「それでも地球は回っている」。地動説で知られるイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは、先の言葉以上とも言える名言を残している。
横浜リクシルベイスターズに、東京サイバースワローズ? このオフ、セ・リーグの下位球団に相次いで売却騒動が持ち上がった。
2010年のスポーツを振り返る上で、最も称えられるべきナショナルチームは、国外のW杯初の決勝トーナメント進出を果たしたサッカー日本代表だろう。その活躍に隠れたものの、バレーボールの世界選手権で32年ぶりに表彰台(銅メダル)に立った全日本女子の奮闘も特筆に値するものだった。
太ももののサイズは65センチ。競輪選手なみである。このたくましい太ももが157キロの原動力となっている。 巨人のドラフト1位ルーキー沢村拓一(中大)は身長183センチ、体重90キロの偉丈夫だ。 近年、これだけ体のできたルーキーは見たことがない。4年間の地道なトレーニングの成果と言っていいだろう。
サイ・ヤング――メジャーリーグ最高の投手に贈られる賞に名を刻む、前人未到の511勝投手こそ、実はレッドソックスの偉大なるOBなのだ。 サイ・ヤングがアメリカン・リーグの創設にともない、セントルイス・カージナルスの前身セントルイス・パーフェクトズからボストン・レッドソックスの前身ボストン・アメリカンズに移籍したのが1901年。そのときの3000万ドルというトレードマネーは、当時としては破格の金額だった。何やら今回の松坂のケースを彷彿とさせる。
「よく取りましたねぇ」 いきなり前方から声が飛んできた。今年の正月のことだ。 タクシードライバーには、なぜか競輪ファンが多い。本紙の愛読者でもあるようだ。「いやぁ、まぐれですよ」と返したが、人間、褒められて悪い気はしない。
東北楽天の新監督に就任した星野仙一といえば、球界では「怖い人」で通っている。 しかし朝から晩まで、ただ怒っているわけではない。1軍半や2軍の選手は別として、1軍選手、とりわけ主力やベテランに対しては、ヒザを交えてじっくりと話をする。
イチローと松井秀喜、打率と出塁率にしぼって今季の二人の記録を見比べてみよう。 <打率> イチロー 3割1分5厘(ア・リーグ7位)、松井 2割7分4厘(ア・リーグ29位) <出塁率> イチロー 3割5分9厘(同18位)、松井 3割6分1厘(同17位)
「ライパチ」と言えば「ライトで8番」だ。 かつて少年野球では一番、下手クソな選手の定位置とされていた。 しかし近年、この野球用語は「死語」になりつつあるようだ。
話を松坂に戻そう。彼がメジャーリーグ移籍を球団に正式に訴えたのは04年オフの契約更改交渉の席。「早ければ早いほうがいい」という松坂に対し球団側は「基本的に出すつもりはない」と釘を刺したものの「周囲が認める成績を残せば本人の意志を尊重する」と含みも残した。FA権を取得するのに、松坂はまだ4年の年月を必要としていた。 この頃、西武球団は激震に見舞われていた。グループの中核企業である西武鉄道による有価証券報告書の虚偽記載が発覚し、球団オーナーでもある堤義明コクド会長は経営の第一線から退いた。翌年3月には証券取引法違反容疑で逮捕された。
このところ「海老蔵」の三文字を目にしない日はない。過日、居酒屋の入り口の立看板に「海老」という字が躍っていたので「おいしい伊勢海老でも入荷したのか」と思い、立ち寄ろうとした。よく読むと「海老蔵記者会見放映中」だった。
「シュリンプマン・キャッチ」 そう名付けたのは元駐米大使の経歴を持つ加藤良三コミッショナーだ。 カープの天谷宗一郎が「ジョージア魂」賞選考委員特別賞に輝いた。この賞は缶コーヒーブランドの「ジョージア」が今季からプロ野球12球団と提携、NPBパートナー契約を結んで設けられたものだ。
巨人の背番号15といえば、思い出すのは「エースのジョー」こと城之内邦雄だ。腕の位置はスリークォーターとサイドハンドの中間、打者にクルリと背を向ける独特のフォームで一世を風靡した。少年時代、帽子をあみだに被ってよく“城之内ごっこ”をやったものだ。
プロ野球・横浜ベイスターズの売却を巡り、親会社のTBSホールディングスと住生活グループが進めていた交渉は最終段階で破談になった。
