長山拓未(中央大学男子バレーボール部/高知県高知市出身)第1回「真の負けず嫌い」

「こんにちは」  そう声をかけられて振り返ると、196センチの長身の学生がいた。顔を上げなければ、目線が合わないほどの高さだ。だが、並んで歩いていても威圧感は微塵も感じられなかった。 「(大学の)HPでの写真よりも髪の毛が短くなっていますね。最近、切られたんですか?」  そう声をかけると、彼は「はい、切りました」と照れたように笑った。優しい目が印象的だった。  中央大学2年、長山拓未。彼は高知バレーボール界きっての期待の星である。

堂上隼人(香川オリーブガイナーズ) 第4回「目指すは城島健司」

 堂上が野球を諦めきれない理由――そこにはNPBを相手に互角に戦えているという自信がある。昨秋、アイランドリーグ選抜の一員として参加したフェニックスリーグ、堂上は東北楽天戦で2本の本塁打を放った。打った相手は青山浩二と一場靖弘。いずれも1軍で結果を残している投手だ。

堂上隼人(香川オリーブガイナーズ) 第3回「ドラフト指名漏れをバネに」

 堂上の強肩ぶりを物語るエピソードがある。高知ファイティングドッグスとの試合のことだ。1塁にリーグ盗塁王の経験もあるYAMASHIN(山本伸一)が出塁した。YAMASHINは、するするとリードをとって足場を固めている。「どこかで走ってくる」。マスク越しに堂上はランナーの気配を感じていた。

堂上隼人(香川オリーブガイナーズ) 第2回「松坂からのアドバイス」

「僕の野球人生にとって大きなポイントになりました」  それは6年前の春のことだった。大学3年生を迎える堂上に、転機とも言える出来事が訪れる。高知・春野で実施された西武の春季キャンプにアマチュア選手の代表として派遣されることが決まったのだ。

堂上隼人(香川オリーブガイナーズ) 第1回「レッドソックスが注目する扇の要」

 今季から九州2球団が加わり、6球団制となった四国・九州アイランドリーグ。4年目を迎え、リーグを経由した選手たちの活躍が目立ってきている。まず4月16日、高知ファイティングドッグスから千葉ロッテに入団した角中勝也がNPBで初本塁打を放った。5月2日には徳島インディゴソックスに在籍経験をもつ北海道日本ハム・多田野数人が初先発で初勝利を飾った。

<特別編>檜垣浩太(愛媛県今治市出身/愛媛マンダリンパイレーツ) 最終回「石井琢朗を目指して」

「あの打席が自信になりました」  ちょうど1年前、2007年4月29日のことだった。檜垣は高知と愛媛の連合チームの一員として、福岡ソフトバンク2軍との交流試合に出場した。ソフトバンクの先発投手はその年の希望枠ルーキー、左腕の大隣憲司。ケガで出遅れ、“プロ初登板”となるマウンドだった。

<特別編>檜垣浩太(愛媛県今治市出身/愛媛マンダリンパイレーツ) 第3回「野球を続ける理由」

 檜垣には忘れられない2つの出来事がある。ひとつは高校3年生の夏、そしてもうひとつは大学4年生の秋のことだ。今治西高時代、檜垣は2年時からサードのレギュラーを取り、長打力を武器に中軸を任されていた。迎えた最後の夏、今治西は21年ぶりの甲子園を目指して県予選に臨んだ。

<特別編>檜垣浩太(愛媛県今治市出身/愛媛マンダリンパイレーツ) 第2回「“忍者走り”で盗塁を増やす」

 四国・九州アイランドリーグが開幕して約1週間。今季から6球団にリーグが拡張され、約150名の選手たちが白球を追っている。悲願の初優勝を狙う愛媛マンダリンパイレーツにも夢にチャレンジする地元プレーヤーがいた。ショートを守る檜垣浩太だ。昨シーズン、育成選手から這い上がり、一気にリーグ屈指の左バッターに躍り出た。今季はチームの優勝と自身のNPB入りを目標に掲げる23歳に、二宮清純が迫った。

