その他スポーツ

第165回 ヤンキースの今オフは正しいのか

 春季キャンプ開始も間近に近づき、MLB各チームのオフの補強策も9割方が終了。そして今季に関しては、昨季王者ヤンキースの動きに少なからず疑問を呈す声が地元ニューヨークでも多い。  ツールの多いカーティス・グランダーソン、昨季ブレーブスのエースとして活躍したハビアー・バスケスを補強したまではまだ良かった。だが松井秀喜、ジョニー・デーモンという昨季の優勝に貢献したクラッチヒッターたちを積極的に引き止めず、代わりに獲得したのは故障の多いニック・ジョンソン、峠を越えたランディ・ウィン。トータルで見ても近年と比べてかなり地味な動きに終始したまま、オフ戦線を終えようとしているようにも見える。

津川力(NPB審判員/高知・明徳義塾高校出身)第1回「プレーする側からジャッジする側へ」

 2月に入り、プロ野球ファンの心躍る時期になってきた。間もなく始まる新しいシーズンに向けて、各球団が一斉にキャンプ地へと入り開幕へ向けて始動する。  新シーズンに備えるのは選手やファンだけではない。1月下旬、寒空の神宮球場にはセ・パ両リーグの審判団が集結していた。プロ野球を支える彼らも着々とトレーニングをこなしている。

高木啓充(東京ヤクルトスワローズ/愛媛県松山市出身)最終回「先発で開幕1軍を!」

「サイン、見えてんのか!?」  マウンドに歩み寄り、キャッチャーマスクをとった古田敦也は怒っていた。2006年4月12日、横浜スタジアムの横浜対東京ヤクルト。ルーキーピッチャーの高木は唇をかみしめながらベンチへ駆け足で退いた。何が何だかわからないうちに終わったプロ初登板だった。

第100回「ウッズよ、ヒールたれ!?」

 年末年始のスポーツニュースで俄然注目を集めたのがタイガーウッズ。それがいつものゴルフに関することでなく、プライベートのゴシップネタ。単なる自動車事故のはずが、浮気ネタへ。さらには愛人が何人も出てきて、ついには同性愛疑惑や異常性愛者のような話まで出てきた。まあ、ここまできたら何が本当で、何が嘘なのかわからないし、判断のしようもないが、なんらかの火種はあったことは間違いないのだろう。本人も静かに反省の時を過ごしているようだ。

高木啓充(東京ヤクルトスワローズ/愛媛県松山市出身)第3回「武器のフォークは偶然の産物」

 転機は21歳になる秋に突然やってきた。大阪体育大学に進学し、3年生となっていた高木は阪神大学リーグのマウンドに上がっていた。試合は敗色濃厚。「今日は負けやなぁ」。キャッチャーとそんな会話を交わしていた。「後は適当に投げたらええやん。フォークでも投げてみるか」。当時、高木の主な持ち球はストレート、カーブにスライダー。フォークボールは投げたことがなかった。人差し指と中指にボールを挟み、腕を思い切り振ってみた。ボールは途中までストレートと同じ軌道で進み、打者の手許でストンと落ちた。「意外に落ちるやん」。この遊び半分で投げた変化球が右腕の運命を大きく変えることになる。

第164回 五十嵐を加えたメッツの今季は?

 新球場・シティフィールドが華やかにオープンして迎えた昨季は、メッツのフランチャイズ史上でも最も重要なシーズンと言われた。  ヨハン・サンタナ、デビッド・ライト、ホゼ・レイエス、フランシスコ・ロドリゲス(K−ロッド)ら攻守に役者が揃い、戦力も充実。『スポーツイラストレイテッド』誌の開幕前予想でも世界一候補の筆頭に推された通り、実り多き1年となる可能性は高いと目された。  だが……フタを開けてみれば、夏場には早くもプレーオフ戦線から脱落し、最終的には70勝92敗と惨敗。主力から故障者が続出したとはいえ、あまりにも不甲斐ない戦いぶりに終始した。一般的にライバルと目されるヤンキース、フィリーズがワールドシリーズに進出したことまで考慮すれば、2009年はメッツにとって球団創設以来最低の1年だったと言ってよかったかもしれない。

高木啓充(東京ヤクルトスワローズ/愛媛県松山市出身)第2回「越智(現巨人)と競った高校時代」

 高木が野球を始めたのは小学校3年生の時だ。「友達がやっていて、楽しそうだから1回行ってみようかなって感じでした」。実際にやってみると、ボールを遠くへ飛ばす楽しさに惹かれた。もともと体が大きかったため、ボーイズリーグでは投手も任された。これが高木の原点である。

