第401回 “手も足も出る”ボールで翻弄した小宮山

 ベストセラーのタイトルは、しばしば流行語ともなる。最近では藤原正彦氏が著した『国家の品格』がそうか。かつては『「NO」と言える日本』(盛田昭夫、石原慎太郎共著)、『不確実性の時代』(ジョン・K・ガルブレイス著)というものもあった。野球関連書でいえば、ボブ・ホーナーの『地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった』が思い出される。

第399回 W杯4強へ「フィニッシュの見取り図」示せ

「日本はゴール前20メートルまではいい攻撃をするが、そこから怖さがない。全く失点する気がしなかった」。オランダのDFヨリス・マタイセンの試合後のコメントだ。オランダ人の率直な指摘どおり、日本代表の詰めの甘さは、目を覆うばかりだった。日本代表のこれまでの課題は、きっとこれからも課題でもあり続けるのだろう。

第397回 自と民のスポーツ政策比較は?

 衆院選の投票日まで、あと4日。多くのメディアが世論調査の結果を踏まえ、民主党の「圧勝」と報じている。郵政選挙の反動などという生易しいものではない。まるでオセロゲームである。そこで今日はスポーツ政策に絞って自民、民主双方のマニフェストを比較、検証してみたい。

第396回 「野球王国・四国」は今、何処?

 残念ながら「野球王国」の称号は、そろそろ返上すべきかもしれない。甲子園での四国勢の戦いぶりを見ていて、そう思った。  西条(愛媛)、高知は2回戦敗退。徳島北、寒川(香川)は初戦敗退。大会8日目にして、四国勢はすべて甲子園から姿を消してしまった。昔なら考えられなかったことである。

第393回 J秋春制移行 自治体の協力も不可欠

「ガラパゴス携帯」という言葉がある。国内市場だけに特化して競争を繰り広げているうちに世界市場から取り残されてしまった日本製携帯電話のことを指す。  サッカーのJリーグも、このままでは「ガラパゴスリーグ」になってしまうのではないか。そんな懸念が頭をよぎる。

第389回 “行間”読み解いてこそのデータ

 データが真実の断片を浮き彫りにすることは確かにある。だが、それは決して真実の全体像ではない。  海の向こうから続々と野球に関する指標が押し寄せている。金融工学なるものを生み出し、それに自らが踊り、結果として「100年に1度の経済危機」の引き金を引いた国の発明品を何の疑いもなく取り入れる方もどうかとは思うが、とりあえず色眼鏡をかけずに客観的に検証してみたい。

第388回 社会人野球から第二の草野を探せ

 貧打の東北楽天にあって、ひとり気を吐いているのが4番の草野大輔である。打率3割6分8厘で、目下、首位打者。柔らかいフォームで広角に打ち分ける熟達の技術は篠塚和典(現巨人打撃コーチ)張りだ。「似ている? そう言ってもらえると嬉しい。だって子どもの頃は篠塚さんの大ファンで真似ばっかりしてましたもん」。野球小僧のような口ぶりで、そう言った。

第387回 マット界は三沢さんの「戦死」無駄にするな

 元プロレスラーで全日本プロレスでも活躍した垣原賢人さんが、13日に急逝した三沢光晴さんに全日本入団の挨拶を行なったのは1998年2月のことだ。握手をかわそうとした瞬間、垣原さんは三沢さんの異変に気が付いた。ヒジの動きがぎこちないのである。これが「頻繁に受身を取ることによる後遺症であるらしい」と知ったのは、しばらくたってからだった。

第386回 美しくないサッカー審判5人制

 審判5人制はサッカーにとって喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか……。  FIFA(国際サッカー連盟)のゼップ・ブラッター会長は先頃、審判を3人から5人に増員し、来季からスタートする欧州リーグで試験導入することを発表した。ちなみに審判5人制は昨秋のUEFA・U−19欧州選手権予選で初めて採用された。欧州で実験が成功すれば来年の南アW杯でも導入される可能性がある。

第385回 NBA復帰へ田臥「最後の挑戦」

 田臥勇太(リンク栃木ブレックス)に吉報が届いたのは5月28日の朝だった。エージェントのマーク・コンスタインからメールが届いていた。「なぜこの時期に…」。通常NBAで翌シーズンの契約に関する動きが本格化するのはNBAファイナルが終了した6月下旬だ。いぶかしく思いながらメールを開くとダラス・マーベリックスからのミニキャンプ参加の誘いだった。

第380回 「お家騒動」ロッテは阪神に学ぶべし

 20年近くも前だが阪神電鉄の広報から抗議を受けたことがある。タイガースは阪神グループの単なる広告塔ではない。グループの基幹事業である。ならばもっと強化資金を投入したり、有能な人的資源を球団に送り込むべきだ…。そんな記事を月刊誌に書いた。電鉄本体の小規模さを強調しようとするあまり、つい筆が滑った。

第379回 最強コンテンツ「日の丸」背負う田臥に注目

 かつて「日本代表」のことをラグビーでは「ジャパン」と呼んでいた。バレーボールは「全日本」だった。  日の丸を背負って国際舞台で戦うチームが、競技を問わず「日本代表」に統一されたのはいつくらいか。私の記憶ではハンス・オフト率いるサッカー日本代表が米国W杯出場を目指したあたりからだ。Jリーグ誕生を機にサッカー人気は瞬く間に列島を覆いつくし、その頂点に位置する「日本代表」はスポーツにおけるナショナル・ブランドとして不動の地位を得た。

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