<特別編>檜垣浩太(愛媛県今治市出身/愛媛マンダリンパイレーツ) 第1回「アイランドリーグで一変した野球人生」

 四国・九州アイランドリーグが5日、開幕した。今季から6球団にリーグが拡張され、約150名の選手たちが白球を追っている。悲願の初優勝を狙う愛媛マンダリンパイレーツにも夢にチャレンジする地元プレーヤーがいた。ショートを守る檜垣浩太だ。昨シーズン、育成選手から這い上がり、一気にリーグ屈指の左バッターに躍り出た。今季はチームの優勝と自身のNPB入りを目標に掲げる23歳に、二宮清純が迫った。

小松剛(法政大学野球部/高知県高知市出身)最終回「打倒・早稲田! 春夏連覇へ」

 法政大学は小松剛が神宮デビューし、優勝投手となった2006年春以来、3季連続で優勝を逃している。小松自身の成績は06年秋1勝4敗、07年春2勝3敗、07年秋2勝2敗。06年春は1点台だった防御率はいずれも3点台と満足のいく成績を残すことができていない。 「もう一度、優勝したい」  最終学年を迎える小松に残されたチャンスはあと2回だ。

小松剛(法政大学野球部/高知県高知市出身)第4回「悪夢の逆転サヨナラホームラン」

 2003年7月、3年生が引退し、いよいよ小松剛たちが最終学年となった。当時の室戸高校野球部は春は3年連続準優勝するなど、着実に実力をつけていたが、甲子園への切符をつかむまでにはいたっていなかった。室戸の前にはいつも“高知3強”の分厚い壁が立ちはだかった。私立の強豪校、高知、高知商業、明徳義塾である。

小松剛(法政大学野球部/高知県高知市出身)第3回「切磋琢磨したライバルの存在」

 2007年春、甲子園に“室戸旋風”が吹き荒れた。第79回全国選抜高校野球大会、春夏通じて初出場の高知県立室戸高校が強豪の報徳学園(兵庫)、宇部商業(山口)を下し、堂々の8強入りを果たした。そして迎えた準々決勝の熊本工業戦。結果的に負けはしたものの、最終回には3連打の猛攻で2点を奪い、2点差まで追い詰めるなど、室戸は最後まで粘り強さを見せた。数多くの高校野球ファンが彼らの快進撃に目を丸くした。そして、どんな場面でも笑顔を絶やさず、楽しげにプレーする室戸ナインに釘付けとなった。  その2年前、同校を卒業した小松剛は、母校の活躍をテレビで観ていた。後輩たちの勇姿に感動し、OBとして嬉しさがこみ上げたという。そんな彼にもまた、甲子園を目指して汗を流した時代があった。

小松剛(法政大学野球部/高知県高知市出身)第2回「地元と決めた甲子園を目指す場所」

 小松剛は小さい頃から体を動かして遊ぶことが大好きだった。もちろん体育も得意で、運動能力に長けた少年だった。だが、これといって好きなスポーツがあるわけではなく、野球も決してその例外ではなかった。  そんな小松が野球と出合ったのは小学3年生の時。高知市から室戸市の小学校に転校したのがきっかけだった。

小松剛(法政大学野球部/高知県高知市出身)第1回「苦しみの先に待っていた栄光」

 2006年4月9日。  東京六大学春季リーグ戦第1週。  法政大学対東京大学2回戦。  法大2年の小松剛は初めて学生野球の聖地・神宮球場のマウンドに立っていた。彼にとっては記念すべきデビュー戦。だが、不思議と緊張感はなかった。ただあったのは「神宮で投げられる」という喜びだけだった。

ノブ ハヤシ(キックボクサー/徳島県徳島市出身)最終回 「借力(チャクリキ)」

 2004年10月、ノブに大きな転機が訪れる。99年の渡蘭からちょうど5年。日本に拠点を移したノブは自らの意向でドージョーチャクリキの初の支部であるチャクリキ・ジャパンの館長に就任したのだ。その時から、現役格闘家としてジムでトレーニングを積みつつ、後進の指導にあたる生活が始まった。

ノブ ハヤシ(キックボクサー/徳島県徳島市出身)第3回 「アンディ・フグと最後に拳を交えた男」

 1999年8月22日、有明コロシアム。  弱冠21歳のノブは『K-1ジャパンGP』で衝撃的なK-1デビューを果たした。一回戦で宮本正明から2ノックダウンを奪って1ラウンドKO勝ちを収めると、二回戦では中井一成を開始わずか52秒でマットへ沈めた。準決勝では優勝候補の中迫剛をパワーで圧倒して判定勝ち。決勝では武蔵に判定負けしたものの、「逆輸入ファイター」の異名を日本中に轟かせた。