第163回 ミラクル・ジェッツの進撃は続くか

 2009〜10年のNFLシーズンも大詰めを迎え、今週末からついにプレーオフの戦いに突入する。  今季は絶対的な本命が存在せず、サンディエゴ・チャージャーズ、インディアナポリス・コルツ、ダラス・カウボーイズらが横一線との下馬評。予断を許さない激戦が1回戦から続きそうだが、そんな群雄割拠の中で、最もドラマチックな流れでこのプレーオフにたどり着いたのがAFC第5シードのニューヨーク・ジェッツである。

高木啓充(東京ヤクルトスワローズ/愛媛県松山市出身)第1回「燕の救世主」

 2009年夏、プロ入り4年目の高木啓充はヤクルト2軍の本拠地、戸田で投げていた。プロに入って3年間、1軍で何度か登板機会はあったが、白星はなし。1軍は巨人、中日と優勝争いを展開しており、実績のない投手に昇格のチャンスが訪れる雰囲気は全くなかった。 「このままクビになるのかな」  正直、オフに非情の通告を受けることも覚悟していた。その後の就活もリアルに考えざるを得なかった。

木村志穂(テコンドー・世界選手権銀メダリスト/愛媛県松山市出身)最終回「世界の頂点へ」

「木村志穂」の名が世界のテコンドー界に知れ渡ったのは2005年7月のことだ。オーストラリアで開催された第14回世界テコンドー選手権。木村は女子型2段の部で見事3位になった。初めて世界の舞台で表彰台の上に立った木村。世界の頂点に一歩、近づいた瞬間だった。

木村志穂(テコンドー・世界選手権銀メダリスト/愛媛県松山市出身)第3回「初戦敗退からの復活」

 2000年8月2日、全国高校総体第2日、陸上女子100メートル障害予選。9組スタートの木村志穂はもてる限りの力を出し、走りきった。しかし6位で予選落ち。彼女は陸上界から身を引くことを決意した。 「陸上は頑張った結果、日本一になることができなかった。自分の限界を感じたんです。テコンドーならもっと大きな舞台に行けるチャンスがあるのかなと」  やるからには頂点を極めたい。木村は自分の能力を開花させる場所は、陸上ではなく、やはりテコンドーだと感じていた。しかし、約1年半のブランクは決して小さくはなかった。2年ぶりに出場した全日本選手権。それまでは必ず決勝に進出していた木村が、まさかの初戦敗退。それも完敗だった。

第162回 松井秀喜がニューヨークにもたらしてくれたもの

 12月14日の夕方ごろのこと。『スポーツ・イラストレイテッド」誌の記者からのメールで、松井秀喜のエンジェルス移籍が決定的になったことを知った。 「俺の言った通りだったじゃないか!」  その記者は11月に雑誌の企画で行なった「松井去就予測座談会」に参加してくれていて、松井のエンジェルス行きを予想していたのだ。しかし筆者はそんな得意気なメールを軽く読み飛ばすと、すぐにスポーツサイトで彼のメールが真実であると確認し、そしてしばし呆然としてしまった。

第99回「ホノルルが変わった!?」

 近年、ブームともいえる広がりを見せるマラソン。東京マラソンを筆頭に、国内マラソン大会はどこも盛況。皇居周辺や大阪城など、都会のランニングスポットは渋滞さえしてしまう勢いだ。そのマラソンブームの元祖といえばホノルルマラソン。つい10数年前までは初心者のマラソンチャレンジといえば「ホノルル」と決まっていた。そのホノルルマラソンも今年で37回目。日本人参加者が半数以上を占める海外マラソンとして、独特の歴史を築いてきたが、ここ数年は確実に変化の兆しが見受けられる。

鳴戸親方(元横綱・隆の里)との対談後編を配信! 〜喘息情報サイト「Zensoku.jp」〜

 グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイトにて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは現在、元横綱・隆の里の鳴戸親方、東濃厚生病院アレルギー呼吸器科部長の大林浩幸先生との対談後編を公開中です!

木村志穂(テコンドー・世界選手権銀メダリスト/愛媛県松山市出身)第2回「ほろ苦い世界デビュー」

「テコンドー」と「陸上」。それが高校時代、木村志穂の生活の基盤だった。彼女はテコンドーでは世界一を、そして陸上では高校日本一を目指し、学校と道場に通う毎日を送った。タイプの全く異なる競技だが、「メンタル面で大きく左右されるという部分はテコンドーも陸上も同じ」と木村は言う。陸上のトレーニングで身についた瞬発力がテコンドーに生かされたとも感じている。だが、やはり二足のワラジをはくのは想像以上に困難を極めた。

木村志穂(テコンドー・世界選手権銀メダリスト/愛媛県松山市出身)第1回「テコンドーとの出合い」

 2009年10月、ロシア・サンクトペテルブルクでテコンドーの世界選手権が開催された。そこで堂々の銀メダル(女子型三段の部)に輝いたのが木村志穂である。4年前の05年、木村は世界選手権で初めて表彰台(銅メダル)に上がった。世界一の座がいよいよ見えてきたと思ったのも束の間、ヒザの靭帯を断裂。2度の手術を乗り越え、今年再び世界の舞台へと戻ってきた木村。今度こそ世界の頂点を極めようと、仕事と両立させながら、練習の日々を送っている。

