンドンへの道」

 東海大男子柔道部の上水研一朗監督が、中矢を勧誘しようと思ったきっかけは、彼が高2で73キロ級を制したインターハイだった。 「あの時は会場の体育館が本当に暑くて座っているだけでも汗がしたたり落ちるくらいの悪条件だったんです。そんな中で、彼は初日の団体戦の予選から翌日の団体戦本戦、そして個人戦とこなしてもまったくバテたところをみせなかった。その粘り強さ、たくましさに感心したんです」

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第3回「天真爛漫な柔道」

「体に力のある子だと思いました。懐に入っていなくても強引に力でねじ伏せることができましたから」  そう中矢の第一印象を振り返るのが、新田高柔道部・浅見三喜夫監督だ。娘の八瑠奈(山梨学院大)と同じ伊予柔道会に通っていたこともあり、小さい頃から、その柔道を見続けてきた。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第2回「転機になった3階級アップ」

 中矢は兄の影響で幼稚園の頃から柔道を始めた。最初は半分遊びのつもりだったが、同い年の女の子に勝てないのが悔しかった。 「この子に勝つまではやめられない」  負けず嫌いな性格が幼い心に火をつけた。練習を重ねて力をつけ、その女の子を倒した。もう、この時にはすっかりやめられないほど柔道が好きになっていた。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第1回「運命を変えた金メダル」

 人生を変えた大会だった。  2010年12月12日、東京体育館。柔道グランドスラム東京大会。男子73キロ級に出場した中矢力は大会前まで同階級のIJFランキングが68位で周囲の期待度は決して高くなかった。本人も入賞を目標に大会に臨んだ。「1、2回戦は固かったですね」。いつも緊張するという初戦、そして2戦目を乗り切ると、準々決勝、準決勝を勝ち上がり、決勝へとコマを進めた。

岩村明憲(東北楽天ゴールデンイーグルス/愛媛県宇和島市出身)後編「松山−仙台の直行便を!」

: メジャーリーグで4年間プレーした経験から、一番、日本野球に伝えたいと考えていることは? : 野球に対する考え方、価値観ですね。アメリカではベースボールはやっぱり家族があってこそできるっていう文化なんです。日本人はどうしても職場に奥さんや子どもが立ち入ってはいけないような雰囲気になっていますよね。

岩村明憲(東北楽天ゴールデンイーグルス/愛媛県宇和島市出身)前編「星野野球は6番がキーマン」

 岩村明憲が日本に戻ってきた。  今季からクリムゾンレッドのユニホームに身を包み、杜の都でプレーする。星野仙一新監督の下、岩村らの加入で楽天がどう変わるのか。開幕が早くも楽しみだ。日本屈指の強打者へと成長を遂げたヤクルト時代、弱小レイズのワールドシリーズ進出に貢献したメジャーリーガー時代と、節目節目でインタビューを試みてきた当HP編集長の二宮清純が日本球界復帰にあたっての心境を訊ねた。

福井優也(広島東洋カープ/愛媛・済美高出身)前編 「マエケンに早く追いつきたい」

 斎藤佑樹(北海道日本ハム)をはじめ大学出身のルーキー投手が注目を集める今季、カープの赤いユニホームに袖を通したのが、早大から入団する福井優也だ。ドラフト時には斎藤、大石達也(埼玉西武)とともに早大ドラ1トリオとしてメディアでも大きく紹介された。だが、福井は1年間の浪人生活を経ており、年齢は彼らよりも1歳上。3人の中では一番の苦労人だ。プロ1年目のシーズンを前に、これまでの野球人生と、仲間であり、ライバルにもなる同級生たちについて当HP編集長・二宮清純が訊いた。

多木裕史(法政大学野球部/香川県丸亀市出身)最終回「オーラのある選手を目指す!」

 大学生活も2年が過ぎようとしている。4月から3年生になる多木裕史は上級生だ。これまでとは違い、主戦としての活躍、結果を当然のように求められる。そのことを多木自身も十分に理解しているようだ。 「本当にあっという間の2年間でした。いろいろな経験をさせてもらったので、それを活かしてチームを引っ張っていけたらと思っています」  表情はクールだが、胸に秘めているものはあるようだ。

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