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体操の世界選手権は15日、男女の種目別決勝が行われ、内村航平(KONAMI)が床で15.633点をマークし、金メダルを獲得した。内村にとって世界選手権の種目別で優勝するのは初めて。日本勢が床を制したのは1974年大会の笠松茂以来、37年ぶりの快挙となった。その他の種目では山室光史(コナミ)がつり輪で銅メダルを獲得した。
体操の世界選手権は14日、男子個人総合の決勝が行われ、内村航平(KONAMI)が史上初の3連覇を達成した。93.631点は昨年7月のジャパンカップを上回り、国際大会の自己ベスト。2位のフィリップ・ボイ(ドイツ)に3.131点差をつける圧勝だった。3位には山室光史(コナミ)が予選からひとつ順位を上げ、銅メダルを獲得。個人総合で日本勢が2つのメダルを獲得するのは2005年のメルボルン大会以来で、来年のロンドン五輪へ大きな期待が膨らんだ。
「オマエには感謝している」――今年、山田和司が中学時代の恩師・西原隆と初めてお酒を酌み交わした時のことだ。恩師からの思いがけない言葉に、山田は驚きを隠せなかった。 「そんなこと言われると思っていなかったので……。僕の方こそ感謝しているんですから」 そう言って少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑みを浮かべた。果たして恩師が感謝している理由とは――。 「私の口癖は昔から『愛媛から世界へ』なんです。山田が中学時代にもよく『このメンバーから世界へ出るんだ!』と言っていたんですよ。それを彼は本当に実現してくれたんですからね。やればできることを教えてくれました」 愛媛県出身者として初めて日本代表入りを果たし、日本バドミントン界を牽引する存在として世界を相手にしている教え子の存在が今、西原の励みになっている。
その瞬間、誰もが逆転ホームランが飛び出したと信じた。 6日に行なわれたタイガースとのアメリカンリーグ・プレーオフ地区シリーズ第5戦、2−3とヤンキースがリードされて迎えた8回裏――。2死ながら1塁に走者を置いた場面で、デレック・ジーターがライトに大飛球を放った。
2009年、10年と日本一の座をかけて行なわれる日本リーグ(男子)で連覇を果たすなど、日本のバドミントン界を牽引する日本ユニシス。所属する11名の日本人男子選手のうち、日本代表はなんと10人(Bチーム含む)を数える。まさに精鋭たちが集うエリート集団だ。なかでも花形である男子シングルスで今、最もオリンピックに近い位置にいるのが山田和司である。
「オレ、本当に来たんだな……」 2008年9月6日、北京パラリンピック開会式。9万人を収容できる巨大スタジアム、通称「鳥の巣」(北京国家体育館)に藤本佳伸はいた。開会式が始まっておよそ2時間後、ようやく日本代表は待機していた広場から競技場へと続く通路を移動し始めた。徐々に入口の光が大きくなり、観客の歓声が聞こえてくる。藤本は胸の高鳴りを抑えることができずにいた。
「彼の強さは行動力のあるところ。自分の意志をはっきりと表に出すことができることですよ」 日本男子代表コーチを務める丸山弘道は、藤本佳伸というプレーヤーをこう評する。2005年の「ワールドチームカップ」で初めて藤本のテニスを見た丸山は「パラリンピックを目指している」という彼に、自らがコーチを務めるテニストレーニングセンター(TTC、千葉県柏市)に練習拠点を移すことを勧めた。とはいえ、仕事や生活のこともある。そう簡単に決められることではない。丸山は徳島の実家で暮らす藤本が、自分の元へと来る可能性は五分五分と見ていた。ところが、藤本は約1カ月半後には千葉での一人暮らしをスタートさせたのである。その行動の早さにはさすがの丸山も驚きを隠せなかったという。だが、これだけの行動力がなければ、今の藤本はない。なぜなら藤本のテニス人生を支えている数々の出会いは、こうした彼のスピーディな行動による産物にほかならないからだ。
全米最大の人気スポーツ、NFL(アメリカン・フットボール)が今年も開幕した。「アメリカはフットボールの国」と多くのスポーツファンが真顔で語る通り、毎年この時期が来るとMLBのニュースもかき消されてしまう。文字通り、国中がフットボールの話題で染まっていくのである。 今シーズンはどんな新たなスター、楽しみなストーリーが生まれるのだろうか。今回はNFLの2011-12シーズンから見どころを4つピックアップし、同時に今季の戦線を占っていきたい。