ポスティング・システムは1998年12月に生まれた日本プロ野球からメジャーリーグ(MLB)への移籍制度の1つだ。これまで8人の日本人選手がポスティング・システムを利用しMLB球団と契約した。中でも最も注目されたのは06年オフ、松坂大輔がボストン・レッドソックスへ移籍した際のポスティングだった。松坂獲得のため、レッドソックスが用意した資金は約60億円。日本人として初めてポスティングを利用したイチロー(シアトル・マリナーズ)のケースと比べ、その額は約4倍にも高騰していた――。 空前のマネーゲームが日米を沸かせた07年の原稿で振り返り、ポスティング・システムが抱える様々な問題点と両国球界が進むべき道を今一度、探ってみたい。
6日前、67歳で肺炎により死去したプロレスラーの星野勘太郎は“タッグの名手”として知られた。自分が光るのではなく、相手を光らせる。その術に長けていた。あくまでも私見だが、引き立て役をやらせたら一に吉村道明、二に星野勘太郎、三、四がなくて五にアニマル浜口か。
今季、森脇浩司は中途半端な立場に置かれていた。福岡ソフトバンク編成・育成部アドバイザー。コーチではない。かといって実権を持ったフロントスタッフでもない。 昨季は監督に昇格した秋山幸二の下でヘッド兼内野守備走塁コーチの要職にあったが、オリックスの監督を解任された大石大二郎にその座を追われてしまった。先の仕事は、言葉は悪いが“閑職”であり、本人も望んだものではなかっただろう。
「岩隈病」という言葉を“発案”したのは、東北楽天元監督の野村克也である。「投手陣は岩隈病にかかっている。すぐにマウンドを降りたがる」「燃え尽き症候群なんじゃないのか?」 もちろん、これはノムさん流の言葉による“愛のムチ”である。悪気はない。無視、称賛、非難。ノムさんは選手を三流から一流まで3段階で格付けする。岩隈は最上位に位置していたわけだから、考えようによっては、これは大変な名誉である。
シーズンオフに入り、2人のキャッチャーにFAの話題が出ている。 広島の石原慶幸と西武の細川亨である。
プロデビュー後14戦無敗のままフェザー級日本王者となった粟生隆寛は、わずか24歳の若さで世界のベルトを巻いたエリートボクサーだ。現在は階級を上げ、2階級制覇を目指しており、26日のWBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチに挑む。 数々の世界チャンピオンを輩出した名門・帝拳ジムに所属する粟生のボクサーとしての原点を、3年前の原稿で振り返る。
振り返って思えば、結び前の大関・把瑠都の波離間投げが大波乱の呼び水だったのか。横綱・白鵬の連勝記録が63で止まった。
千葉ロッテと中日の日本シリーズは第7戦にまでもつれ込み、4勝2敗1分けでロッテが5年ぶり4回目の日本一に輝いた。 カギとなったゲームは第6戦である。3勝2敗とロッテが王手をかけていたものの、残り2試合はナゴヤドーム。中日は本拠地で51勝17敗1分け(レギュラーシーズン)と圧倒的な勝率を残している。中日・落合博満監督も「3つまでは負けられる。ここまでは想定内」と余裕を示していた。
多様な生物を守り、生息環境や生態系を保護する――。この10月、名古屋市で行なわれた「COP10」(生物多様性条約締約国会議)のテーマだが、これがそっくり野球にも当てはまることを証明したのが日本一になった千葉ロッテである。
ゲームにたとえていえば敗戦処理が勝利投手になったようなものか。 監督代行就任時には19もあった借金を完済し、4つの貯金を積み上げたのだから、シーズン終了を待って「代行」の2文字が取れたのも当然である。
1993年に導入されたフリーエージェント(FA)制は様々な問題を抱えながら、今日まで至っている。FA権の取得年数やFA補償制度、故障者の特例措置など、山積みする課題を解決するために、未だに議論が続いている。FA制は移籍の活性化を促す一方で、選手の年棒高騰を生み球団経営を圧迫している現状もある。FA制が導入されて17年、今一度、日本球界変革前の93年の原稿を振り返り、FA制の「理想と現実」を再考してみたい。