オールスターゲームに、投手と野手の両方で選ばれたのは関根潤三(1951年、53年=投手。59、60、62、63年=野手)以来、実に55年ぶりだった。 言うまでもなく北海道日本ハムの“二刀流”大谷翔平のことである。
星子のツーベースが出たところで、澤田は2年生投手の新田に代え、3年生の渡部をマウンドに送った。 「キャッチボールしかやってなかったので、びっくりしました」 接戦でのリリーフは覚悟の上だったが、渡部はできればイニングの頭から行きたいと考えていた。セカンドランナーの存在がズシリと右肩にのしかかった。
風前の灯とは、このことだ。近年の勢いからして、一度抜かれたら抜き返すのは至難だろう。どこまで持ちこたえられるのか。 夏の都道府県別甲子園勝率1位は愛媛県の6割5分(115勝62敗1分)。1953(昭和28)年の第35回以来、60年も首位の座を守り通している。以下、2位・大阪府6割4分9厘(155勝84敗)、3位・神奈川県6割3分2厘(117勝68敗)、4位・和歌山県6割1分8厘(118勝73敗1分)、5位・広島県6割1分3厘(111勝70敗1分)、同・高知県(87勝55敗)と続く。
幹事長がいて幹事長代行がいる。幹事長代行がいて幹事長代理がいる。幹事長代理がいて副幹事長もいる。 これらのポストが同時に存在するのだから、政治の世界は、ややこしい。ところで政党において代行と代理は、どちらが格上なのか。答えは前者なのだが、永田町の住人以外で、どれだけの人間が、これを知っているだろう。
立場こそチャンピオンだが、実質的にはチャレンジャーと言っていい。下馬評は圧倒的に不利だ。 ボクシングWBC世界フライ級王者・八重樫東が4度目の防衛戦に迎える相手はWBA世界ミニマム級、同ライトフライ級元王者のローマン・ゴンサレス。9月5日、東京・代々木第二体育館で対戦することが決まった。
8月9日に開幕する夏の甲子園へ向けて、各地で高校野球の熱戦が繰り広げられている。近年は選手の健康管理が課題とされ、休養日が設けられた。投手の球数制限なども議論に挙がっており、来年以降、延長戦におけるタイブレーク制導入も検討されている。だが甲子園の延長戦は、数々のドラマを生んできた。1969年の三沢(青森)対松山商(愛媛)、98年の横浜(神奈川)対PL学園(大阪)、06年の早稲田実業(西東京)対駒大苫小牧(南北海道)――。語り継がれる名シーンはタイブレーク制では誕生していなかったかもしれない。そんな名勝負のひとつとして挙げられる96年の夏の甲子園決勝、松山商対熊本工の一戦を振り返ろう。
かつてカープにリック・ランセロッティという左バッターがいた。通称ランス。そう聞けば「あぁ、ランスにゴンか!」と懐かしさが湧いてきた御仁も少なくないのではないか。当時、「タンスにゴン」というCMが流行しており、それをもじ […]
アテネ18個、北京12個、ロンドン4個――。何の数かご存知か? 実はこれ、夏季パラリンピックにおける陸上競技のメダル数である。 右肩下がりどころではない。急降下である。「ここまで落ちてしまったら、もう付け焼刃の対策では通用しないでしょう」。神妙な面持ちで花岡伸和・日本身体障害者陸上競技連盟副理事長は語った。
沢村賞を2度も受賞しながら肩の故障に泣き、6年間のブランクの後、昨季限りで福岡ソフトバンクを退団した斉藤和己に「一番やり甲斐のあったバッターは?」と問うと、間髪入れずに「小笠原さんですね」という答えが返ってきた。 このオフ、巨人を退団し、今季から中日のユニホームを着る小笠原道大のことである。
このほどボクシングのWBCのベルトが刷新され、各階級を代表するチャンピオンの顔写真が2人ずつ飾られることになった。 「ヘビー級はマイク・タイソンとレノックス・ルイス。ミドル級はマービン・ハグラー、ウェルター級はシュガー・レイ・レナード。そしてミニマム級がリカルド・ロペスと僕なんです」
ブラジルW杯・グループリーグにおけるベストゴールのひとつと言っていいだろう。決めたのはオーストラリア代表FWのティム・ケーヒルだ。 対オランダ戦。0対1で迎えた前半21分、DFライアン・マクゴーワンからの後方からのクロスに合わせ、ケーヒルは左足を鋭く振り抜いた。
フランスはジダンの2発によって、限りなくFIFA杯に近づいた。課題とされていたストライカー不在は、堅固なディフェンスとセットプレーの巧みさによって覆い隠された。ジャッケのチームは最後のゲームで「イヴ・サンローラン」のコレクションにも勝る完璧なパフォーマンスを演じることに成功した。
