開幕前には下馬評の低かったカープが、曲がりなりにもクライマックスシリーズ進出争いに加わっていられるのは、青い目のスカウトのおかげだろう。 エリック・シュールストロム。カープファンでも、その存在を知る者は少ない。辣腕の駐米スカウトだ。
外で遊ぶ子供が減っているという報告がある。確かに昨今、相撲をとるどころかキャッチボールをする子供にも、とんとお目にかかれなくなった。「三丁目の夕日」の世界は遠のくばかりだ。 そもそも「SPORT」の語源は気晴らしや楽しみ、遊びである。電車の中で携帯電話やゲームに没頭している子供を見ると、「もっと体を動かそうよ」とつい、お節介を焼きたくなる。
どうもメジャーリーグ関係者は日本のプロ野球を植民地扱いしたいようだ。 先頃、労組・日本プロ野球選手会が、13年3月開催予定の第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に、条件が改善されない場合、出場しないことを全会一致で決議した。
“ミスターマリノス”が、名門復活へ着実に成果をあげつつある。Jリーグの横浜F・マリノスで指揮を執る木村和司は、現役時代、司令塔として活躍し、“ミスターマリノス”と呼ばれた名プレーヤーだ。FKの名手として知られ、日本代表で歴代5位の26得点をあげた。94年に現役を引退、サッカー解説者などを経て、昨年、低迷する古巣マリノスの監督に就任した。2年目の今季は首位の名古屋に勝ち点差3の4位(8月19日現在)につけ、7季ぶりの優勝を目指す。 日本サッカーの低迷期を支えた木村のプロフェッショナリズムを、Jリーグが誕生する前年の原稿で振り返ろう。
懐かしい野球を観た。これぞ迫田穆成の野球である。そして、春夏合わせて計7度の全国優勝を誇る名門・広島商が強かりし頃に得意としていた野球である。
戦時下、スポーツ選手は何を考え、どう振る舞っていたのか。 それを取材しているうちに、文藝春秋の編集者から興味深い資料を提供してもらった。 タイトルは<帰還二勇士 戦争とスポーツを語る>。これは『オール読物』の1940年9月号に掲載されたものだ。 「帰還二勇士」とは当時、巨人のエースだった沢村栄治と「槍の笹崎」の異名をとったプロボクシング界のヒーロー笹崎僙のことだ。
ライバル対決こそは“プロ野球の華”である。日本のプロ野球は沢村栄治が投げ、景浦将が打つことによって始まった。
日米通算106勝27セーブ。実績も理論も申し分ないだけに、将来はいい指導者になるだろうと思っていた。 まさか、こんな最期を遂げるなんて夢にも思わなかった。何度かヒザを交えて話したことがあるので残念でならない。
横浜高校の渡辺元智といえば、春夏含めて5度の甲子園優勝を誇る高校球界の名監督である。1968年に同校の監督に就任すると、今夏の選手権を含めて25度の甲子園出場に導き、積み上げた勝利数は歴代4位の47にものぼる。渡辺は約半世紀にも及ぶ指導者生活のなかで、“スパルタ”から“対話型”へと、時代に合った指導法を柔軟に取り入れた。そして、松坂大輔(ボストン・レッドソックス)、成瀬善久(千葉ロッテ)、涌井秀章(埼玉西武)など球界を代表するプロ選手たちを輩出したのだ。 名指導者の教育論を、20年前の原稿で辿ってみよう。
団体としては初の国民栄誉賞受賞。「なでしこ」の面々と関係者には、心よりお祝い申し上げたい。 震災後、沈滞ムード一色のこの国と国民に対し、粘り強い戦いを通じて、これ以上ないほどの勇気と希望を与えたことを考えれば受賞は当然だ。
中日やロッテなどで主にクローザーとして活躍し、横浜の監督も務めた牛島和彦から、かつてこんな話を聞いたことがある。彼がロッテ時代の出来事。 「南海戦で打者は門田博光さん。僕のフォークボールを読んだ門田さん、いきなり歩き出し、落ちる前を狙い打った。結果はホームラン。これにはびっくりしました」 フォークボールの落ち際をとらえるのは至難の業だ。だったら、落ちる前にしばき上げよう――。門田は、そう考えたのである。驚異的なスイングスピードが、劇画のようなシーンを可能にしたのであろう。
