試合の幕引きを任される投手――。その守護神的役割を果たす投手をストッパーと呼ぶ。現在の代表例は、日本プロ野球(NPB)通算最多セーブを誇る岩瀬仁紀(中日)だ。 NPBでは、1960年代に中日の投手コーチを務めていた近藤貞雄が先発完投型から投手分業制へと移行した。それがNPBの先発とリリーフの役割が明確化されたきっかけと言われている。以降、優勝を争うチームには、優れたストッパーの存在がある。 稀に見る大混戦となった92年のセ・リーグもまたストッパーたちが活躍した。熱戦を演出した各球団のストッパーを、当時の原稿で振り返り、守護神という存在にスポットライトを当ててみよう。
通算868本塁打の王貞治が初めてホームラン王に輝いたのはプロ入り4年目、1962年のシーズンである。この年、38本塁打を放った王は、それ以降、13年連続でキングの座を独占した。
“身の丈経営”をモットーとする広島カープが総額約1億円(推定)を投じて獲得した“大物助っ人”チャッド・トレーシーが出場選手登録から外れ、帰国した。 「股関節に痛みがあるようだ。状態もよくないし、本人と相談して決めた」と野村謙二郎監督。球団は「鼠径(そけい)部痛症候群」と発表したが、復帰の時期は未定だ。
<私の場合、1500万円で買ったものが3億円で売れた。私はその金が借金の支払いに回るため、表に出してもよかったが、相手が金の出所を突かれたくないという事情もあって裏のままの取り引きにした>(『八百長 ―相撲協会一刀両断』)。自著で年寄名跡売買の実態について赤裸々に述べたのは今は亡き元大鳴戸親方(元関脇・高鉄山)である。当然、税務申告などしていないわけだから、この事案は紛うことなき「脱税」である。
今季から東北楽天の指揮を執る星野仙一には、かつて黒衣がいた。 その男の名前は島野育夫。中日、阪神で星野を支えた鬼軍曹的な名参謀だ。 現役時代は俊足、強肩の外野手として活躍し、ゴールデングラブ賞に3度、輝いている。73年には全試合出場を果たし、南海のリーグ優勝に貢献した。 07年12月、胃ガンのため世を去った。63歳だった。
格闘技の強さを語るとき、柔道やプロレスには関節技があるが、相撲にはそれがない。よって相撲よりも柔道やプロレスのほうが強い、というひとがいるが、これはまったくのウソ。一瞬のうちに決めてしまう相撲の関節技は最も実戦的といっても過言ではない。 とったり、逆(さか)とったりはその代表的な技といっていいだろう。 相手が差しにくる瞬間、その手首をつかみ、ヒジを決め上げるや引きずるようにして捻り倒すとったりは最近の土俵でもしばしば見かけるが、だれにでも決められるほどヤワな技ではないようだ。
「貧すれば鈍する」ということわざは韓国にもあるのだろうか。 サッカーの韓国プロリーグ「Kリーグ」の八百長問題は泥沼の様相を見せ始めた。5人の選手が逮捕されただけでも一大事なのに、ついに自殺者まで出てしまったのだ。
右脇腹痛で出遅れた埼玉西武・岸孝之が5月21日、交流戦の対中日戦で今季初勝利を挙げた。5回2失点。ベンチはコンディションを見ながら球数を増やしていく方針のようだが、この男の復活なくして巻き返しはあり得ない。
女性は西日本を代表する織布会社の次女だった。いわゆる深窓の令嬢である。女子大生の身ながら、ひとりで球場にやってきて、投手のボールの角度が、一番よく分かる席に腰かけた。
プロ野球において、近年、外国人選手は1チーム4人まで一軍登録することができる。 しかしルール上、野手のみ4人、ピッチャーのみ4人というのは許されない。つまり、4人を同時に使おうと思えば野手3人とピッチャー1人、あるいは野手、ピッチャーとも2人といった具合にうまく振り分けなければならない。 外国人選手でも、FA権を取得すると外国人枠からはずれる。たとえば巨人のアレックス・ラミレスがそうだ。何だか変な話ではあるが……。
ノンフィクション作家・最相葉月さんの本を読むまで「絶対音感」なる言葉の意味について詳しくは知らなかった。要するに他の音と比較せず、単独で音名を認識できる能力を指す。これを身につけるにはなるべく早く訓練を始めたほうが有利だと言われている。
「デブでも“動けるデブ”と“動けないデブ”がいるんです」 おもしろいことを言う人だなぁ、と思った。 言葉の主は東京ヤクルト監督の小川淳司だ。
