試合後のレセプションで神戸の伊藤剛臣に、こう言われたんです。「土田さん、悔しくないのですか。ラグビーは勝ち負けですよ」って。 その言葉を聞いて、急に悔しさが込み上げてきた。それでも、その時は「いや、チャンピオンチーム相手にここまでやれたんだから……」と切り返したのですが、帰りの新幹線の中では、もう腹が立って……(笑)。ただ、逆に言えば神戸の選手たちがウチを意識せざるをえなくなった証拠でもあるわけです。 そういうこともあって01年のシーズンは完全に神戸を射程距離に入れていました。自信をつけたのは6月に行われたウェールズ戦ですね。最大で22点リードされていたのをひっくり返し、45対41で勝った。
数夜にして東京都の約1.6倍の面積を焼き尽くしたというのだから尋常ではない。テレビが映し出す絵は、さながら阿鼻叫喚の地獄絵図だった。 7日夜、オーストラリア南東部ビクトリア州で森林火災が発生し、現在までに200人近い死者が出た模様。ケビン・ラッド首相は「まるで(原爆投下直後の)ヒロシマのようだ」と語った。関係筋によると放火の疑いもあるという。南半球は真夏。記録的な猛暑と乾燥した空気が火の手を拡大し、今もまだ燃え続けている。
中日・落合博満監督は投手にしろ野手にしろ即戦力を好む。昨オフのドラフトでも社会人野球で活躍する野本圭(日本通運)を1位指名した。 落合がプロ入りしたのは26歳の時だ。社会人野球(東芝府中)時代は全日本の4番を打っていた。 レギュラーを掴んだのは3年目。打率3割2分6厘で自身初の首位打者を獲得した。ホームランは33本。打点90。三冠王に輝くのは、その翌年のことだ。
何やら「盗人に追い銭」といった趣だ。大麻力士に500万円超の退職金。どう考えても道理に合わない。それとも、あれはかたちを変えた“手切れ金”なのか。 さらに驚いたことに大麻問題で降格していた親方が半年もたたないうちに昇格とは……。理事長をはじめ役員報酬のカットもなし。よく「角界の常識は世間の非常識、世間の常識は角界の非常識」というが、ここまでくると、もはや空いた口が塞がらない。日本相撲協会は鈍感にも程がある。
千葉ロッテマリーンズの“顔”だったボビー・バレンタイン監督が今季限りでチームを去る。 先頃、千葉ロッテの瀬戸山隆三球団社長が明らかにしたもので2010年以降は契約を更新しないという。 ボビーは2005年にチームを31年ぶりの日本一に導き、ファン獲得にも貢献したと自負していただけに、この通告にはショックを受けた様子。
スマートパワー――。バラク・オバマ米国新大統領が好んで使う言葉だ。もともとはオバマ政権下で駐日大使に就任見通しのハーバード大ジョセフ・ナイ教授、リチャード・アーミテージ元国務副長官らが提言した概念で外交や情報活動など軍事力(ハードパワー)に頼らない力を指すものだという。
「(監督として)日本一になった経験もあるし、人間的にも申し分ない」 巨人・原辰徳監督が第2回WBC日本代表監督に就任する前、王貞治コミッショナー特別顧問が代表監督に推薦していたのが、先頃、野球殿堂入りを果たした若松勉だった。若松はヤクルト監督時代の2001年、日本一を達成している。
エリート軍団といわれながら、ここぞという局面で勝負弱さがのぞき、神戸製鋼や三洋電機に、ことごとく煮え湯を飲まされてきたサントリーを初の日本一に導いたのが33歳の時。青年指導者としての鮮烈なデビューだった。 しかし、土田が監督の座を退くと、再びチームは低空飛行を余儀なくされる。平尾ジャパンのコーチを経て、2000年に37歳で再び監督に就任、「打倒神戸」を目標に掲げ、2年目の01シーズン、社会人選手権、日本選手権でともに宿敵・神戸製鋼を撃破し優勝。パス主体の継続ラグビーは、見る者にラグビーの魅力を再認識させた。 続く02シーズンの社会人選手権も東芝府中を38対25で破って優勝。日本選手権こそNECに逆転負けを喫したものの、優勝請負人・土田雅人の手腕には目を見張る思いがした。 「勝利」という目標と「継続ラグビー」という理想、二兎を追い、二兎をしとめた男の指導哲学に迫る――。
時ならぬ朝青龍人気に沸く大相撲初場所。ご同慶の至りと言いたいところだが、この人気、いつまで続くかわからない。むしろ相撲界にとっては、こちらのほうが朗報だろう。
去就が注目されていた横浜ベイスターズのエース三浦大輔の横浜残留が決定した。 三浦が奈良の出身ということもあって、地元の阪神タイガースが猛アタックをかけていたが、結局は元のサヤにおさまった。 「高校時代(奈良・高田商)も打倒天理や打倒智弁学園で甲子園に出たいと思ってやっていた。(横浜は)今年優勝から一番遠い位置だった。三浦大輔の原点に戻ってもう一度強いチームとやって勝ちたい」 残留記者会見の席で、三浦はこう語った。
第2回WBCの日本代表候補に選出されているマリナーズの城島健司といえば球界きっての“雀豪”として知られている。佐世保の実家もかつては雀荘だった。 その城島が「麻雀をすれば(投手の)性格がわかる」と語っている。奥の深い発言だ。雀卓を囲むことで代表候補に選ばれている投手たちの性格を把握しようという寸法だ。
中日からFA宣言していた中村紀洋の東北楽天入りが決まった。 入団発表の記者会見で、中村は「クライマックスシリーズに出場し、優勝して野村監督を胴上げしたい」と語った。
