日本を代表するサブマリンが海を渡る。千葉ロッテで13年間プレーした渡辺俊介が、メジャーリーグ(MLB)挑戦を表明した。渡辺は2001年にドラフト4位でプロ入りすると、チームの2度(05年、10年)の日本シリーズ制覇に貢献。06、09年にはWBC日本代表にも選出され、連覇を経験している。アマチュア時代の00年のシドニー五輪も含め、国際大会で数多くのマウンドに上がってきた。アンダースローの中でも球の出どころが世界一低いと言われる37歳のベテランが、MLBの強打者相手にどんなピッチングを見せるのか。過去の原稿から独自の投球理論に迫る。
左ストレートは向き合った相手の右耳の横を通過しているように見えた。しかし、あろうことかメキシコ人は腰からキャンバスに崩れ落ちた。3日前のWBCバンタム級世界戦。王者・山中慎介が8ラウンドにチャレンジャーのアルベルト・ゲバラから奪った最初のダウンは、ある意味、9ラウンドのフィニッシュシーンよりも衝撃的だった。
名人は、ちょっとしたGKの動きも見逃さなかった。 「最初はファーサイドにフワッとしたボールを蹴ろうと思っていた。ところが助走の瞬間、GKが半歩前に出てきたので、思いっきり強いシュートを(ニアサイドに)打ったんだ」
V9がスタートする前、巨人には年間320万円の賞金枠があったそうだ。シーズン終了後、タイトルホルダーに一定の額がボーナスとして支払われた。「シーズン終了後じゃ意味がない。シーズン中に渡してやらんと……」。そう言って賞金制度を大胆に改めたのが、去る10月28日、93歳で他界した川上哲治さんである。
球団創設9年目で東北楽天ゴールデンイーグルスが初優勝を果たした。 就任3年目でチームをリーグ優勝に導いた星野仙一監督の手腕は称えてあまりある。 星野にとっては中日(1988年、99年)、阪神に続いて3球団目での優勝となった。過去、3球団で優勝を果たした監督は三原脩(巨人、西鉄、大洋)と西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)の2人しかいない。
“ドーハの悲劇”から20年が経った。1993年10月28日、日本サッカー初のW杯出場は、最終予選イラク戦での引き分けによって、夢と散った。試合終了直前、まさかの失点に多くのサッカーファンが悲しみに暮れた。だが、 “悲劇”を糧に成長を遂げた日本サッカーは4年後、これを“歓喜”に変えた。98年のフランスW杯で初出場を果たすと、現在まで5大会連続で本大会にコマを進めている。日本サッカー史を語る上で欠かすことのできない出来事を、オフト・ジャパンを牽引した司令塔・ラモス瑠偉に焦点を当てて振り返る。
日本初のプロ野球独立リーグ「四国アイランドリーグPlus」は、この秋、9年目のシーズンを終えた。記念すべき10年目を迎える前のNPBドラフト会議で、初の上位指名選手が誕生した。中日から2位指名を受けた又吉克樹(香川オリーブガイナーズ)である。
26日から始まる日本シリーズは、球団創設9年目で初めてパ・リーグを制した東北楽天と、23度目の日本一を狙う巨人との間で争われる。新興と名門の対決は興趣が尽きない。
2004年から11年までの8年間、中日の監督として4度のリーグ優勝と1度の日本一を達成した落合博満が球団初のゼネラル・マネジャー(GM)に就任した。 来季からプレーイングマネジャーとしてチームの指揮を執る谷繁元信を後方から支える。
海の向こうメジャーリーグ(MLB)では、プレーオフが大詰めを迎えている。アメリカンリーグは上原浩治、田澤純一の両日本人投手が所属するレッドソックスが、ナショナルリーグは2年ぶりの制覇を目指すカージナルスが 24日開幕のワールドシリーズへの切符を手にした。100年以上の歴史を誇るワールドシリーズにおいて、21世紀最初の王者は、球団創設4年目のダイヤモンドバックスだった。名門ヤンキースとの稀に見る激闘は多くのMLBファンの記憶に残っていることだろう。まさに世紀のシリーズとも言える戦いを12年前の原稿で振り返る。
冷凍食品にコンドーム。オリンピックのたびごとに技術革新が行われてきたことは、前回の小欄で述べた。福祉機器や補助器具なしでは成立し得ないパラリンピックとなると、なおさらである。
胴上げ投手は星野仙一監督の予告どおり「18番」だった。 東北楽天が球団創設9年目で初のリーグ優勝を果たした。