大相撲の決まり手の数は、現在87手ある。その中には、一度も使われていない決まり手も存在する。かつて相撲界には、栃錦や栃赤城など多彩な決まり手で勝ち名乗りを受けた力士がいた。近年では“技のデパート”と呼ばれた舞の海か。しかし、今の土俵を見ると、彼らほどの個性派力士は存在しない。今年の五月場所は、八百長問題を受けて、技量審査場所となった。技量が問われる今場所、新たな技巧派力士の出現に期待したい。 そこで、滅多に見られることのない大相撲の技の数々を、1992年の原稿で紹介しよう。
「捕手は鍛え方が違う。だから、どのポジションにコンバートされても成功する確率が高いんですよ」。いつだったか千葉ロッテの打撃コーチ金森栄治が、ポロリとこう漏らしたことがある。
「一度ヒューンと外に飛んでいって途中でガンと内側に食い込んでくるんです」 北海道日本ハムファイターズのサウスポー武田勝のスライダーを評して、目を丸くしながらそう語ったのは、巨人の坂本勇人である。今から3年前の話だ。まるで獲物に襲い掛かる猛禽のようなボールである。
昔、ワイドショーに「なっとくいかないコーナー」という名物コーナーがあった。もし、平成の世にもこのコーナーが続いていたら、おそらくスワローズファンの誰かが投書していたはずである。「この記述は納得いかない」と。
恐れていたことが現実になった。ツインズの西岡剛が4月7日(日本時間8日)のヤンキース戦でニック・スウィッシャーのスライディングを受け、左すねの腓骨(ひこつ)を骨折した。
高木琢也といえば、現役時代 “アジアの大砲”と呼ばれた日本を代表する大型FWだった。しかし、指導者になってからは一変し、守備的なスタイルを掲げている。2006年の開幕直後、J2の横浜FCの監督に就任すると、まずチームの守備意識を高めさせた。それが功を奏し、クラブは15戦無敗の快進撃をみせ、見事J1昇格を果たしたのだ。 そして今、高木はロアッソ熊本の指揮を執る。昨季は、前年度J2ワースト2位の失点を喫していた守備陣を建て直し、クラブを初の1ケタ順位(7位)へと押し上げた。今季J1昇格を目指す高木の指揮官としての哲学を、3年前の原稿で振り返ろう。
「あれは野球の神様が教えてくれたボールなんです」。最初に取材で会った時、なんてロマンチックなことを言う人だろうと思った。言葉の主は、去る21日に他界した元ロッテのエース成田文男である。
デビュー戦の内容は早大の同級生・斎藤佑樹(北海道日本ハム)を上回っていた。 去る4月17日、地元での巨人戦で広島のドラフト1位ルーキー福井優也がプロ初登板を初勝利で飾った。同じ日、斎藤もプロ初勝利を挙げた。斎藤が5回4失点だったのに対し、福井は7回2失点。7三振を奪う力投だった。
「日本で一番高い山は富士山。では2番目に高い山は?」。この春、ある企業の社員研修に講師として呼ばれた。冒頭、営業部長が若い社員に問いかけた。答えが返ってこない。頃合いを見計らって部長は語気を強めた。「皆さん、あまりご存じないでしょう。実は北岳という山なんです。富士山が3776メートル、北岳が3193メートル。人々が記憶しているのは何でもナンバーワンだけ。そう、ナンバーツーじゃ意味がないんです」。妙に説得力があった。
「胴上げの回数と高さを見ていれば、その監督がどれだけ選手たちに慕われているかわかります」 かつて、あるセ・リーグの主力選手から、そんな話を聞いたことがある。
今やプロ野球界屈指の守備の名手と言われる宮本慎也は、適応能力の高いプレーヤーだ。 レギュラーに定着したプロ3年目以降、ショートストップとして6度のゴールデングラブ賞を獲得した宮本は、2008年のシーズン途中からサードにコンバートされた。それまでショートストップとして、不動の地位を築いていた彼も、03年以来ゴールデングラブ賞からは遠ざかっており、多少の衰えも感じられていた。しかし、宮本はサードでも堅守ぶりをみせた。翌年から2年連続でゴールデングラブ賞に輝き、再び名手として返り咲いたのだ。 40歳になった今もなお、堅固な守備を見せている宮本。その職人技と称される守備の原点を、03年の原稿で振り返る。
「ネバー・ギブ・アップ」。言うは易し、行うは難しだ。9回、狙いすました左ストレートで6度目の防衛を果たしたWBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃。「不屈」という言葉が彼ほど似合う男はいない。
この男が復帰して一番喜んでいるのは、おそらくルーキーの斎藤佑樹ではないか。 打ってよし、守ってよし。この男がスタメンに名を連ねているのといないのとでは大違いである。