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12月14日の夕方ごろのこと。『スポーツ・イラストレイテッド」誌の記者からのメールで、松井秀喜のエンジェルス移籍が決定的になったことを知った。 「俺の言った通りだったじゃないか!」 その記者は11月に雑誌の企画で行なった「松井去就予測座談会」に参加してくれていて、松井のエンジェルス行きを予想していたのだ。しかし筆者はそんな得意気なメールを軽く読み飛ばすと、すぐにスポーツサイトで彼のメールが真実であると確認し、そしてしばし呆然としてしまった。
近年、ブームともいえる広がりを見せるマラソン。東京マラソンを筆頭に、国内マラソン大会はどこも盛況。皇居周辺や大阪城など、都会のランニングスポットは渋滞さえしてしまう勢いだ。そのマラソンブームの元祖といえばホノルルマラソン。つい10数年前までは初心者のマラソンチャレンジといえば「ホノルル」と決まっていた。そのホノルルマラソンも今年で37回目。日本人参加者が半数以上を占める海外マラソンとして、独特の歴史を築いてきたが、ここ数年は確実に変化の兆しが見受けられる。
グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイトにて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。同シリーズでは現在、元横綱・隆の里の鳴戸親方、東濃厚生病院アレルギー呼吸器科部長の大林浩幸先生との対談後編を公開中です!
「テコンドー」と「陸上」。それが高校時代、木村志穂の生活の基盤だった。彼女はテコンドーでは世界一を、そして陸上では高校日本一を目指し、学校と道場に通う毎日を送った。タイプの全く異なる競技だが、「メンタル面で大きく左右されるという部分はテコンドーも陸上も同じ」と木村は言う。陸上のトレーニングで身についた瞬発力がテコンドーに生かされたとも感じている。だが、やはり二足のワラジをはくのは想像以上に困難を極めた。
2009年10月、ロシア・サンクトペテルブルクでテコンドーの世界選手権が開催された。そこで堂々の銀メダル(女子型三段の部)に輝いたのが木村志穂である。4年前の05年、木村は世界選手権で初めて表彰台(銅メダル)に上がった。世界一の座がいよいよ見えてきたと思ったのも束の間、ヒザの靭帯を断裂。2度の手術を乗り越え、今年再び世界の舞台へと戻ってきた木村。今度こそ世界の頂点を極めようと、仕事と両立させながら、練習の日々を送っている。
NBAのスーパースター、アレン・アイバーソンが古巣フィラデルフィア・76ersに3年振りに復帰することになった。 しかし盛大なファンファーレを浴びての帰還劇ではない。全盛をとうに過ぎ、行き場をなくしたアイバーソン。人気&成績低迷に悩む76ers。ともに煮え切らない位置にいる両者が、止むなく手を取り合った形での移籍実現である。
大原学園JaSRAから浦和レッズレディースに移籍したのは2007年3月。1部昇格を決めた後の移籍だったが、土橋の心の中には少しだけわだかまりがあった。 土橋にとって浦和レッズレディースといえばかつてのライバルチームである。TASAKIペルーレFC時代では毎年優勝争いを繰り広げてきた相手への移籍なのだ。一方、前年2位のレッズは優勝した日テレ・ベレーザと差を埋めるべくDF陣の強化に乗り出していた。クラブは日本代表の矢野喬子らとともに、経験豊富な土橋の力を必要とした。土橋もその熱意に押され、赤いユニフォームに袖を通すこととなった。
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大阪体育大学を卒業後、土橋が籍をおいたのはTASAKIペルーレFCだ。ペルーレは総合宝飾品メーカーの田崎真珠がバックアップし、神戸に本拠地を置くチーム。土橋は社会人生活を送りながらサッカーを続けることとなった。
「2009年、最も飛躍が期待されるスポーツ選手は?」 昨年末から今年の初めにかけて、そう訊ねられた時、私は「プロゴルファーの石川遼」と答えてきた。周知の通り、プロ1年目の昨年は17歳で獲得賞金1億円を突破。これは丸山茂樹の持つ26歳1カ月を大きく上回る日本最年少記録だった。
