第621回 ダウン後も冷静 王者・内山の危機管理力

 一寸先は闇。何が起こるか分からないのがボクシングである。最悪の状況下、いかにして最善のカードを切るか。そこに勝者と敗者の分水嶺がある。  昨年の大晦日に行われた王者・内山高志と挑戦者・金子大樹とのWBA世界スパーフェザー級タイトルマッチは、日本ボクシング史に残る名勝負となった。予想どおりJBCの年間最高試合にも選ばれた。

日の丸飛行隊「栄光と挫折」のドラマ<前編>

 日の丸飛行隊、復活へ――。1カ月後に迫ったソチ五輪、スキージャンプといえば、金メダル大本命の高梨沙羅がいる女子に注目が集まりがちだが、男子も負けていない。今シーズンのW杯開幕戦では団体3位に入り、2年ぶりに表彰台に立った。個人戦でも竹内択、伊東大貴、葛西紀明が好成績を収め、1998年の長野五輪以来、4大会ぶりのメダルへの期待も高まっている。長野で味わった「栄光」、そしてソルトレイクシティでの「挫折」、日の丸飛行隊の浮き沈みを描いたドラマを、06年の原稿で振り返る。

第620回 “平和の祭典”五輪に忍び寄るテロの影

 スティーヴン・スピルバーグが制作した映画「ミュンヘン」は1972年、ミュンヘン五輪でのパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団襲撃事件と、その後のモサド(イスラエル諜報特務庁)による報復作戦を描いたものである。併せて『ミュンヘン――黒い九月事件の真相』(角川文庫)も読んだが、「平和の祭典」であるはずの五輪がテロの舞台に選ばれ、暴力の果てなき応酬へと向かう経緯はブレーキを失った暴走列車を想起させる。むき出しの感情の前には理性などひとたまりもないのか。

第619回 木田優夫こそ永遠のジャーニーマン

「アイツは本当に野球が好きだよね」。今季限りでユニホームを脱いだ元中日の山崎武司が苦笑を浮かべて語っていた。  アイツとは同級生の木田優夫のことである。45歳の今季は独立リーグ「BCリーグ」の石川ミリオンスターズでクローザーとして52試合に登板した。全72試合だから、3試合のうち2試合以上は投げた計算になる。防御率1.76という好成績でリーグ優勝、そして四国アイランドリーグplusの覇者・徳島インディゴソックスを破って「独立リーグ日本一」にも貢献した。

第24回 「諦めない」それがミラクルの条件(佐藤寿人)

 残り2試合で、首位・横浜F・マリノスとの勝ち点は5差。横浜はひとつでも勝てば優勝だったのに対し、3位・広島は負けはもちろん、引き分けすらひとつも許されないという過酷な状況。これを引っくり返しての優勝だからミラクルと言っていいだろう。

第618回 大学NO.1投手、プロでの成功のカギ

 ホームランを868本も放った福岡ソフトバンクの王貞治球団会長によれば「デッドボールも野球のうち」である。ピッチャーではなく、バッターとして数々の記録を持つ“世界の王”が言うのだから、居住まいを正して聞く必要がありそうだ。「だから(バッターに)当てたからと言ってピッチャーを悪く言う必要はない。それにバッターも“インコースを攻められるのも野球なんだ”と、もっと覚悟しなくちゃね」

第547回 中日の来季を占う“ドミニカ土産”

 中日のプレーイングマネジャーに就任した谷繁元信を支える森繁和ヘッドコーチと言えば、落合博満GMの懐刀として知られるが、編成面でも大きな役割を担っている。  11月初旬にはウインターリーグ視察のため、ドミニカ共和国に旅立った。スリーパー(眠っている才能)の宝庫といわれる同国で、スカウト活動を展開するためだ。

オリンピックに懸ける情熱 岡崎朋美

 6度目の五輪出場を目指すスピードスケーターがいる。42歳の岡崎朋美だ。1994年のリレハンメル五輪から5大会連続で出場しており、98年の長野五輪では女子500メートルで銅メダルを獲得した。通算5度の冬季五輪出場は日本女子歴代最多である。結婚、出産を経て、現在は一児の母となった。岡崎は出産後初の五輪を目指し、今月27日から始まる日本代表選考競技会に臨む。彼女の大舞台に懸ける想いを、7年前の原稿で振り返る。

第617回 交流制限下の南アに渡った青木の信念

 1984年12月といえば、さる5日、95歳の生涯を閉じた南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラは、まだ獄中にあった。  当時、日本政府は国際社会と歩調を合わせ、アパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていた南アフリカとはスポーツ、文化の交流までも禁じていた。もちろんゴルフも例外ではなかった。

第23回 東京五輪、野球・ソフト復活の可能性

「あれぐらい、はっきり言うと皆、期待しちゃうよね。逆に少々、心配になりましたよ。IOCの会長が、あそこまではっきり言っちゃって大丈夫なのかなって……」  言葉の主は福岡ソフトバンクの王貞治球団会長。続けて、こうも言った。 「僕は2006年のWBCで日の丸をつけて戦った経験(日本代表監督)があるんだけど、普段は日の丸なんて意識していないのに、いざつけるとその重みを実感できるんです。若い選手たちが、本当に純粋に野球をやってくれた。日の丸の力というのは、これはもう想像以上でしたね」

