第30回 五輪の借りは五輪でしか返せない(木崎良子)

 さる3月9日に行なわれた名古屋ウィメンズマラソン。35・7キロを過ぎたあたりで早川英里、田中智美から遅れ始めた時には、「日本人最先着」は無理かと思われた。  失速の理由は左太腿裏のしびれ。15キロ過ぎから異変を感じていたという。  しかし木崎良子は諦めなかった。懸命に追走し、40キロ手前で2人に追いつくと早川とのし烈な3位争いを制して、「最低限の目標」に掲げていた日本人トップでゴールに飛び込んだ。

第631回 スポーツにおける政治活動、その表現方法の是非

 1968年のメキシコ五輪。陸上競技男子200メートルで金メダルを獲得した米国の黒人選手トミー・スミスは表彰台に上がるや、ややうつむき加減の姿勢で黒い手袋をつけた右手を高々と宙に突き上げた。銅メダリストの黒人選手ジョン・カルロス(米国)もスミスに続いた。違っていたのはカルロスの突き上げた拳が左だったということくらいだ。

故郷への野球愛 金森栄治

 城島健司、井口資仁らを指導した名コーチが地元へ再び舞い戻った。石川県金沢市出身の金森栄治が、4月から金沢学院東高の野球部監督を務める。金森はヤクルト、西武、阪神、ソフトバンク、ロッテで打撃コーチなどを務め、日本学生野球協会から1月に学生野球指導資格回復の認定を受けて、今回の就任に至った。07年にはBCリーグの石川で指揮を執り、チームをリーグ初代王者に導いた実績もある。広岡達朗、野村克也など球界の名指導者の薫陶を受けた男が、アマ野球でどんな選手を育てるのか。金森の故郷への思い、指導哲学を7年前の原稿で、振り返ろう。

第630回 肉体芸術の極みだった「人間風車」

「人間風車」も不死身ではなかった。英国出身の名レスラー、ビル・ロビンソンがさる3日(現地時間)、米アーカンソー州の自宅で死去した。75歳だった。  ロビンソンが来日するまで、外国人レスラーと言えばヒールが相場だった。正統派のシャープ兄弟ですら、力道山の前では仇役だった。

第29回 「世界」と一対一で渡り合った人間力(青木功)

 日本を代表するゴルファーである青木功が、プレーヤー部門で「日本プロゴルフ殿堂」入りを果たした。  式典で71歳の青木は「私に引退はありません。引退しないことを、ここで宣言しますよ」と張りのある声で語った。 「自分にとってゴルフは天職。これしかないと決めているんです。だから、現役はいつまでと決めてしまったら寂しいですよ。いつか、ゴルフができなくなる時が必ず来る。その時に悔いが残らないよう、1日1日、1年1年を大切に過ごしていくつもりです」

メダル量産よりも価値のある、その中身

 17日間の熱戦の幕を閉じたソチ冬季五輪。日本は金1、銀4、銅3と、メダル総数は8個で目標にしていた“長野超え”(金5、メダル総数10)には届かなかった。しかし、その内訳を見れば5競技でメダルを獲得し、冬季五輪過去最多(4競技)だった長野とアルベールビルを超えた。この多様性こそが日本の強みではないだろうか。この点について指摘した3年前の原稿で、日本スポーツの進むべき道を再確認しよう。

第628回 パラリンピックで金狙う“鉄人”久保恒造

 ソチ冬季パラリンピックのクロスカントリーとバイアスロンに出場する久保恒造の試合スケジュールを見てふと軍歌の歌詞が頭に浮かんだ。 <月月火水木金金>。休みなく勤務に励む海軍兵の士気を鼓舞するためにつくられた歌だが、高度成長期には土、日返上で働くサラリーマンも口ずさんでいた。ザ・ドリフターズが、バラエティー番組の中でこの曲の替え歌を披露したことで、私たちの世代にも馴染みが深い。

第28回 日本に活を入れる異次元の華やぎ(ディエゴ・フォルラン)

 日本代表が初めて出場したワールドカップ――1998年フランス大会での日本の守りは海外のメディアからも高い評価を受けた。井原正己とともに最終ラインを統率したのが秋田豊である。  初戦のアルゼンチン戦ではエースストライカーのガブリエル・バティストゥータを徹底してマーク。世界屈指の点取り屋と堂々のマッチアップを演じた。

第627回 メダル獲得競技の「多様性」こそ日本の強さ

 ソチ冬季五輪11日目終了時点で、日本は6個(金1、銀3、銅2)のメダルを獲得している。金メダル数(5)、総メダル数(10)ともに史上最多だった「長野五輪超え」(橋本聖子団長)の目標達成は難しい状況だが、金なしの計5個のメダルに終わったバンクーバー大会の成績は上回った。

第551回 田中よ、NYの星になれ!

