田中幸長が野球を始めたのは、4、5歳の頃だった。3つ上の兄がリトルリーグに入って野球をやっているのを見て影響されたのか、物心ついたときには兄の真似をしてバットを振っていたという。 「両親は、特に野球が好きだったわけではなかったのですが、おじいちゃんの部屋でよく甲子園を一緒に観ていた記憶があります。甲子園での高校球児や兄を見て憧れたんでしょうね。早く自分もリトルリーグに入ってやりたくて仕方ありませんでした」
「オレ、早稲田で野球やるわ」 2003年7月28日、地方大会決勝で宇和島東は今治西に敗れ、田中幸長の夏が終わった。結局、一度も甲子園の土を踏むことはできなかった。 そんなある日、母親に進路について聞かれた。何のためらいもなく自然と田中の口から出てきたのが先の言葉だった。
「早稲田、33年ぶり日本一!」 2007年6月17日、東京・明治神宮球場で行なわれた全日本大学野球選手権大会決勝、早稲田大学が東海大学を4−1で下し、全国制覇を果たした。 9回裏、2死。最後の打者のバットが空を斬った瞬間、早稲田の選手たちが満面の笑みをこぼしながらマウンドへと駆け寄る。誰彼となく抱き合って喜ぶ選手たち。その大きな円の中央には背番号「10」の姿もあった。 早稲田大学野球部97代目主将、田中幸長だ。
「残念だけど、辞めてもらうことになった」 2006年11月、前田真宏は2年間所属した四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツから解雇を言い渡された。入団1年目の05年は先発として20試合に登板したが、06年は(先発は)わずか6試合。成績だけを見れば、解雇も考えられなくはなかった。だが、前田自身はピッチャーとして自分の成長を感じていた。それだけに、納得することはできなかった。解雇の理由を聞くと「人間性がまだ甘い」と言われた。その言葉を聞いた瞬間、前田は愛媛への未練を断った。
中学の総体で県大会ベスト4となり、その立役者となった前田真宏の元には、愛媛県内外のいくつもの高校から誘いの声が掛けられた。実際に02年の選手権大会で初の全国制覇を成し遂げた高知・明徳義塾高や、熊本・有明高、愛媛・帝京第五高などの練習や試合を見に行ったりもした。どの高校もナイター設備や室内練習場が完備され、まさに野球をやる上では理想的な環境が用意されていた。
前田真宏の家族は全員、大の巨人ファン。両親はもちろん、今は亡き祖父母も夕食時にはプロ野球のテレビ中継を観るのを日課としていた。母方の祖父などは、巨人が負けるとふさぎ込んでしまうほど熱烈なファンだったという。
2007年4月28日、四国アイランドリーグに続く国内2番目に誕生したプロ野球独立リーグ、北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)が開幕した。現在、新潟アルビレックスBC、信濃グランセローズ(長野)、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4球団が初代チャンピオンを目指して、各地で熱い戦いが繰り広げられている。
プロ2戦目の舞台となったのは、女子格闘技の草分けと言われる『SMACK GIRL』のリングだった。 5月19日、東京・歌舞伎町の新宿FACEにて開催された『SMACK GIRL2007〜最強はUSAだと女王は言った〜』。メインは高橋洋子(巴組)×アリシア・ミーナ(米国)の第3代スマックガール無差別級女王決定戦。このイベントで、中井は第3試合に登場、真武和恵(和術慧舟會東京本部)と対戦した。
自分の思いつくまま公共施設などでトレーニングをしながら、アマチュアの格闘技の試合に出ていた中井が、現在、指導を受ける宇佐美文雄コーチと出会ったのは、昨年の夏だった。 宇佐美は、かつてアマチュアレスリング選手として活躍、その後はプロ総合格闘家として「WILD宇佐美」のリングネームで、プロ修斗のリングなどで戦ってきた。
松山南二中には柔道部がなく、中井は週に3日、道場の稽古に通った。その中で、1年生のころから全国中学大会に出場し、3年のときには女子48キロ級で5位に入った。 「道場での週に3回の練習で全国5位になれたから、じゃあ高校で毎日やったら、もっと上に行けるんじゃないかな、と」
昨年10月1日、大阪・梅田ステラホールで開催された総合格闘技イベント「パンクラス2006 BLOW TOUR」。メインには、パンクラスのライトヘビー級タイトルを持つ同団体のエース・近藤有己が登場したこの大会、第2試合「パンクラスアテナ(女子部門)」で、柔道出身、当時19歳の中井りん(現所属・修斗道場四国)が、伊藤あすか(パンクラス稲垣組)戦でプロデビューを果たした。
運命の時――天野は落ち着いていた。前日もぐっすり眠れた。 「指名を受けなかったら、それはそれでしょうがない。運が悪かったと考えようと思っていましたね」 2001年11月19日、プロ野球ドラフト会議。四国学院大学4年生の天野は広島カープに10巡目で指名を受ける。四国六大学出身で初のプロ野球選手が誕生した瞬間だった。
あの秋の惜敗が天野の胸の奥に秘められた情熱に火をつけた。 「甲子園といっても、最初は遠い存在でした。あの試合がなかったら、きっと本気で目指すことはなかったと思いますね」
「バレーボールをやっていても、おかしくはなかったですね」 天野はそう言って、さわやかに笑った。 「中学に入学して、部活を見て回る時期があるでしょう。その時は、まず初めにバレー部の練習を見に行ったんです。その頃はバレーをやろうと思っていたんですよ」