カープが球団創設26年目で初優勝を果たした1975年、オールスターゲームで大暴れしたのが山本浩二と衣笠祥雄だった。 甲子園での第1戦、まず初回に3番の浩二がレフトスタンドに2ランを放つと、6番の衣笠もレフトスタンドにソ […]
日本サッカー協会には12の専門委員会がある。この中で最も世間からの注目度が高いのは技術委員会だろう。同委員会の仕事は代表監督候補者の推挙、代表チームの強化、ユース年代の普及、指導者養成など多岐に渡る。メディアに登場する機会も多く、協会きっての花形である。
フレデリク・セペダ(巨人)に続いてユリエスキ・グリエル(横浜DeNA)。キューバの至宝が相次いで日本球界入りした。 2人とも実績はダテではない。セペダとグリエルは2004年アテネ五輪金メダル、08年北京五輪銀メダルを獲得したチームの主軸で、WBCにも全3大会に出場している。
W杯の出場国・地域がそれまでの24から32になったのは、くしくも日本が初出場を果たした1998年のフランス大会からである。それに伴い、アジア枠も2から3.5に増えた。これが日本には幸いした。前回の枠数のままなら“ジョホールバルの歓喜”はなかった。
創設4年目でのファイナル進出の立役者は弱冠20歳、身長167センチのポイントガード(PG)富樫勇樹だった。 bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)の2013−2014シーズンファイナルは琉球ゴールデンキングス(沖縄・ウエスタンカンファレンス王者)が秋田ノーザンハピネッツ(イースタンカンファレンス王者)を103対89で下し、2季ぶり3度目の優勝を果たした。
横浜DeNAの梶谷隆幸は昨シーズン、突然ブレークした。規定打席不足ながら打率3割4分6厘、16本塁打、44打点を記録し、秋には強化試合ながら「侍ジャパン」入りを果たした。 この梶谷はマエケンことカープの前田健太と同学年 […]
国際オリンピック委員会(IOC)にあって国際サッカー連盟(FIFA)にないもの――それは役員の定年制と任期制限である。 現在、IOC会長の任期は1期8年、選挙に勝てば2期目として4年間の延長が可能だ。つまり最大で12年間指揮を執ることができる。
23年ぶりのリーグ優勝を狙う広島にとって鬼門は交流戦である。これまでの9シーズンで広島が勝ち越したのは2008、09年のわずか2度だけ。通算成績は96勝134敗10分け、勝率4割1分7厘である。 この数字は12球団で横浜DeNAの89勝145敗6分けに次いでワースト2。いかに広島が交流戦を苦手にしているかが窺えよう。 11年にはリーグワーストの連続50イニング無得点という不名誉な記録を残している。
「キャトルズ・ジュイエ」(革命記念日)を2日後に控えたパリ市北部のスタジアムには7万5000人の観客が集まった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」がスタジアムを包み、無数のトリコロールが薄暮の空を支配した。 試合前にはフィールド上で「イヴ・サンローラン」のファッションショーが開かれた。ピッチは竜宮城に早変わりした。地上の美を一点に集約したようなあでやかな光景に、フランス人のサッカー観、すなわち「花火のような輝き」が重なった。
カズこと三浦知良に初めてインタビューしたのは“キング”・ペレの出身クラブである名門サントスFCとプロ契約を交わした直後のことだ。ブラジルに渡って4年目、カズはまだ19歳だった。
大久保嘉人、岡崎慎司、本田圭佑、香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗、齋藤学、大迫勇也――。 人事はメッセージである。サッカーのブラジルW杯を戦う日本代表メンバー23人中、8人をFWとして登録したのは、標榜する攻撃サッカーを貫くとのアルベルト・ザッケローニ監督の毅然とした意思表示だろう。
6月を首位で迎えたのは、16年ぶりである。5日現在、31勝23敗で2位・巨人に1.5ゲーム差をつけている。 苦手な交流戦前、「5割で乗り切れれば……」と考えていたが、5日時点では4つ負け越し […]
明けない夜はない。止まない雨はない。 そうは言うものの、四国初のJ1クラブ徳島ヴォルティスがJ1初勝利をあげたのは開幕から10試合目の4月29日である。難産の末の勝ち点3だった。