11月14日にラスベガスで行なわれた注目のWBO世界ウェルター級タイトル戦で、フィリピンの怪物マニー・パッキャオがプエルトリコの英雄ミゲール・コットに12ラウンドKO勝利。フィニッシュこそ最終回だったが、だからといってそれまで勝者の読めない接戦だったわけではない。 序盤こそコットも互角に戦ったものの、2度のダウンも奪ったパッキャオが中盤以降は完全にペースを掌握。骨格でひと回り上回る相手に文字通りの圧勝で、アジアの怪物はこれで通算5階級目を制覇したことになる(事実上の7階級制覇)。
トライアスロンのシーズンも終わりかけた11月、素敵なニュースが舞い込んできた。 「藍ちゃん、ワールドカップ優勝!」 これだけ聞くと、ほとんどの日本人は女子ゴルフをイメージすると思うが、藍はアイでもこちらはトライアスロンの上田藍選手。北京オリンピック代表でもある彼女が、なんとメキシコで開催された「ITUトライアスロンワールドカップ ウアトゥルコ大会」で優勝したというのだ。
高校卒業後、大阪体育大学へと進学した土橋は女子サッカー部に入部した。大体大は大学女子チームにとって最大目標となる全日本大学女子サッカー選手権で優勝経験のある強豪チームだ。しかし、土橋にとって大体大を選んだ最大の目標は、教員免許を取得すること。学校の先生への道を模索しての選択だった。
土橋が運命の出会いを果たしたのは、小学2年生の時だった。 地元・阿南市の少年サッカーチームFCソシオスのコーチを務める父・克彦とともに、練習グラウンドへ見学にいったことがきっかけだった。 「私はサッカーをやるつもりはなかったんですけど、気付いたらソシオスに入っていた感じです(笑)」 何気なく通っていた地元のサッカークラブ。ここから土橋のサッカー人生はスタートした。
全米を震撼させる松井秀喜の超絶パフォーマンスだった。 すべての野球人にとって夢の舞台であるワールドシリーズの第6戦で、4打数3安打、1本塁打。そしてシリーズタイ記録となる6打点。何より、この大活躍でヤンキースを27度目の世界一に導いたのだ。 「最高ですね。この日のために1年間も頑張ってきたわけですから。何年もニューヨークにいましたけど、初めてここ(世界一)まで来れて最高です」 日本人選手としてはもちろん初めてとなるワールドシリーズMVPを獲得しても、松井の言葉はいつも通りシンプルだった。だが今回ばかりはそうであるがゆえに、より実感がこもって聞こえたのも事実である。
昨年の北京オリンピックで、女子サッカー日本代表がベスト4に進出し大きな話題となった。“なでしこジャパン”の活躍は近年の日本サッカー史で、最も世界の頂点に近づいた快挙ともいえる。そのなでしこジャパンの選手の多くは、女子サッカーリーグである“なでしこリーグ”に所属し、熾烈な戦いを繰り広げている。
浜口京子との初対決で本物のレスリングを教えられた佐野だったが、しばらくは柔道をベースにしたスタイルを続けていた。レスリングへの転向を勧めた女子レスリング班の藤川健治監督は、まず長所を伸ばそうと試みたのだ。 「最初は“柔道レスリング”でいいと明日香には言っていました。彼女は体力も瞬発力も兼ね備えている。格闘技のセンスもあった。72キロは選手層が薄いので、全日本のトップクラスになれる能力はあると最初からみていました。相手からしてみれば、柔道の足技や投げで一発で返されるのは怖いもの。レベルが高くなれば、課題は自然と出てくる。だから柔道でやってきたことをリセットしなくていいと伝えていました」
社会人でも柔道を続ける決意を固めた佐野にアクシデントが起きたのは、自衛隊体育学校に入る前の2005年秋のことだった。練習中に足をかけられた際、左足一本でけんけんをしながら後退した。その瞬間、負荷がかかったヒザに激痛が走った。 「でも痛みが治まったら、普通に歩けたんでテーピングを巻いて練習に参加しました。ところがヒザに力が入らず、ガクッと崩れてしまう。投げ込みもできなくなってしまったんです」
