野球殿堂入りを果たした213勝投手・北別府学(元広島)の後年の最大の武器は「インスラ」だった。右バッターのインコースへのスライダー。バッターが腰を引いた時点で勝負ありだった。江川卓や小松辰雄のような空振りをとれるスピードボールを持たない北別府にとって、この「インスラ」の精度こそはピッチングの生命線だった。
宣銅烈(ソン・ドンヨル)といえば1990年代後半に日本で活躍した元中日のクローザーだ。 97年38セーブ、98年29セーブ。99年には28セーブをあげ、11年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
昨年12月28日、“マムシ”の異名をとったプロゴルファーの杉原輝雄が前立腺ガンのため、死去した。74歳だった。プロ通算63勝を誇る杉原の体に、ガンが発見されたのは97年。しかし、杉原は諦めなかった。ゴルフへの影響を考慮し、手術はせず、ホルモン投与で病と闘った。加えて、過酷な筋力トレーニングで体を鍛え上げた。その結果、06年つるやオープンで最年長予選通過世界記録(68歳10カ月)を樹立、10年には中日クラウンズに参戦し、同一大会51年連続出場の世界記録を更新した。その偉業を称え、日本プロゴルフ殿堂入りも検討されているという。 病魔と闘い続けた“マムシ”の勝負根性を、06年の原稿で振り返ろう。
名言が飛び出したのは北京五輪3位決定戦前のミーティングの場だった。つまり2008年夏のことだ。銅メダルをかけた試合への思いを、先輩から順に口にしていった。程なくして29歳(当時)の澤穂希にスピーチの出番が回ってきた。「ここまで来て、もう何も言うことはありません」。シャイな澤らしい第一声だった。しかし、いつもとはここからが違った。「苦しいのは皆一緒。もし苦しくなったら私の背中を見て。そして、私と一緒に頑張ろうよ」
日米が注目したダルビッシュ有の落札球団はレンジャーズだった。報道によると入札額は5170万ドル(約40億円)。これは6年前にレッドソックスが松坂大輔を落札した際の約5111万ドル(当時、約60億円)を抜き、史上最高額となる。 レンジャーズはア・リーグで連覇を果たしながら、ワールドシリーズでは2年連続で涙を飲んだ。この原稿を書いている時点で交渉の進捗状況ははっきりしないが、入団が決まれば悲願の「世界一」に向け最高の補強と言えるだろう。 ダルビッシュにとって頼もしいのは、レンジャーズに2人の日本人投手が在籍していることだ。上原浩治と建山義紀である。
「待て」。柔道のルールに則り、いったん仕切り直してもいいのではないか。
ラグビー日本代表ヘッドコーチに来年4月に就任するサントリーサンゴリアスGM兼監督、エディー・ジョーンズの口からヤンキースの守護神マリアーノ・リベラの名前が飛び出したのには驚いた。博識とは聞いていたがMLBにも造詣が深いとは……。 リベラと言えばMLBを代表するクローザー。通算603セーブはMLB史上最多である。41歳で迎えた今季も44セーブをマークし、健在ぶりをアピールした。
マリナーズのイチローと北海道日本ハムの稲葉篤紀が少年時代、愛知県豊山町の同じバッティングセンターに通っていたというのは有名な話だ。 日米通算3706安打のイチローとNPB通算1966安打の稲葉が少年時代からそこで打棒を競っていたのだから、考えてみればハイレベルなバッティングセンターだ。
浮かんでは消え、消えては浮かぶ。MLBの気紛れにプロアマ含めたこの国の野球界は、どれだけ振り回されてきたことだろう。 海の向こうで、またぞろインターナショナルドラフトの導入が浮上してきた。MLB機構がインターナショナルドラフトの実現性を話し合う委員会を設置し、来年早々から協議に入るというのだ。
村田修一の横浜から巨人へのFA移籍は、もし「清武の乱」が起きていなければ、実現していなかった可能性が高い。
25日、中央競馬の1年を締めくくるレース、有馬記念が中山競馬場で開催される。オグリキャップ、ナリタブライアン、テイエムオペラオー、ディープインパクト――数多くの名馬たちが記憶に残る勝負を繰り広げてきた有馬記念は、今年も豪華絢爛なメンバーがズラリと顔を揃える。ディープインパクト以来の牡馬クラシック三冠馬オルフェーヴル、今レースがラストランとなるG?6勝の女王ブエナビスタ、史上5頭目の連覇を目指すヴィクトワールピサ、天皇賞春を制したヒルノダムール……。年の瀬の大一番を迎える前に、このレースが持つ意義を、7年前の原稿で振り返り、改めて検証しよう。