第616回 「1」が重荷になった赤ヘルの“大物ルーキー”

 東北楽天のドラフト1位ルーキー松井裕樹が背番号1を付けると聞いて、ふと28年前に現役を退いた“元大物ルーキー”のことを思い出した。  大久保美智男。1978年のドラフトで広島から2位指名を受け、宮城・仙台育英高から入団した。ちなみに65年からスタートしたドラフトで、1度だけ全球団が参加しなかったのがこの年である。巨人がドラフト会議前日、“空白の1日”を利用して江川卓と契約。連盟が選手登録申請を却下したため、巨人が翌日のドラフト会議をボイコットしたのである。

第546回 腹を据えた指揮官に春再び遠からじ 埼玉西武・伊原春樹監督

 11年ぶりに埼玉西武ライオンズの指揮を執る伊原春樹は、就任早々、選手たちにこう問うた。 「西武鉄道の初乗り運賃がいくらか知っているか?」  キョトンとした表情を浮かべ、互いに顔を見合わせる選手たち。無理もない。球場まで電車を使う選手はほとんどいない。球場から離れて暮らす主力組は“マイカー通勤”が基本である。

第615回 プロ野球「球界の官兵衛」は誰だ

「軍師官兵衛」。来年のNHK大河ドラマのタイトルだ。先日、仕事で黒田官兵衛の故郷・姫路に行くと駅に宣伝用の大きなポスターが貼られてあった。大河人気にあやかろうということか。  豊臣秀吉の軍師として知られる官兵衛には“戦の天才”のイメージがある。生涯50を超す合戦で、一度も負けなかったという“不敗伝説”も残っている。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時には中国地方に出兵中の秀吉に“大返し”の策を授け、秀吉の天下取りに貢献したとも言われている。

第614回 変人か先駆者か、四足走行で100M9秒台挑戦

 地上最速の動物とされるチーターはスピードに乗れば、ゆうに時速110キロを超えて走ると言われている。このチーターの走りを日夜、研究している珍しいアスリートがいる。四足走行「100メートル16秒87」のギネス世界記録を持ついとうけんいち(本名・伊藤健一)だ。

渡辺俊介、サブマリンの極意<前編>

 日本を代表するサブマリンが海を渡る。千葉ロッテで13年間プレーした渡辺俊介が、メジャーリーグ(MLB)挑戦を表明した。渡辺は2001年にドラフト4位でプロ入りすると、チームの2度(05年、10年)の日本シリーズ制覇に貢献。06、09年にはWBC日本代表にも選出され、連覇を経験している。アマチュア時代の00年のシドニー五輪も含め、国際大会で数多くのマウンドに上がってきた。アンダースローの中でも球の出どころが世界一低いと言われる37歳のベテランが、MLBの強打者相手にどんなピッチングを見せるのか。過去の原稿から独自の投球理論に迫る。

第613回 「課題は右の精度」山中の左はさらに輝く

 左ストレートは向き合った相手の右耳の横を通過しているように見えた。しかし、あろうことかメキシコ人は腰からキャンバスに崩れ落ちた。3日前のWBCバンタム級世界戦。王者・山中慎介が8ラウンドにチャレンジャーのアルベルト・ゲバラから奪った最初のダウンは、ある意味、9ラウンドのフィニッシュシーンよりも衝撃的だった。

第612回 画期的だった川上さんの“信賞必罰”管理野球

 V9がスタートする前、巨人には年間320万円の賞金枠があったそうだ。シーズン終了後、タイトルホルダーに一定の額がボーナスとして支払われた。「シーズン終了後じゃ意味がない。シーズン中に渡してやらんと……」。そう言って賞金制度を大胆に改めたのが、去る10月28日、93歳で他界した川上哲治さんである。

第544回 「迷ったときは、前に出ろ!」を実践した楽天・星野監督

 球団創設9年目で東北楽天ゴールデンイーグルスが初優勝を果たした。  就任3年目でチームをリーグ優勝に導いた星野仙一監督の手腕は称えてあまりある。  星野にとっては中日(1988年、99年)、阪神に続いて3球団目での優勝となった。過去、3球団で優勝を果たした監督は三原脩(巨人、西鉄、大洋)と西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)の2人しかいない。

ラモス瑠偉「復讐するは我にあり」

“ドーハの悲劇”から20年が経った。1993年10月28日、日本サッカー初のW杯出場は、最終予選イラク戦での引き分けによって、夢と散った。試合終了直前、まさかの失点に多くのサッカーファンが悲しみに暮れた。だが、 “悲劇”を糧に成長を遂げた日本サッカーは4年後、これを“歓喜”に変えた。98年のフランスW杯で初出場を果たすと、現在まで5大会連続で本大会にコマを進めている。日本サッカー史を語る上で欠かすことのできない出来事を、オフト・ジャパンを牽引した司令塔・ラモス瑠偉に焦点を当てて振り返る。

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