9年振りの世界一を目指すヤンキースが、順調にアメリカンリーグ・チャンピオンシップ・シリーズに進出。今季ベストレコードを勝ち取った勢いを保ち、ワールドシリーズは目前に迫っている。 しかし、ア・リーグ頂上決戦の相手は一筋縄ではない。ここで対戦するのは、西海岸の雄・エンジェルス。ヤンキースは今季中盤ごろからリーグのベストチームの称号を欲しいままにして来たが、エンジェルスもそれに続くNO.2の実力を持つと目される強豪である。
世界中で愛好者人口が急激に増加しているトライアスロン。世界的なマラソンブームの余波か、IT化により人工的になりすぎた都市生活の反動か、欧米ではその勢いはとどまるところを知らない。ドイツなどでは人気スポーツベスト3に入っているし、北米では「転職に有利だから」と始める輩までいる始末。この勢いが少しずつアジアに波及してきたようで、日本国内でも参加者が増加中だ。
佐野のアスリートとしての原点は小学校1年生から続けてきた柔道にある。友達の誘いで始めたものの、最初は決して乗り気ではなかった。「始めて3日で後悔しました。でも母親が柔道着を一式買ってきて辞めたいって言えなかったんです」 何かと理由をつけては、練習を休もうとしていた。19時からの練習開始時刻に先生が練習場に現れないと、「先生が来なかったから」と言って、さっさと帰ったこともある。
“ポスト浜口”を世界の舞台でアピールすることはできなかった。 9月21日からデンマークのヘルニングで行われたレスリングの世界選手権。女子72キロ級に出場した佐野明日香は1回戦でディナ・イワノワ(アゼルバイジャン)に敗れた。 「“結局、世界選手権は浜口じゃないと勝てないんだ”と思われるのがイヤでした。絶対にメダルを獲って、“佐野でもできるんだ”とみせたかったんですけど……」 世界選手権初挑戦の27歳は唇をかみしめた。
9月下旬のレッドソックス3連戦にスイープ勝利を飾り、この時点でヤンキースの3年振りの地区優勝が決定。MLBベストチームとの名声を欲しいままにし、これから万全の体制で約束の地・プレーオフに挑むことになる。 そして、そのチーム内で5番打者の地位を確保してきた松井秀喜の評価も、シーズンが進むに連れて徐々に上がり続けている。オールスター以降の60試合では打率.297、14本塁打、50打点。特に9月は打率.356、5本塁打と絶好調(記録はすべて9月29日現在)で、優勝を決めた9月27日の試合での逆転タイムリーも印象的だった。
2006年、二神一人は法政大学に進学した。法大野球部といえば、言わずも知れた大学野球の名門。六大学リーグ優勝43回、全日本大学野球選手権大会優勝8回はいずれも最多を誇る。また、OBには古くは鶴岡一人(故人)、根本陸夫(故人)、黄金時代を築き上げた田淵幸一、山本浩二、富田勝の“法政三羽烏”や、六大学史上唯一の完全優勝での4連覇の立役者・江川卓……と日本野球界を代表する名がズラリと顔を揃える。もちろん、現在も全国から優秀な選手が集まり、レギュラー争いの厳しさは想像に難くない。やはり、入学当初はそのレベルの高さに驚いたのではないか――。ところが、二神の口からは意外な答えが返ってきた。 「不安ということはほとんど感じなかったですね。それよりも自分は高知高校、高知県の出身者として頑張りたいという気持ちでした。特に自信があったわけではありませんが、大学にもなると本当にうまい選手は1年生からレギュラーになるし、それが決して珍しいことでもありません。だから自分も4年間、主力として活躍できるように頑張ろうという気持ちでいました」 その言葉通り、二神は1年秋にベンチ入りを果たした。そして今、エースとして君臨し、チームの“顔”となっている。
2005年8月4日。その日、二神一人は次なるステージ、法政大学のセレクションを受けるため、夜行バスで東京へと向かうことになっていた。寮で一人準備をしていると、突然、驚愕のニュースが舞い込んできた。 「明徳義塾、甲子園出場辞退」 二神は耳を疑った。聞けば、明徳と入れ替わり、自分たちが代替出場するという。あまりの突然の出来事に事情をうまくのみこむことができなかった。午後、選手全員に招集がかかり、改めて監督から代替出場することが説明された。選手たちは皆、困惑の表情を浮かべていた。だが、二神たちに驚いている暇はなかった。甲子園開幕までわずか2日しか残されていなかったのだ。