近年、日本人の躍進が目覚ましいサイクルロードレース界。ここでまたひとつ新しい快挙が生まれた。オランダのチーム「スキルシマノ」に所属する土井雪広選手が、日本人として初めてスペイン一周レース「ブエルタ・ア・エスパーニャ」に出場、そして完走を果たしたのである。
「あんなふうにオリンピックで演技できたらいいな」――テレビの向こうでは世界最高峰の舞台で活躍する先輩の姿があった。 1992年、バルセロナオリンピック。団体で銅メダルを獲得した体操日本代表の一人、畠田好章の姿が高校1年の藤本佳伸にはまぶしく見えた。畠田は藤本が当時通っていた鳴門高校器械体操部OBだった。小、中学校時代には同じ体操クラブに通っていた先輩であり、彼にとっては身近な存在だった。その畠田が世界の舞台で堂々と演技している。その姿に藤本はほんの少しだけ将来の自分を重ねていた。はっきりと「目標」とは言えないまでも、オリンピックは彼にとって目指すべき舞台であることは確かだった。しかし約1年後、その夢ははかなく散った。それはあまりにも突然の出来事だった。
男子卓球で北京に続く2大会連続の五輪出場を決めた岸川聖也は、少年時代から世界で戦ってきた選手である。中学3年時よりドイツに渡って腕を磨き、北京五輪の団体では、そのドイツにあと一歩のところで敗れ、メダルを逃した。「オリンピックは4年に1度。その時に勝つしかない」。ロンドンでの目標はもちろんメダル獲得だ。24歳ながら日本を代表するプロ卓球選手となった岸川に、二宮清純が世界との違いを訊いた。
パーン、パーン、パーン……。 8月中旬、千葉県柏市にあるテニストレーニングセンター(TTC)のドアを開けると、すぐにテニス独特の乾いた音が聞こえてきた。室内とはいえ、「今年一番」というほどの最高気温をマークしたこの日、じっとしていても汗がしたたり落ちるほどの蒸し暑さだった。そんな中、一番端のコートでは男性が一人、コーチが打つボールを必死に追いかけていた。車いすプレーヤーの藤本佳伸だ。小学生の時から器械体操をやっていたということもあり、上半身はテニスプレーヤーらしからぬ強靭な肉体であることは傍目からも十分にうかがい知ることができた。こちらに気付くと「こんにちは!」と屈託のない笑顔を向けてきた。その表情は充実感に満ち溢れているように感じられた。
ボクシングの元6階級制覇王者オスカー・デラホーヤが、8月30日にテレビ放送されたインタヴューで衝撃的な告白を行なった。 「ここ2年間、自分の人生はどん底だった。生きている価値があるのかと考えた。自らの命を絶つ勇気まではなかったが、それを考えていたことは確かだ」 9歳の頃から始めたという飲酒が過去2年、エスカレートし、コカインも併用したという。偽物だと強硬に主張し続けて来た数年前の女装写真も、実は自身のものであったと自白。その過程で夫人とも別居状態となり、乱れ行く人生に絶望し、自殺まで頭をよぎったというのだから穏やかではない。
金丸にとって4度目の世界陸上が開幕した。男子400mの予選は5組で争われ、各組の上位4着までと、5着以下の中からタイム順で4人までが準決勝に進める。金丸は予選3組に入った。同組には前回大会と北京五輪を制したラショーン・メリット(米国)がいた。
世界陸上の開幕が近づいてきた。金丸が出場する男子400mは大会2日目の28日に予選を迎える。予選突破、そして大きな目標として掲げる決勝進出には何が必要なのか。 「いろいろありますけど、現段階で言えばスピードですかね。単純な速さではなくて、400mを走る上でいかに高いレベルでスピードを維持できるかが大事だと考えています」
MLBを代表するライバル同士、ヤンキースとレッドソックスが今季もアメリカン・リーグ東地区で熱い首位争いを演じている。 両チームともに日本人選手は不在となったが、その強さと米国内での注目度の高さは変わらぬまま。8月18日のゲームが終わった時点で、ヤンキースが75勝47敗、レッドソックスは75勝48敗とリーグ1、2位の成績を残しているのだ。