「米国製のボールでツーシームを投げていたんですけど、右や左に浮いたり、沈んだりして予測がつかない。あれを打つのはきっと大変じゃないでしょうか」  そう語ったのは東北楽天の美馬学である。ヤンキース入りが決まった田中将大と自主トレでキャッチボールをした時のエピソードだ。田中の視線は、既に海の向こうを見据えている。

負けず嫌いの告白 長谷川健太

 W杯イヤーのJリーグが3月1日に開幕する。注目クラブのひとつ、まさかのJ2降格から1年で這い上がってきたガンバ大阪だ。オフの話題こそ、ビッグネームが加入したセレッソ大阪に押され気味だが、J屈指のタレントを揃える同じ大阪の名門も負けていない。遠藤保仁、今野泰幸ら日本代表選手を擁し、このオフにはGKに代表経験のある東口順昭を補強した。戦力は充実しているだけに、監督である長谷川健太の采配が上位進出へのカギを握る。2011年の柏以来となるJ1復帰初年度の制覇を狙う指揮官のメンタリティーに09年の原稿で触れよう。

第626回 寺川綾のメダルには“味があった”

 ロンドン五輪競泳女子で2つのメダルを獲得した寺川綾が、師事する平井伯昌(日本代表ヘッドコーチ)から不意に声をかけられたのは、100メートル背泳ぎ決勝前のウォーミングアップが終了した後だ。寺川は腹ごしらえにおにぎりをたべていた。「オマエ、そのおにぎりの味がちゃんと分かるか?」

第625回 食堂が連帯感を生むプラットホームに

 ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズはサントリーの監督時代、選手たちに食事中の携帯電話使用を禁じた。  なぜか? サントリー所属で日本代表最多の81キャップを誇る小野澤宏時から、理由を聞いた。「せっかく円卓になっている夕食会場で皆が携帯電話をいじり始めるとコミュニケーションがとれなくなる。エディーさんは、それを気にしていたんです」

第550回 球界の宝を送り出す祝福と危機感 東北楽天・立花陽三球団社長

「複雑な気持ちというのが正直なところです。ただ、決まった以上は楽天の誇り、東北の誇りを持ってメジャーリーグで大暴れしてほしいと思います」  田中将大のヤンキース入りを受けて、楽天野球団社長の立花陽三は、そう語った。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<後編>

 長野が栄光の頂だとするなら、その先、日の丸飛行隊に待っていたのは挫折と絶望の滑走路だった。  リレハンメルから続く大河ドラマのエピローグが見たくて、私は4年後、するとレイクシティへ飛んだ。記憶に残っているのはブルーの絵の具をパレットに薄く溶かしたような退屈な空。アクセサリー代わりの乳白色の飛行機雲。そして、しなだれたままの日の丸と鯉のぼり。3大会ぶりのメダルなし。完敗だった。

第624回 「実力を超えた運」持った五輪レジェンド

 より速く、より高く、より強く――。これがオリンピックのモットーである。「より運よく」とは、どこにも書かれていない。  現地でレースを見終わった直後、「競馬なら万馬券だよな」と、つい呟いてしまったことを覚えている。  ソルトレイクシティ冬季五輪ショートトラック男子1000m決勝。アイスセンターに詰めかけた大観衆のお目当ては甘いマスクの日系2世アポロ・アントン・オーノ(米国)だった。だが金メダルを胸に飾ったのはスティーブン・ブラッドバリーというオーストラリアの伏兵だった。

第26回 1000分の1秒を制した男

 スピードスケートの500メートルは、文字どおり1000分の1秒を争う究極のタイムレースである。距離にすると1・5センチ程度だ。  スタートの出遅れは、そのまま致命傷となる。  1998年長野五輪金メダリスト、02年ソルトレイクシティ五輪銀メダリストの清水宏保ほどスタートにこだわった選手を、私は他に知らない。

第623回 感動の金呼んだ3番・原田&4番・船木

 ドラマをつくったのが原田雅彦なら、歴史をつくったのは船木和喜だった―。  今から16年前の2月、長野冬季五輪の観戦記で、本紙にこう書いた。ノルディックスキー・ジャンプ団体戦。第1ラウンド、3番・原田の姿は白馬の吹雪の中に消えた。わずか79.5メートル。この失速ジャンプで日本は首位から4位に滑り落ちた。その直後に原田の口から飛び出した「屋根ついてないから、しょうがないよね」との言葉ほど、この競技の本質を突いたものはない。

第549回 「王」にふさわしい立ち居振る舞いを 東京ヤクルト ウラディミール・バレンティン外野手

 米国から衝撃的なニュースが飛び込んできた。昨季、日本プロ野球記録の60本塁打を放った東京ヤクルトのウラディミール・バレンティンが米国フロリダ州マイアミ近郊で離婚協議中のカーラ夫人を暴行、監禁したとして捜査当局に逮捕されていたことが明らかになったのだ。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<中編>

 物語は長野の4年前のリレハンメル(ノルウェー)にまで遡る。  ジャンプ団体戦。原田雅彦、葛西紀明、西方仁也、岡部孝信の4人で構成する日の丸飛行隊は7本を飛び終え、2位ドイツに55.2ポイントの大差をつけていた。距離に換算するとアンカーの原田が104メートルを飛べば、日本は史上初の団体戦金メダルを獲得できる手はずだった。

第622回 巨人を強くする井端の“無形の力”

 現巨人ヘッドコーチの川相昌弘が、球団のユニホームに見切りをつけ、入団テストまで受けて中日に移籍したのは39歳の時だった。原辰徳から堀内恒夫への突然の監督交代を受け、内定していた「1軍守備コーチ」のポストは宙に浮いてしまった。「だったら違う球団で 現役を続けよう。そう思って自由契約にしてもらったんです」

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