第481回 中村よ好機で敬遠される“恐打者”となれ

「日本で一番高い山は富士山。では2番目に高い山は?」。この春、ある企業の社員研修に講師として呼ばれた。冒頭、営業部長が若い社員に問いかけた。答えが返ってこない。頃合いを見計らって部長は語気を強めた。「皆さん、あまりご存じないでしょう。実は北岳という山なんです。富士山が3776メートル、北岳が3193メートル。人々が記憶しているのは何でもナンバーワンだけ。そう、ナンバーツーじゃ意味がないんです」。妙に説得力があった。

第477回 “弱者に寄り添う気持ち”球界に必要

 大震災が起きた日、私は京都にいた。ボクシングの元OPBF東洋太平洋バンタム級王者・村田英次郎(現エディ・タウンゼントジム会長)を取材するためだ。大阪府高槻市のジムから最寄り駅まで車で村田に送ってもらい、そこから京都に出た。地震の発生を知ったのは京都駅のプラットホームだった。

第476回 プロ野球開幕延期やむを得ない

 東京ヤクルトのスカウト(東北・関東地区担当)八重樫幸雄は地震が発生した時、センバツに出場する東北高のグラウンドにいた。「もう立っていられなかった。踏ん張ろうにも踏ん張れない。練習はすぐ中止になりました。あいにく雪も降り始めた」。 母校・仙台商高の先輩の車中で2晩過ごした。「(地震発生から)2日間は携帯も全くつながらない。やっと3日目、家族と携帯メールで連絡がとれた。球団にも無事を伝えました」

第475回 “ケガの功名”武田勝の必殺スライダー

 昨季14勝(7敗)をあげた北海道日本ハムファイターズのサウスポー武田勝のスライダーは右バッターの懐めがけて猛禽のように襲いかかってくる。巨人の坂本勇人によると、外に向かっていたボールが急に角度を変え、ジャックナイフのように懐をえぐるというのだ。それとは別にホームベースの外からアウトコースめがけて切れ込ませるものもある。

第474回 “聖域”死守か世代交代か……迫る決断の時

 元ヤクルトの鈴木康二朗といえば、王貞治からハンク・アーロンの世界記録を抜く756号を“被弾”した投手として知られている。  その鈴木が井本隆とのトレードで1983年、近鉄に移籍した。近鉄には鈴木啓示という大エースがいた。トレードのニュースに接し、鈴木啓示は何と言ったか。「このチームに鈴木はワシひとりでいい。鈴木康二朗君は、できたら別の登録名でやってくれんかな」

第473回 初回に弱いマー君 「収穫」の3失点

 初回に3本のヒットを浴び、四球もからんで3点を奪われた。2回、3回と無失点で切り抜けただけに立ち上がりの不安が余計にクローズアップされた。  キャンプ地・久米島での紅白戦。「打たれたことで逆に収穫があった」。東北楽天・田中将大は冷静な口調で言った。

第472回 “八百長告発者”を調査委に加えてみては

 北朝鮮ではストリートチルドレンのことをコッチェビというらしい。ジャンマダン(闇市場)で残りものを漁ったり、拾い食いをしながら飢えをしのいでいる。隠し撮りされた映像をテレビで見たことがあるが、裸足で服はボロボロ、体はガリガリ。思わず目をそむけそうになった。

第467回 色彩心理を駆使した日本女子バレー

 2010年のスポーツを振り返る上で、最も称えられるべきナショナルチームは、国外のW杯初の決勝トーナメント進出を果たしたサッカー日本代表だろう。その活躍に隠れたものの、バレーボールの世界選手権で32年ぶりに表彰台(銅メダル)に立った全日本女子の奮闘も特筆に値するものだった。

第463回 沢村 価値ある「永久欠番3連単」への挑戦

 巨人の背番号15といえば、思い出すのは「エースのジョー」こと城之内邦雄だ。腕の位置はスリークォーターとサイドハンドの中間、打者にクルリと背を向ける独特のフォームで一世を風靡した。少年時代、帽子をあみだに被ってよく“城之内ごっこ”をやったものだ。

第463回 昭和プロレス彩った“タッグの名手”星野勘太郎

 6日前、67歳で肺炎により死去したプロレスラーの星野勘太郎は“タッグの名手”として知られた。自分が光るのではなく、相手を光らせる。その術に長けていた。あくまでも私見だが、引き立て役をやらせたら一に吉村道明、二に星野勘太郎、三、四がなくて五にアニマル浜口か。

第462回 「お帰り」がエース岩隈を待っている

「岩隈病」という言葉を“発案”したのは、東北楽天元監督の野村克也である。「投手陣は岩隈病にかかっている。すぐにマウンドを降りたがる」「燃え尽き症候群なんじゃないのか?」  もちろん、これはノムさん流の言葉による“愛のムチ”である。悪気はない。無視、称賛、非難。ノムさんは選手を三流から一流まで3段階で格付けする。岩隈は最上位に位置していたわけだから、考えようによっては、これは大変な名誉である。

第459回 工夫と鍛錬+少しの偶然が球速を伸ばす

 一冬越すと、いきなり球速が15キロも速くなっていた。ウソのようなホントの話だ。  近鉄に西川慎一というサウスポーのリリーバーがいた(その後、阪神−広島)。97年には51試合、98年には61試合に登板している。150キロ台のストレートとマッスラのコンビネーションで打者を手玉にとった。

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