将を射んと欲すれば、まず馬を射よ――。WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志にとって、その格言を具現化する武器は理詰めのボディブローだ。
朝起きて歯を磨き、口をゆすぐ。「このままゴックンと飲んでしまったら、どれだけ楽だろう」。WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積はいつも考える。
手負いの狼ほど恐ろしいものはない。自ら獲物を襲うことはないが、自らのテリトリーを脅かされると牙をむいて猛然と逆襲に転じる。カープの前田智徳を見ていると、そんな印象を抱いてしまう。
岡田ジャパンを見ていると妙な既視感にとらわれる。それは昨年夏、自民党が大惨敗を喫した衆議院の解散総選挙だ。
7日、くも膜下出血で入院していた巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが死去した。37歳だった。木村コーチは2日に行なわれた広島戦(マツダスタジアム)の試合前、ノックをしている最中に突然倒れた。救急車で広島市内の病院に搬送されたが、意識不明の状態が続いていた。 1991年、宮崎南高からドラフト外で日本ハムに捕手として入団。2年目に外野手に転向し、その後は投手以外の全ポジションをこなすユーティリティープレーヤーとして広島、巨人でも活躍した。2004年のアテネ五輪では日本代表にも選出された。昨季限りで現役を引退。プロ19年間で1523試合に出場し、打率.262、1049安打、53本塁打、280打点、103盗塁。今季からコーチを務めていた。 6日に書き下ろした木村コーチへの思いを込めたコラムを掲載し、ご冥福を心よりお祈りしたい。
プロ野球を現役引退後、大学院に進学した桑田真澄のケースは大きな話題になったが、ユニホームを脱いでから医者になったのは後にも先にも、この選手くらいではないか。広島、南海で活躍したゲイル・ホプキンスである。
さる16日、巨人最高齢OBの前川八郎さんが呼吸不全のため死去した。享年97。またひとり“歴史の証人”がいなくなった。
投手コーチとして、千葉ロッテ、ヤクルト、福岡ダイエー(現ソフトバンク)、巨人の4球団を渡り歩き、7度のリーグ優勝と4度の日本一に貢献。今季から横浜の指揮を執る尾花高夫に私が抱くイメージは「地味ながら仕事のできる男」である。
同じ雪国でありながら、秋田県は山田久志、落合博満などプロ野球の名選手を多数、輩出しているのに対し、隣の山形県はパッとしない。
ショート、フリー合わせて3度もトリプルアクセルを決めながら浅田真央は金メダルに届かなかった。
キューバ危機を題材にしてつくられた映画『13デイズ』(原題は「Thirteen Days」)の冒頭で印象に残っているシーンがある。
なぜ、わざわざ表彰台にまで上がって黒手袋の拳を突き上げなければならないのか。当時、8歳の私にはその理由がさっぱりわからなかった。
前インディアンスの大家友和はMLBでは日本人投手として野茂英雄の123勝に次ぐ51の勝ち星を挙げながら、それに見合う評価を日本では得ていないような気がする。それは日本での印象が薄かったせいだろう。94年に京都成章高からドラフト3位で横浜に入団したが、5年間在籍して1勝(2敗)しかあげていない。まさに海を渡ってから地歩を固めた選手といえる。
プロレスラーの力道山が東京・赤坂のクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員と口論の果てにもみ合いとなり、ナイフで腹を刺されたのは1963年12月8日のことだ。その1週間後、突如として容体が悪化し、還らぬ人となる。享年39だった。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」。幕末、吉田松陰が米国に密航を企てたが失敗。江戸へ護送される途中、高輪・泉岳寺で赤穂浪士の故事に託して詠んだ歌である。
「小学校2、3年生の頃かな。初めて父親にグラブを買ってもらった。僕はもう、うれしくて寝られないわけです。で、学校から一目散に帰ってグラブを手にすると、なんと綿が全部抜いてある。もう何ちゅう親かと思いましたよ」。桑田真澄が苦笑まじりに、そんな昔話を披露してくれたのは、彼が巨人のエースと呼ばれるようになった頃だ。
田中角栄の元秘書で政治評論家の早坂茂三さん(故人)と今はなき「諸君!」という月刊誌で対談したことがある。タイトルは「司令塔の条件」。いきおい話は「加藤の乱」に及んだ。加藤紘一氏が盟友の山崎拓氏と組み、“森(喜朗)おろし”をはかった例のクーデター未遂事件だ。
「アラフォーに元気を与えたかった。やればできるんだぞってね」。大晦日、石井慧との柔道金メダリスト対決を制した吉田秀彦は語気を強めて言った。
競輪における最少の単位の着差は「微差」である。競馬でいうところの「鼻差」だ。長さにすれば1センチ未満。これで負ければ泣くに泣けない。
ボクサーにとって必要なものは何か。スピード、打たれ強さ、パンチ力…。どれも必要だが最も大切なのは「距離感」ではないか。さる18日、10度目の防衛に成功したWBC世界バンタム級王者・長谷川穂積こそは「神の距離感を持つ男」である。
自分の色を出すということは、すなわち前任者の色を消すということでもある。前任者が偉大であればあるほど、それを急がなければならない。自分の目指す野球とは何か。新監督はメッセージを明確に選手たちに伝える必要がある。
やましき沈黙――。聞いていて背筋が凍るほど衝撃的な証言だった。 NHKがこの8月に放送した「日本海軍 400時間の証言」の一場面。誰もが太平洋戦争は無謀だと知りつつ、止められなかった。「自分の意見を持ちながら、それをわきにおいて流されていった」。ある海軍大佐は海軍の体質をそのように分析した。
カリスマと呼ばれる人物が近年、めっきり少なくなった。政治の世界においてしかり、経済の世界においてしかり、スポーツの世界において、またしかり。
横浜の新監督に就任した尾花高夫は今でも玄界灘に面した唐津への墓参りを欠かさない。そこにはホークス時代、苦楽をともにした藤井将雄が眠っている。
「おい坊や、アイスコーヒーな」。先輩の命令は絶対である。「はい、わかりました」。しかし球場にアイスコーヒーなど置いてあるわけがない。