310勝投手の別所毅彦は座談の名手だった。話術が巧みで声に抑揚がある。しかもエピソード満載ときている。思わず「それ、本当ですか?」と聞き直したことも一度や二度ではない。
キャスターからスキッパー(指揮官)へ――。元ヤクルト栗山英樹の北海道日本ハム監督に就任した。
携帯電話の着信音が鳴ったのは日曜日(4日)の夕刻だった。いま成田に着いたばかりなのだという。「勝ちました。タイトルを取りました」。独特の低音が弾んでいた。
監督には「勝負師」と「教育者」の2つのタイプがある。去る11月25日、心不全のため91歳で世を去った西本幸雄さんは、後者の典型だった。
話を私が考える2リーグ=16チーム制に戻そう。 海の向こうに目を移すと、メジャーリーグはエキスパンション(球団拡張)を繰り返し、1900年にはアメリカン、ナショナル両リーグ合わせて10球団しかなかったのが、現在は30球団だ。全米各地にまでメジャーリーグのマーケットは10倍に膨れ上がったといわれている。この球団拡張政策により、文字通りメジャーリーグはナショナルバスタイム(国民的娯楽)となったのだ。
「川上(哲治)さんは陸軍内務班のような野球をする」。陸軍内務班と聞いても若輩者の私にはピンとくるものがない。きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのだろう。白髪の老紳士はニヤリと笑って、私にこう助け舟を差し向けた。「いや、悪かった。アンタたちに戦争の話をしても、そりゃわからんわな」
「一選手として、胴上げをしてみたいと思わない人はいない」 ここまで言うからには、もう腹は固まっているのだろう。 横浜の主砲・村田修一が今オフ、FA権を行使することが確実となった。
巨大な風車に突進するドン・キホーテと言えば清武英利氏は気を悪くするだろうか。その言動、行動の無謀、無粋については、ここでは敢えて問わない。重要なのは「清武の乱」が今後のプロ野球に何をもたらせるのか、その一点である。
おそらく全てのスポーツ紙が全文を掲載していたのではないか。解任された巨人・清武英利球団代表兼GMの声明文も、それに反論するかたちで出された渡邉恒雄球団会長の談話も隅の隅まで読んだ。あれっ、と思った箇所がひとつある。
ディー・エヌ・エー(DeNA)社が買収を発表した横浜球団のGMに前東京ヤクルト監督・高田繁が就任することが内定した。北海道日本ハム時代の仕事ぶりが高く評価されたようだ。
“球界の盟主”を自任する巨人が内紛問題で揺れている。清武英利球団代表兼ゼネラル・マネジャー(GM)がコーチやオーナー人事に関する渡邉恒雄球団会長の“鶴の一声”を記者会見で訴え、批判。球団の名誉、信用を傷付けたとして、18日付で解任された。 渡邉会長と言えば、巨人、いや球界の最高実力者だった。彼の主導により、ドラフト制度、FA制度など、プロ野球のルールを動かしたことも少なくない。そんな“球界のドン”に球団内の幹部が噛みついたことは、権力に陰りが見え始めてきた証ともとれるだろう。 渡邉会長が、長年に渡って行ってきた「独裁政治」の一端を、7年前の原稿で振り返りたい。
懐かしい名前が名門ロサンゼルス・ドジャースの新オーナー候補に浮上してきた。ピーター・オマリーだ。 オマリーは1970年、父ウォルターの後を受けてオーナーに就任。それから28年にわたって球団を経営してきたが、97年に「もはや1ファミリーが球団経営をする時代ではない」と言って、ニューズ・コーポレーションの総帥ルパート・マードックに球団を売却し、メジャーリーグの表舞台から姿を消した。
衝撃的な告白だ。暴露といってもいいだろう。 中日がリーグ優勝を果たした翌日のスポニチ紙(10月19日付)に落合博満監督と信子夫人の対談が掲載された。
死因が急性呼吸不全と聞いて胸が潰れる思いがした。どんなに辛かったことか……。7日に福岡市内で急死した鳴戸親方(元横綱・隆の里)と言えば糖尿病患者として知られたが、それよりも、もっと深刻なのがゼンソクと心臓病、それに睡眠時無呼吸症候群(SAS)だった。