プロレス
プロレスラーには糖尿病患者が多い。 代表的なのが、第一級身体障害者に認定され、週2回の人工透析を受けながらリングに上がり続けたミスター珍だ。 珍は、この病気が原因で左目の視 […]
大阪でレジェンドレスラーが集うプロレスイベントが大いに盛り上がっていることを御存知だろうか? 『闘宝伝承』――。 2011年9月11日、兵庫・アイホール(伊丹市立演劇ホール)大会が皮切りとなった同イベントは、定期的に […]
6年前の話である。獣神サンダー・ライガーが某番組に持ち込んだ“千の顔を持つ男”ミル・マスカラスの試合用マスクに120万円の鑑定価格がついたのを見て、びっくりした記憶がある。 マスカラス人気が沸騰 […]
外国人プロレスラーが叙勲で旭日双光章を受章するのは、2017年のザ・デストロイヤー、21年のミル・マスカラスに続いて3人目だ。カナダに住むタイガー・ジェット・シン(本名ジャグジット・シン・ハンス)に吉報が届いた。&nb […]
この1月31日は、“東洋の巨人”というニックネームで一世を風靡したジャイアント馬場(本名・馬場正平)の25回目の命日だった。 力道山の弟子である馬場、アントニオ猪木といえば、我々の世代からすれば […]
今日1月31日は、ジャイアント馬場(本名・馬場正平)の25回目の命日だ。享年61。本日、都内では故人を偲ぶトークショーが催される。 ケガによりプロ野球を追われた馬場が、力道山が興した日本プロレスに身を投じ、 […]
日本におけるプロレスの創始者とも言える力道山が世を去って、この12月15日で丸60年になる。享年39だった。 世を去る1週間前の8日、力道山は赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」で暴力 […]
誰が考えたのか知らないが、見る側にまで痛みが伝わってくる絶妙なネーミングである。その名も「脳天唐竹割り」。 ジャイアント馬場が得意にした必殺技のひとつで、「16文キック」や「32文ロケット砲」と […]
12月15日で、力道山没後60年となる。古橋広之進、長嶋茂雄と並ぶ、戦後最大のスポーツヒーローの死は、未だに多くの謎に包まれている。 東京・赤坂の高級クラブで暴力団員に腹部を刺されたのが12月8日の夜10時 […]
当HP編集長の二宮清純が、週刊ゴング元編集長・小佐野景浩氏との共著『馬場・猪木をもっと語ろう!』を10月25日に出版しました。昭和プロレスを牽引した両雄、ジャイアント馬場とアントニオ猪木について語りつくした一冊となって […]
アントニオ猪木が世を去って丸1年がたった。まだ虚脱感を抱えたまま、日々を送っている者も少なくないのではないか。それくらいアントニオ猪木の存在感は大きかった。 ところでプロレスの枠を飛び越え、一般 […]
ニックネームは“テキサスの荒馬”。きっぷのいいファイトで、日米のマットを沸かせたプロレスラーのテリー・ファンクが亡くなった。79歳だった。 兄のドリーと組んだタッグチーム“ザ・ファンクス”は日本 […]
K-1の旗揚げは1993年4月30日、東京・国立代々木競技場第1体育館。フジテレビが主催するイベント「ライブUFO」内で開かれ、初の無差別級トーナメントを制したのはクロアチアのブランコ・シカティック(当時38歳、202 […]
老いてなお盛ん、とはこの御仁のことを言うのだろう。 グレート小鹿、81歳。史上最年長のプロレスラー兼新潟プロレススーパーバイザーだ。 さる6月25日、新潟プロレス三条大会のリングで、 […]
昔から、大男を揶揄することわざは、山のようにある。 「馬鹿の大足」「うどの大木」「大男総身に知恵が回りかね」「大男の見掛け倒し」 その一方で、小男には、比較的好意的なものが多い。「山椒 […]
華麗なる空中殺法で一世を風靡したプロレスラーの武藤敬司が2月21日、東京ドームで引退試合を行う。 チケット代はVIP席50万円、ロイヤルシート(2列目)10万円とプロレスの試合としては破格だ。両 […]
昨年10月1日に79歳で世を去った元プロレスラーで参議院議員を2期務めたアントニオ猪木さんが叙位・叙勲を受けた。日本人プロレスラーとしては初の栄誉だという。「兄貴も天国で喜んでいると思います」とは、弟の猪木啓介さん。ご […]
突然ですが、馳浩スペシャルアドバイザーを拝命いたしました! 今年春、石川県知事にご就任された馳浩氏は、高校国語科教諭、オリンピック選手(レスリング)、プロレスラーを経て、1995年の参議院議員選挙で初当選を果たしました […]
国から「指定難病」の対象となっている「全身性アミロイドーシス」により、さる10月1日、79歳で死去したアントニオ猪木さんが、闘いの場をリングから国会に移したのは1989年7月のことである。猪木さんは46歳だった。&nb […]
現役時代、“燃える闘魂“と呼ばれたアントニオ猪木さん。記憶に残る名勝負をひとつ挙げろと言われれば、1976 年6月26 日、東京・日本武道館で行われたモハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」にとどめを刺す。私は高校2年 […]
これは名言なのか、それとも迷言か。「オレはビルの谷間のラーメン屋」。自らの境遇を嘆き、自嘲気味にそう語った政治家がいる。首相になる前の小渕恵三である。 群馬県内の同じ選挙区には首相経験者の福田赳夫と中曽根康 […]
さる6月26日は「世界格闘技の日」だった。今から46年前の1976年6月26日、東京・日本武道館でアントニオ猪木対モハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」が行われた。結果は引き分けだったが、見ていてあれほど緊張感を覚えた […]
高く飛ぶための準備はできていたはずだった。だが、そのチャンスは浮かんでは消え、浮かんでは消えてしまう。ここで気持ちがボキッと折れてもおかしくはない。岡林裕二にとって2013年は、そんな年だった。レスラーとして羽ばたく機 […]
昨年の大みそかに膿肺のため81歳で亡くなったストロング小林(本名・小林省三)さんは、IWA世界ヘビー級王座を25回も防衛したことのある国際プロレスの看板レスラーだった。 身長187センチ、体重1 […]
「“やるんだったら今しかない”と、思い切って挑戦してみたんです」 自衛隊体育学校から部隊へと戻る岡林裕二は、既に腹を決めていた。バーベルを置いて、マットに立つ――。彼の挑戦には自衛隊側も背中を押した。岡林は部隊に配属され […]