トライアスロンを長くやっていると、いろいろと驚かされることが多い。中でもハンディキャップを持つ方のチャレンジが意外にも多く、その姿勢に頭が下がる思いをすることがある。
金丸には第一人者にしか分からない独特の感覚がある。トラックを駆け抜ける際、地面に「かみつく」イメージを持っているというのだ。 「足をパンとムチのように地面に叩きつけて、しっかりかみつかせる。その勢いで体を前に持っていく。そういう意識で走っています」
小さい頃から足の速い子どもだった。 大阪府高槻市に生まれた金丸は、元気いっぱいの幼少時代を過ごした。とにかく外で遊ぶのが大好きで、近くの田んぼで足を泥だらけにして炎症を起こしたこともあるほどだ。小学校ではその俊足を生かし、3年生からサッカーを始めた。 「でも足が速いだけで、ボールを蹴るのがヘタクソだったんです。せっかくゴール前まで行ってもシュートを外しちゃうんで(笑)」
メジャーに渡って2年目の五十嵐亮太が、少しずつ真価を発揮し始めている。 2年300万ドルというリリーバーとしてはまずまずの契約でメッツに入団するも、1年目の昨季は1勝1敗、防御率7.12と苦しい成績で終了。同期入団の高橋尚成(現エンジェルス)が「ニューヨークの掘り出し物」になったのと比べ、より期待の大きかった五十嵐の方は誤算に終わってしまった感は否めなかった。 2年目の今季も開幕こそマイナースタートだったが、しかし3Aバッファローでは21試合に登板して防御率0.87と完璧な内容。そこで実力を認めさせると、7月中旬にメジャー再昇格以降は8試合で7回1/3を投げて9奪三振(2自責点)と好内容の投球を続けている。当初は敗戦処理的な役割が多かったが、最近は重要な場面で起用されることも増えてきた。
低い姿勢から大きなストライドでグングン加速し、先頭で風を切る。金丸祐三は今、日本で最も速く400メートルを走る男である。高校3年時に日本選手権を制し、今年で7連覇を達成した。この9月で24歳。スプリンターとしては、ここから脂がのってくる時期である。
「Wエースとしてがんばろう」 福島由登と奥村翔馬の入学当初からの約束――1年の時、奥村は福島の筆箱にこの言葉を書いた。母・祥子には未だに忘れられない出来事として記憶されている。 「筆箱に書いた字なんて、普通なら2、3年も経てば、薄くなってほとんど消えてしまうと思うんですけど、結局卒業するまで消えなかったらしいんですよ。それほど2人の絆は強かったのかもしれませんね」 2008年は、その“Wエース”にとって忘れられない夏となった。
日本中を元気にしてくれた「なでしこJAPAN」。震災後、いいニュースが少ない日本国内に、本当に嬉しい明るい話題だった。普段はサッカーのことなど語らない、いや興味がない主婦までもが「なでしこ」の言葉を語るのは、いかにこのニュースが皆を惹きつけたかを物語っている。しかし、一部スポーツ関係者の間では「この光景どこかで見たよね……」と心配する声が。そう、北京オリンピック後のソフトボールである。あの時はワイドショーまでもが、ソフトボールを語り、選手の生い立ちや、家族をフィーチャーしていた。しかしあれから3年、いまやソフトボールを見る人、語る人はどれだけいるのだろう……。そして今の女子サッカーは、「まさにあの現象と同じ」と心配する声も一部では上がっている。
「史上最弱」 これが中田翔(北海道日本ハム)らが抜けた大阪桐蔭への評価だった。 「新チームになった時に西谷浩一監督に言われたんです。『オマエら、他から何て言われているか知ってるか? 今年の桐蔭は弱いって言われているんだぞ。そんなこと言う奴らを見返そうじゃないか!』って。確かに僕たちの学年には中田さんたちの学年のようにスター選手がいたわけではなかった。だから、とにかく“全員野球”でいくしかなかったんです」 全国から注目された前年とは一転、この年の大阪桐蔭はまさにゼロからのスタートだった。
7月9日、WBA世界スーパーバンタム級王者・下田昭文はアトランティックシティで同級1位リコ・ラモス(アメリカ)との防衛戦に臨んだ。アメリカ本土で日本人王者がタイトル防衛戦を行なうのはこれが初めて。そのおかげもあって、今回のタイトル戦は多くの注目を集めることになった。 ただそんな歴史的背景よりも、筆者が何より特筆すべきと感じたのは、このファイトが米国最大のプレミアムケーブル局HBOで生中継されたことである。