「今になって思うんです。あの試合は何をやっても負ける試合だったんじゃないかと…」。11月26日に再起戦(WBC世界フェザー級王座決定戦)が決まった元WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積は吹っ切れたような表情で切り出した。
「〜2世」と呼ばれる選手で、成功した例は稀である。コピーはあくまでもコピー。本家を超えるのは容易ではない。 近年、プロ野球で成功した例といえば「桑田2世」と呼ばれたマエケンこと広島の前田健太くらいか。 弱小チームに身を置きながら、リーグトップの14勝(7敗)をあげ、防御率(2.25)も目下、1位だ(記録は9月27日現在)。
「ミスター・オクトーバー」といえばヤンキースなどで活躍したレジー・ジャクソンの代名詞だ。アスレチックス時代の73年とヤンキース時代の77年、2度ワールドシリーズMVPに輝いている。
45歳24日。中日の山本昌が9月4日の巨人戦でプロ野球史上最年長完封勝利記録を達成した。優勝争いの最中での白星だけに価値がある。 「シーラカンスばりにスゴイですねぇ」と本人。自らを“生きた化石”にたとえてみせた。
あれはいまから11年も前のことだ。その日はプロ野球のドラフト会議が行なわれていた。 1995年11月22日、東京・渋谷(当時)の日本サッカー協会では、まるでドラフト会議のお株を奪うような“大逆転指名”が行われた。
巨人V9戦士でオリックスの監督も務めた土井正三さんが世を去って、9月25日で一周忌を迎える。 東京都内の自宅での闘病生活。リクライニング式ベッドに体を横たえた土井さんは約束の時間が過ぎても、語り続けた。頬は随分こけていたが眼光は異様に鋭く、口調には鬼気迫るものがあった。私には「球界への遺言」のように感じられた。
巨人、中日と首位争いを演じる阪神。好調のチームを支えるのは2人の外国人選手だ。 マット・マートンとグレイク・ブラゼル。マートンがリーグ3位の3割4分6厘という好打率でチームを牽引すれば、ブラゼルはリーグトップタイの32本塁打と大砲ぶりを発揮している。(記録は7月28日現在) 柔のマートン、剛のブラゼル。そんなイメージだ。
この話は事実か、それとも“都市伝説”の類か。 当事者に直接、訊ねてみると、「お恥ずかしながら、あれは本当です」という答えが返ってきた。
史上6校目の甲子園初夏連覇を達成した興南(沖縄)。その立役者はトルネード左腕の島袋洋奨だった。 決勝では東海大相模(神奈川)を9安打1失点に封じた。奪った三振こそ4と少なかったが、これは勝利を優先した証拠。打たせるところは打たせ、要所要所では縫い目にしっかりと指のかかったボールを投げていた。
「オリンピック代表の監督はあくまでも反町(康治=前新潟監督)で、スーパーバイザー、総監督的な立場でオシムが……。あっ、言っちゃった」 ドイツからの帰国記者会見の席で、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(会長)はポロリと次期代表監督の名前を口にしてしまった。
新日本プロレスなどで活躍した元プロレスラー山本小鉄の訃報に接した巨人・原辰徳監督は「山本小鉄さん? ヤマハ・ブラザーズですよ」と語ったという。 そうなのだ。我々の世代にとって山本小鉄と言えば「ヤマハ・ブラザーズ」だ。小兵ながらムキムキの筋肉を武器に気風のいいファイトを展開し「人間爆弾」の異名をとった。
夏の甲子園準決勝。興南対報徳学園戦。4回が終わって0対5.ゲームとしては、ほぼ一方的だ。 しかし「どこかで引っくり返すんじゃないかな」という予感があった。 5回に3点、6回に1点、7回に2点を奪い6対5。そのまま興南が逃げ切った。
90年代、日米問わず多くのプロ野球の投手が影響を受けたと言われるピッチングテキストが「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」(ベースボール・マガジン社)だ。著者はメジャーリーグ史上最多の7度のノーヒッターを達成したノーラン・ライアンと投手コーチのトム・ハウス。
プロ1号から11戦8発。 やはり、この男、ただ者ではない。 北海道日本ハムの中田翔がプロ入り3年目でブレイクした。 来季、開幕からスタメンに名を連ねればホームラン王争いに加わることも不可能ではあるまい。そう思わせるだけの逸材である。
野球王国・四国――。かつては、そう呼ばれていたと書くのが正解だろう。残念ながら、もはや過去形である。
東北楽天の山武司がオールスターゲームで2試合連続ホームランを放った。40代での球宴2戦連発は史上初だそうだ。 「中年の星」と呼ばれる山だが、かつては“暴れん坊”として通っていた。
「中盤からも前からも選手が返ってくる。後ろだけで守り切れるわけじゃありませんから。その意味では誰というわけじゃなく、全員の守備の勝利ですよ」 試合後、表情を緩めることなく、秋田豊は言った。 20世紀最後のJリーグチャンピオンシップは鹿島アントラーズが制した。 横浜F・マリノスを相手に初戦0対0のスコアレスドロー。続く第2戦は3対0の完勝。アントラーズの鉄壁の守備網は最後まで崩れなかった。
65回目の終戦記念日が訪れる。巨人のエース沢村栄治に3度目の赤紙が届き、門司港からフィリピンに向かう船中、東シナ海で敵の魚雷を受け、戦死したのは66年前の冬のことだ。今回は“不世出の大投手”に関する秘話をひとつ紹介したい。
プロ野球における最年長勝利投手記録は阪急で活躍した浜崎真二の48歳4カ月である。 1950年5月に達成したものだから、もう今から60年以上も前の話だ。
身に覚えのないことなら堂々と明記すればいい。相撲協会執行部は、いったい何を恐れているのか。「ガバナンス(統治)の整備に関する独立委員会」(奥島孝康座長)がまとめている暴力団排除対策案から八百長行為の禁止と罰則に関する規定が消えたという話を関係者から聞いた。「そもそも八百長はない」と執行部から突き上げられたからだという。
オリックスの新外国人フランシスコ・カラバイヨと聞いてもピーンとくる人は少ないだろう。実は先日、イチロー(マリナーズ)が出演していたユンケルのテレビCMの相手投手役を務めていたことが判明した。ほんの一瞬、顔が映る程度だから気づかれないのも無理はない。
今やかの 三つのベースに人満ちて そゞろに胸のうちさわぐかな 四国で初めてのオールスターゲーム。 四国霊場八十八カ所の五十一番札所・石手寺周辺を潤す石手川にかかる橋を渡ったあたりから、球場に向かう人々は足早になる。 目の前には「坊っちゃんスタジアム」。言うまでもなく、松山を舞台にした夏目漱石の小説『坊っちゃん』にちなんで名づけられたものや。
安倍晋三氏以降、ほぼ1年に1度の割合でコロコロ入れ替わる総理大臣に比べればまだマシだが、1期2年での交代はあまりにも短い。サッカーの試合にたとえれば、まだ前半が終了したところだ。本人も不完全燃焼の思いが強いのではないか。
中日の2人の主力選手が打ちまくっている。 前半戦終了時点で、セ・リーグの打撃部門2位は和田一浩、6位は森野将彦だ。森野31歳、和田38歳。齢を重ねるに従って打撃技術を向上させている秘密はどこにあるのか。
浜崎真二といえば日本プロ野球史上最年長勝利投手として知られている。歯に衣着せぬ言説から「球界彦左」の異名をとった。満州から引き揚げてきて阪急の選手兼総監督となったのが戦後間もない1947年。その3年後、プロ野球はセとパに分立する。