リーダーシップからフォロワーシップへ――。「なでしこジャパン」を世界一に導いた佐々木則夫監督はスポーツ界における新しいタイプの指導者と言えるだろう。
かつて沢村賞はセ・リーグのピッチャーのみに与えられた。賞に名をとどめる沢村栄治が巨人の所属選手だったからだ。 パ・リーグのピッチャーでも受賞できるようになったのは89年からだ。今季の開幕前、東北楽天の田中将大が「沢村賞を目指す」と公言したのは記憶に新しい。 ところが、こちらの賞は今でもセパで一致を見ていない。 パの監督に贈られる最高の賞が「優勝監督賞」であるのに対し、セは「最優秀監督賞」なのだ。
乾坤一擲とは、こういうことを言うのだろう。1−2で迎えた延長後半12分だ。キャプテンマークを付けた澤穂希が宮間あやの左コーナーキックに飛び込んだ。ニアサイドの死角。右足のアウトに引っかけた。ボールはゴール前にいたアビー・ワンバックをかすめ、ゴールネットを揺らした。値千金の同点ゴール。その瞬間、隣近所から一斉に拍手が巻き起こった。時刻は朝の6時過ぎ。皆、息を潜めて、この瞬間を待っていたのだ。
パ・リーグの優勝争いは、早くも福岡ソフトバンクと北海道日本ハムの“2強”に絞られた観がある。
NBAで一時代を築いたシャキール・オニールが今季限りで引退した。2mをはるかに超える恵まれた体格を生かし、92年にプロ入り。オーランド・マジックから96年に名門ロサンゼルス・レーカーズへ移籍すると、99-00シーズンからのファイナル3連覇に貢献。その後4球団を渡り歩いた。19シーズンの現役生活で積み上げた得点は28596点にものぼる。これはマイケル・ジョーダン、ウィルト・チェンバレンら名だたるスーパースターに次ぐ歴代5位の記録だ。 豪快なダンクでファンを魅了したシャックのプレースタイルを、02年の原稿で振り返ろう。
受験生にたとえて言えば“2浪”の末に合格を決めたようなものだ。招致の意向を示したのが1999年だから、長い長い道のりだった。2018年冬季五輪の開催地に決定した韓国・平昌には心よりお祝い申し上げたい。
人気番組ゆえの騒動か。広島・野村謙二郎監督の退場劇が思わぬ波紋を広げている。
「言葉使いが全く変わった。入ってきた頃と比べると、別人みたいですよ」。最近、2人のスポーツ選手について、別の関係者から同じ感想を聞いた。ひとりがプロ野球、北海道日本ハムの若き主砲・中田翔。そして、もうひとりがこれから紹介するボクシングのWBA世界スーパーバンタム級王者・下田昭文である。
「20年にひとりの逸材」と評された埼玉西武・菊池雄星のプロデビューはほろ苦いものとなった。 6月12日、本拠地・西武ドームでの阪神戦。雄星は1回に1点を失うと、3回に4安打を集中され、わずか53球でマウンドを降りた。
「先発完投こそが、ピッチャーの本来あるべき姿」 それがジャイアンツ・藤田監督のピッチャー観であることは、これまでにひとりのストッパーもつくらなかったことで証明されていた。ところが、自らの哲学を覆すかのように今シーズン、初めてひとりのストッパーを育て上げた。それがGの新守護神・石毛博史である。
誰もがトップの座を降りて欲しいと願っているのだが、当の本人には全くその気がない。厚顔無恥。全く困った御仁である。 どこかの国の首相のことを言っているのではない。海の向こう、米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースのオーナー、フランク・マッコートのことである。
独立リーグでの成績とはいえ、これは光っている。 15試合に登板し、0勝0敗7セーブ、防御率は0.00(6月22日現在)。完璧である。 今季から元ヤクルトのクローザー高津臣吾はBCリーグの新潟アルビレックスBCでプレーしている。
古い資料を調べていて驚いた。今からちょうど52年前の1959年6月25日に後楽園球場で行なわれたプロ野球史上初の天覧試合、巨人―阪神戦の試合時間はわずか2時間10分なのだ。
ここ数年、押し出すような投げ方になっていたのは、無意識のうちにヒジをかばっていたせいかもしれない。 レッドソックスの松坂大輔が右ヒジに正常な腱を移植する、いわゆる「トミー・ジョン手術」を受けることになった。