第161回 「アイバーソンに明日はない」のか

 NBAのスーパースター、アレン・アイバーソンが古巣フィラデルフィア・76ersに3年振りに復帰することになった。  しかし盛大なファンファーレを浴びての帰還劇ではない。全盛をとうに過ぎ、行き場をなくしたアイバーソン。人気&成績低迷に悩む76ers。ともに煮え切らない位置にいる両者が、止むなく手を取り合った形での移籍実現である。

土橋優貴(浦和レッズレディース/徳島県阿南市出身)第5回「2冠制覇にむけシーズンは終わらない」

 大原学園JaSRAから浦和レッズレディースに移籍したのは2007年3月。1部昇格を決めた後の移籍だったが、土橋の心の中には少しだけわだかまりがあった。  土橋にとって浦和レッズレディースといえばかつてのライバルチームである。TASAKIペルーレFC時代では毎年優勝争いを繰り広げてきた相手への移籍なのだ。一方、前年2位のレッズは優勝した日テレ・ベレーザと差を埋めるべくDF陣の強化に乗り出していた。クラブは日本代表の矢野喬子らとともに、経験豊富な土橋の力を必要とした。土橋もその熱意に押され、赤いユニフォームに袖を通すこととなった。

鳴戸親方(元横綱・隆の里)との対談前編を配信! 〜喘息情報サイト「Zensoku.jp」〜

 グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイトにて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは現在、元横綱・隆の里の鳴戸親方、東濃厚生病院アレルギー呼吸器科部長の大林浩幸先生との対談を公開中です!

土橋優貴(浦和レッズレディース/徳島県阿南市出身)第4回「2つのクラブから学んだこと」

 大阪体育大学を卒業後、土橋が籍をおいたのはTASAKIペルーレFCだ。ペルーレは総合宝飾品メーカーの田崎真珠がバックアップし、神戸に本拠地を置くチーム。土橋は社会人生活を送りながらサッカーを続けることとなった。

第7回 石川遼vs.池田勇太、ゴルフ界の新ライバル物語

「2009年、最も飛躍が期待されるスポーツ選手は?」  昨年末から今年の初めにかけて、そう訊ねられた時、私は「プロゴルファーの石川遼」と答えてきた。周知の通り、プロ1年目の昨年は17歳で獲得賞金1億円を突破。これは丸山茂樹の持つ26歳1カ月を大きく上回る日本最年少記録だった。

第160回 パッキャオ対メイウェザー戦へ、機は熟した

 11月14日にラスベガスで行なわれた注目のWBO世界ウェルター級タイトル戦で、フィリピンの怪物マニー・パッキャオがプエルトリコの英雄ミゲール・コットに12ラウンドKO勝利。フィニッシュこそ最終回だったが、だからといってそれまで勝者の読めない接戦だったわけではない。  序盤こそコットも互角に戦ったものの、2度のダウンも奪ったパッキャオが中盤以降は完全にペースを掌握。骨格でひと回り上回る相手に文字通りの圧勝で、アジアの怪物はこれで通算5階級目を制覇したことになる(事実上の7階級制覇)。

第98回「藍ちゃん優勝!」

 トライアスロンのシーズンも終わりかけた11月、素敵なニュースが舞い込んできた。 「藍ちゃん、ワールドカップ優勝!」  これだけ聞くと、ほとんどの日本人は女子ゴルフをイメージすると思うが、藍はアイでもこちらはトライアスロンの上田藍選手。北京オリンピック代表でもある彼女が、なんとメキシコで開催された「ITUトライアスロンワールドカップ ウアトゥルコ大会」で優勝したというのだ。

土橋優貴(浦和レッズレディース/徳島県阿南市出身)第3回「未来を決めた代表招集」

 高校卒業後、大阪体育大学へと進学した土橋は女子サッカー部に入部した。大体大は大学女子チームにとって最大目標となる全日本大学女子サッカー選手権で優勝経験のある強豪チームだ。しかし、土橋にとって大体大を選んだ最大の目標は、教員免許を取得すること。学校の先生への道を模索しての選択だった。

土橋優貴(浦和レッズレディース/徳島県阿南市出身)第2回「男子に混じって気持ちで負けないプレーを」

 土橋が運命の出会いを果たしたのは、小学2年生の時だった。  地元・阿南市の少年サッカーチームFCソシオスのコーチを務める父・克彦とともに、練習グラウンドへ見学にいったことがきっかけだった。 「私はサッカーをやるつもりはなかったんですけど、気付いたらソシオスに入っていた感じです(笑)」  何気なく通っていた地元のサッカークラブ。ここから土橋のサッカー人生はスタートした。

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