納豆の日(7月10日)やバナナの日(8月7日)があることは知っていたが冷凍食品の日があることは寡聞にして知らなかった。 10月18日が、その日である。10は冷凍の「トウ」、18は冷凍食品の国際基準の管理温度マイナス18度に引っかけたものだそうだ。1986年に定められ、今年で28回目を迎える。
今では元プロレスラーと紹介するより、女子レスリングのアテネ、北京五輪銅メダリスト・浜口京子の父親と紹介した方が通りがよいだろう。 2020年夏季オリンピック・パラリンピック開催都市が東京に決まった際も、その翌日、レスリングが20年大会の実施競技に選ばれた際もアニマル浜口(本名平吾)はテレビに引っ張りだこだった。
ファイティング・マシーンであるタイソンはコントロール・タワーである彼の指示に忠実に従い、ただフォーメーション化されたコンビネーション・ブローを、力一杯相手の急所に叩き込むだけでよかった。
モハメド ・アリのアゴを砕いた男――。元ボクシングWBC世界ヘビー級王者ケン・ノートンがさる9月 18日、療養先の施設で死去した。まだ70歳だった。
時間の問題だとは思っていたが、いざ新記録を目のあたりにすると特別な感慨がある。9月15日、東京ヤクルトのウラディミール・バレンティンが神宮球場の阪神戦でシーズン56号本塁打を放ち、日本新記録を樹立した。王貞治(64年)、タフィー・ローズ(01年)、アレックス・カブレラ(02年)が保持していた55本を49年ぶりに更新した。
20年東京オリンピック・パラリンピック招致を決めたブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションで、自身の体験をベースにした感動的なスピーチで大役を果たしたパラリンピック・走り幅跳びの佐藤真海が踏み切り足を健足の左足から義足の右足にかえたのは北京大会の後からだ。
「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました」 さる9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで行なわれた2020年夏季オリンピック・パラリンピックの開催都市を決めるIOC総会。最終プレゼンテーションに登場したパラリンピック陸上選手の佐藤真海は、こう切り出した。 「19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしまいました」
1997年といえば、4月に消費税が3%から5%に引き上げられている。9月にはロックバンドの「X JAPAN」が解散を表明し、11月にはサッカー日本代表がマレーシア・ジョホールバルの地で悲願のW杯出場権を勝ち取った。
ペナントレースで負け越したチームが日本一に――。 もし、そんなことにでもなったら、レギュラーシーズンの価値は地に墜ちたも同然だ。
イタリア系移民の子として生まれたダマトがトレーナーとして脚光を浴びたのは、今から30年も前のことだった。 フロイド・パターソンに独自の防御理論から編み出したピーカブー(のぞき見)・スタイルで構えさせ、ヘビー級王座まで上りつめさせた。しかし、ソニー・リストンの挑戦を「暗黒街につながりのあるヤツはだめだ」と突っぱねたことによりプロモーターたちから疎んじられ、引退を余儀なくされた。
東京五輪・パラリンピックが開催される2020年、この国はどんな姿になっているのだろう。 高齢化がさらに進んでいることは間違いない。前回、東京で五輪が開催された64年、全人口の1割未満だった高齢者(65歳以上)の数は、20年には3割前後に達するとみられている。
球団創設9年目。東北楽天の初優勝が見えてきた。 マジックナンバーは点いたり消えたりの状態だが、9月9日現在、2位・千葉ロッテに6ゲーム差の首位。8月22日には三木谷浩史オーナーが星野仙一監督に続投を要請した。
アルティメットという競技を、ご存知か? 格闘技ではない。フライングディスクを用いる米国生まれの団体競技である。 コートは100×37メートルだから、アメリカンフットボールより一回り小さめのサイズ。敵味方7人ずつに分かれ、エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば得点になる。ルールはアメフトやバスケットボールに近い