ノブ ハヤシ(キックボクサー/徳島県徳島市出身)第2回 「3ヶ月間で帰国するはずだったオランダ生活」

 高校卒業後、ノブは様々な格闘技団体から引く手数多だった。空手・極真会館の松井章圭館長、正道会館の角田信朗最高師範から直々に誘われ、リングス、新日本プロレスからも勧誘を受けた。しかし、「自分はキックボクシングをやりたい」と固辞した。

ノブ ハヤシ(キックボクサー/徳島県徳島市出身)第1回「格闘技との出会い」

 190センチ、110キロという日本人屈指の体格、そして、どのような相手であれ、怯むことなく前に出続けるファイトスタイル――。『逆輸入ファイター』の異名をとるノブ ハヤシ(ドージョーチャクリキ・ジャパン所属)は観る者に強い印象を残すキックボクサーである。

<特別編>青野令(松山市出身/スノーボード・ハーフパイプ) 「南国・愛媛が生んだスノーボード世界チャンピオン」

 スノーボードハーフパイプ界期待のホープ・青野令選手(松山城南高校2年)。愛媛・東温市内の屋内スキー施設「アクロス重信」を拠点に力をつけ、昨季のスノーボードワールドカップ(以下W杯)男子ハーフパイプで、日本人初の総合優勝という快挙を成し遂げた。  2010年バンクーバー五輪での表彰台を目指す青野選手に二宮清純がインタビュー。スノーボードを始めたきっかけ、バンクーバーへの意気込みなどを訊いた。

<特別編>棟田康幸(松山市出身/柔道100キロ超級) 第3回(最終回) 「小さい山から1つずつ」

 日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返っての思い、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道へ思いを熱く語った。(最終回)

<特別編>棟田康幸(松山市出身/柔道100キロ超級) 第2回 「いつか超えたい父の背中」

 日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返っての思い、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道へ思いを熱く語った。(第2回)

<特別編>棟田康幸(松山市出身/柔道100キロ超級) 第1回 「満足できなかった金メダル」

 日本勢の不振が続いた昨年の世界柔道選手権(2007年9月13〜16日、ブラジル・リオデジャネイロ)、男子無差別級の棟田康幸(警視庁)が5試合オール一本勝ちという充実の内容で優勝を果たした。日本男子に唯一の金メダルをもたらすとともに、北京五輪代表権争いでも大きくアピールした棟田に、二宮清純がインタビュー。2007年を振り返って、北京五輪イヤーとなる2008年の抱負、さらには柔道への思いを熱く語った。

久保尚志(鷺宮製作所硬式野球部/香川県観音寺市出身)最終回「野球が好きだから……」

 春夏連続の甲子園出場、加えて選抜では優勝投手となった久保尚志は、プロのスカウトからも注目される存在だった。しかし、彼は自ら進学を希望した。 「その年から大学への進学を表明した選手をドラフトで指名することはできなくなりました。僕がプロを志望すれば指名されていたかもしれません。でも、自分がプロになれるとは全く思えなかったんです」

久保尚志(鷺宮製作所硬式野球部/香川県観音寺市出身)第4回「プレッシャーとの闘い」

「優勝が夏だったら、最高だったのに……」  次々と押し寄せてくるプレッシャーの波に耐えながら、久保尚志はそう心の中でつぶやいていた。  春の選抜で初出場初優勝を果たした観音寺中央高校。大会後はマスコミにも大きく取り上げられるようになり、新聞や雑誌には必ずと言っていいほど『春夏連覇』の4文字が躍った。そんな中、久保はチームに違和感を感じ始めていた。

久保尚志(鷺宮製作所硬式野球部/香川県観音寺市出身)第3回「古豪を封じたエースの快投」

 決勝の朝を迎えた。エース・久保尚志はここまで3連投を含む4試合に登板。疲労は蓄積し、体はズシリと重かった。だが、彼の心は喜びに満ち溢れていた。その理由は前日まで激痛が走っていた右肩の回復にあった――。

Back to TOP TOP