「地球の裏側にもうひとつ別の野球があった」。そんな名言(迷言)を残して日本を去ったのが「赤鬼」と呼ばれた元ヤクルトのボブ・ホーナーである。 それにならっていえば、私が少年の頃、日本にはセ・リーグとは別のもうひとつの野球があった。
<(W杯開催国を決める)選挙を巡っては、明確なルールは定められていない。たとえば日本の国政選挙のように街頭演説は何時まで、戸別訪問は家のどの場所まで、と決められているわけではない。要するに、何でもありの世界なのだ。> FIFA理事にして日本サッカー協会会長・小倉純二氏が2004年に著した『サッカーの国際政治学』にこんな記述がある。 まさに「何でもありの世界」が繰り広げられている。
「日本には12人のドン・ジマーがいる」。かつてこう吐き捨てた外国人選手がいた。日本の監督は選手の起用法が一定しない、と暗に言いたかったのだ。
朝寝朝酒に加え、朝湯が大好きといえば民謡「会津磐梯山」の歌詞に出てくる小原庄助だ。「それで身上つぶした」というオチがついている。朝湯にはかつて流行した朝シャンなどとは違い、贅沢な時間の流れが感じられる。
「今になって思うんです。あの試合は何をやっても負ける試合だったんじゃないかと…」。11月26日に再起戦(WBC世界フェザー級王座決定戦)が決まった元WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積は吹っ切れたような表情で切り出した。
「ミスター・オクトーバー」といえばヤンキースなどで活躍したレジー・ジャクソンの代名詞だ。アスレチックス時代の73年とヤンキース時代の77年、2度ワールドシリーズMVPに輝いている。
巨人V9戦士でオリックスの監督も務めた土井正三さんが世を去って、9月25日で一周忌を迎える。 東京都内の自宅での闘病生活。リクライニング式ベッドに体を横たえた土井さんは約束の時間が過ぎても、語り続けた。頬は随分こけていたが眼光は異様に鋭く、口調には鬼気迫るものがあった。私には「球界への遺言」のように感じられた。
この話は事実か、それとも“都市伝説”の類か。 当事者に直接、訊ねてみると、「お恥ずかしながら、あれは本当です」という答えが返ってきた。
新日本プロレスなどで活躍した元プロレスラー山本小鉄の訃報に接した巨人・原辰徳監督は「山本小鉄さん? ヤマハ・ブラザーズですよ」と語ったという。 そうなのだ。我々の世代にとって山本小鉄と言えば「ヤマハ・ブラザーズ」だ。小兵ながらムキムキの筋肉を武器に気風のいいファイトを展開し「人間爆弾」の異名をとった。
90年代、日米問わず多くのプロ野球の投手が影響を受けたと言われるピッチングテキストが「ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル」(ベースボール・マガジン社)だ。著者はメジャーリーグ史上最多の7度のノーヒッターを達成したノーラン・ライアンと投手コーチのトム・ハウス。
野球王国・四国――。かつては、そう呼ばれていたと書くのが正解だろう。残念ながら、もはや過去形である。
65回目の終戦記念日が訪れる。巨人のエース沢村栄治に3度目の赤紙が届き、門司港からフィリピンに向かう船中、東シナ海で敵の魚雷を受け、戦死したのは66年前の冬のことだ。今回は“不世出の大投手”に関する秘話をひとつ紹介したい。
身に覚えのないことなら堂々と明記すればいい。相撲協会執行部は、いったい何を恐れているのか。「ガバナンス(統治)の整備に関する独立委員会」(奥島孝康座長)がまとめている暴力団排除対策案から八百長行為の禁止と罰則に関する規定が消えたという話を関係者から聞いた。「そもそも八百長はない」と執行部から突き上げられたからだという。
安倍晋三氏以降、ほぼ1年に1度の割合でコロコロ入れ替わる総理大臣に比べればまだマシだが、1期2年での交代はあまりにも短い。サッカーの試合にたとえれば、まだ前半が終了したところだ。本人も不完全燃焼の思いが強いのではないか。
浜崎真二といえば日本プロ野球史上最年長勝利投手として知られている。歯に衣着せぬ言説から「球界彦左」の異名をとった。満州から引き揚げてきて阪急の選手兼総監督となったのが戦後間もない1947年。その3年後、プロ野球はセとパに分立する。
G7からG8へ――。主要国首脳の国際会議のことではない。サッカー南アW杯でスペインが初優勝し、W杯優勝国・地域は8つになった。
FIFAが公表しているデータによれば、今大会における日本のパス成功率は60%で出場32カ国・地域の中で最低だった。つまり10本のうち6本しか通らなかったのだ。ちなみにトップはスペインの80%。翻ってシュートのオンターゲット率(ゴールの枠をとらえた確率)は59%で、これは32カ国・地域の中で最高だった(記録はいずれも準々決勝終了時)。やみくもなプレスを避け、体力を温存した結果、シュートの精度は著しく向上した。
野球賭博に深く関与した大嶽親方(元関脇・貴闘力)と大関・琴光喜は「解雇以上」、時津風親方(元幕内・時津海)は「降格以上」――。特別調査委員会の処分勧告受け入れと引き換えに日本相撲協会は名古屋場所の開催を決定した。
前日本代表監督イビチャ・オシムによればFW大久保嘉人は「エゴイスト」なのだそうだ。「シュートを決めたかったのは分かるが、彼よりもっと有利な体勢でシュートを打てる味方が近くにいた」
私見だが、大別するとサッカーのスタイルにはプロアクティブ(未来予測)型とリアクティブ(現実対応)型の二つがある。「日本サッカーの日本化」を宣言した前任のイビチャ・オシム監督は典型的なプロアクティブ型の指揮官だった。
ワールドカップを5大会連続で取材、観戦したが、一番楽しかった思い出は94年米国大会、サンフランシスコ郊外のスタンフォード・スタジアムの裏庭で “草W杯”に出場したことだ。
「今までいろいろな代表チームを見てきたが、キャプテンシーということならオフトジャパンの時の柱谷哲二が一番かな」。日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎は言った。
いわゆるヒール(悪役)にとって“道場破り”の際の口上ほどセンスが問われるものはない。どれだけインパクトが強いか、センセーショナルであるか。
数ある日本代表のゴールシーンの中で、芸術的という意味において最も印象深いのはフランスW杯アジア地区最終予選、ホームでの韓国戦で山口素弘が決めたループシュート(loop shoot)である。
「キャンプの時と比べると随分、プロの打球になってきましたね」。そう問うと千葉ロッテの金森栄治1軍打撃兼野手チーフコーチは「わかりますか。そう言ってもらえるとうれしいなぁ」と返し、はにかんだ。