騎手わずか9人という、日本一小さな競馬場が昨年の夏、55年の歴史に幕を閉じた。 島根県、益田市営競馬場。 最終日となった8月18日には、1日としては過去最高の4621人が入場し、馬券の売り上げ高も6231万円を記録した。 「子供の頃から大好きで、憧れを抱いて入った場所だけに、そりゃ寂しかったですよ」
最初に断っておくが、名所旧跡はできるだけ大切に保護しなければならないと私は考えている。しかし、果たして土地は死者だけのものなのか。生者にモノを言う権利はないのか。敢えて挑発的な物言いをしたのは名所旧跡を前にするとスポーツはあまりにも無力だからである。
NHKが先頃放送した「プロ魂〜王監督のメッセージ」という番組は、本人自らの言葉や関係者の証言を通して王貞治という人物の内面に迫る、見応えのある番組だった。 巨人V9時代の同僚で、王より6つ年上の国松彰がこんな証言をしていた。
「どんな人間にも、一生に一度、必ずチャンスが訪れる」。それが東北楽天・野村克也監督の口ぐせである。「問題はそれをモノにできるかどうか…」 これは自身の経験からくるものなのだろう。南海入団後2年間、野村は1軍のゲームにはほとんど出場することができず、戦力外通告を受けたこともある。ところが3年目のオープン戦でチャンスを掴む。主戦捕手の松井淳が肩痛を理由に試合を欠場。代役として出場した野村は攻守に溌剌としたプレーを見せ、レギュラーの座を奪い取ってみせたのである。「だから、たとえオープン戦であろうとも僕はケガをしても絶対に休まなかった。今度は逆の立場になるんですから。その危機感だけでやっていたようなもんですよ」
後半に入っても、ピッチの風景は変わらない。アヤックスが7割近くボールを支配し、グラウンダーで短いパスを素早くつないでグレミオDF陣をペナルティエリア内に封じ込める。時折、ハーフコートマッチの様相を呈するワンサイドの攻め。しかし、アジウソンを司令塔とするグレミオの堅牢は崩れない。
テレビの歴史は、そのままプロレスの歴史でもある。そしてプロレスといえば力道山だ。あの長嶋茂雄がプロ入りの際のインタビューで「憧れの人は力道山」と答えたのは有名な話。空手チョップを振るって観衆を鼓舞する姿に感銘を受けたというのだ。 1954年2月、蔵前国技館で行なわれたシャープ兄弟との対決には、力道山見たさに2万人の観衆が新橋駅前の広場に詰め掛けた。街頭テレビを観るためだ。国民の多くは力道山を通してテレビという“文明の利器”を知ったのである。
韓国の三星ライオンズが2009シーズン、前中日作戦兼外野守備走塁コーチの長嶋清幸を打撃コーチとして迎えることになった。 三星はこの3年間、打撃不振に悩まされてきた。06年は2年連続で韓国王者になったにもかかわらず、チーム打率は2割5分5厘と低迷した。
「男女共同参画社会基本法」が制定されたのは平成11年6月のことだ。その骨子として男女は「社会の対等な構成員」として「自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保」されなければならない、とうたわれている。附帯決議ではDVに対しても喫緊の課題として取り上げられ「あらゆる形態の女性に対する暴力の根絶に向けて積極的に取り組むこと」との一文が盛られている。
日本シリーズ最終戦、スタメン9選手の年俸総額は巨人17億250万円、埼玉西武5億5500万円(いずれも推定)。西武は巨人のおよそ3分の1。巨人・李承の年俸が6億円だから、彼ひとりの年俸で西武のスタメン9人が雇える計算になる。 しかも勝ったのは西武だった。就任1年目の渡辺久信監督の采配が節目節目で的中した。最終戦、同点のホームを踏んだ片岡易之は死球で出るなる2盗を決め、中島裕之のボテボテの3塁ゴロの間にホームベースを駆け抜けた。 試合後、殊勲の片岡は「このシリーズ、待てのサインは一度もなかった」と語った。
フットボールはチェスに似ている。いや、チェスはフットボールに似ている、といった方が正しいかもしれない。 父親が子供にチェスを教える時、最初にいう言葉はいつも決まっている。 「あらゆる局面で数的優位をつくれ」 モダンチェスの現場において、いきなり敵陣深く攻め入り、クイーンやキングを追い詰めるという戦術は存在せず、地道に8個のポーンを収集にかかる。 この前線の二等兵をいかに攻め落とすかが前哨戦のカギであり、敵陣をカタストロフに陥れ、キングの首をはねるシナリオの断片をそこに見出すことは難しい。
20世紀は「自動車の世紀」であったとも言える。米国においてモータリゼーションが始まったのは1900年代初頭。やがてこれは全世界に広がり、市民生活の向上や産業振興がはかられた。 本格的な自動車レースも20世紀になって産声をあげた。1906年、フランスで初の四輪グランプリである「ACFグランプリ」が開催され、戦後、規格が整えられてF1へと発展していく。1906年といえばホンダの創業者・本田宗一郎が誕生した年でもある。不思議な因縁を感じずにはいられない。
関西のスポーツ紙は勝とうが負けようが、雨が降ろうが雪が降ろうが、一面は阪神ネタと相場が決まっている。 と言えば少々オーバーかもしれないが、少なくとも東京のスポーツ紙が一面に巨人ネタを持ってくる割合と比較すると、これはもう倍以上の差があるのではないか。
評論家の堺屋太一によれば、世襲の国会議員は米国では10パーセント台だが、日本では30パーセント、自民党に限ると50パーセント近くになるという。ちなみに麻生内閣の世襲率は61パーセントだ。