西本恵

西本恵「カープの考古学」第25回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その五 のちのエースが無印だった理由 長谷川良平獲得秘話後編

 広島カープが結成され、プロ野球セ・パ2リーグ元年となる昭和25年。チーム数が既存の8チームから15チームに膨れあがるとあって、プロ野球選手は引く手あまたで、24年オフ、球界は大混乱と化した。あっちからも来てくれ、こっち […]

西本恵「カープの考古学」第24回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その四 無名投手からエースへ。長谷川良平獲得秘話 前編

 昭和25年1月、広島にカープの誕生が広く伝えられ、広島の町はこの話題で持ち切りだった。その喧騒を横目に初代監督の石本秀一は選手集めに奔走し、その中で白石敏男(後に勝巳)という大スターを巨人から譲り受けることに成功した。 […]

西本恵「カープの考古学」第23回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その三 助監督も務めた白石敏男の物語

 昭和24年の年末のことだ。広島カープ最初のシーズンに入る前にファンに朗報が届いた。巨人軍の主力選手であり、逆シングルの名手・白石敏男(のちに勝巳)がカープに移籍するというのだ。カープ誕生前夜ともいえる結成時に、選手の中 […]

西本恵「カープの考古学」第22回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その二 チーム二冠王の発掘

 球団創設初年度の開幕に向け、昭和24年オフ、カープ初代監督・石本秀一の熱心な選手集めが続いていた。 自治体からのわずかながらの出資金を獲得資金とし、さらに自身の人脈もフルに活用した。戦前の職業野球時代の剛腕投手・中山正 […]

西本恵「カープの考古学」第21回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その一 引退選手を動かした石本の情熱と言霊

 広島カープの初代監督に就任する石本秀一の生きざまを前回まで10回にわたり綴ってきたが、石本の人生経験が草創期のカープやのちのチーム運営に有形無形の礎となって生きていることは間違いない。とりわけ前回で紹介したが、広島商業 […]

西本恵「カープの考古学」第20回 カープ初代監督・石本秀一物語その十 米遠征総仕上げ。ハワイ3戦全勝で締めくくり

 アメリカでの邦人チームとの試合を8勝2敗3分で終え、昭和6年8月22日、サンフランシスコの港を出た広島商業(以下、広商)野球部一行が次に向かったのはハワイである。ハワイへの船旅は7日間に及んだ。石本秀一ら広商一行は総重 […]

西本恵「カープの考古学」第19回 カープ初代監督・石本秀一物語その九 人生初体験ばかりのアメリカ遠征

 広島商業(以下、広商)は昭和4年と5年の夏の甲子園大会で優勝し、さらに昭和6年春も制覇した。そのセンバツ大会優勝の褒賞旅行としてアメリカ遠征が与えられ、遠征中は日本からの移民が多かった西海岸沿いの都市の邦人チームと試合 […]

西本恵「カープの考古学」第18回 カープ初代監督・石本秀一物語その八 米遠征の過密日程で見せた石本野球の極意

 前回に引き続き、石本秀一監督率いる広島商業(以下、広商)ナインのアメリカ道中の話である。石本と広商一行は昭和6年7月21日から、約1カ月半に渡る北米遠征を行い、試合漬けの日々を送った。明治、大正の時代から大国アメリカに […]

西本恵「カープの考古学」第17回 カープ初代監督・石本秀一物語その七 石本、アメリカに立つ!

 石本は母校・広島商業(以下、広商)野球部の監督を務め、4度の全国優勝を飾り、広商の名声を全国に広め、名実共に日本一の監督となった。この昭和6年春、中等野球選抜大会(甲子園)を制覇した際、広商野球部にある褒章が与えられた […]

西本恵「カープの考古学」第16回 カープ初代監督・石本秀一物語その六「広商黄金期を築き、アメリカ遠征へ!」

 石本が野球において神の境地といえるものを感じられるようになり、試合を左右する目に見えない何かを求めるようになったのは、広島商業(以下、広商)の選手時代から監督時代を通じてであった。野球の神様が微笑む瞬間を精神力で引き寄 […]

西本恵「カープの考古学」第15回 カープ初代監督・石本秀一物語その五「不遇の時代から”神の境地”へ ~伝説の”真剣刃渡り”~」

 カープ初代監督の石本秀一、彼の青年期には不遇のときも少なからずあった。石本自身の大きな後ろ盾でタニマチでもあった呉市の財閥、澤原家からのお金目当てに飲み食いする慶應義塾大学野球部に嫌気がさしたことは前回で書いたとおり。 […]

西本恵「カープの考古学」第14回 カープ初代監督・石本秀一物語その四「花の六大学の現実を知る……。宴席に疲れ逃避行」

 カープ初代監督に就任する石本秀一の人生は、波乱万丈の連続であった。親からの反対を振り切って広島商業に進学したのは前回で述べた。その後の大学進学においても騒動が起きたのだが、これは石本が「野球の神童」と呼ばれるほどの名選 […]

西本恵「カープの考古学」第13回 カープ初代監督・石本秀一物語その三「父の反対を押し切り、県工から広商へ鞍替え受験」

 カープ初代監督である石本秀一本人のエピソードに触れるのは、今回で三回目となる。前回は石本個人の経済状態について書いた。いわゆる懐具合だ。プロ野球で監督やコーチをしながら、企業の株式を定期的に買い続けることで、財を蓄えて […]

西本恵「カープの考古学」第12回 カープ初代監督・石本秀一物語そのニ 「給料はいらん」を支えた石本流財テク術

 終戦から4年が経った昭和24年秋、広島にプロ野球チームが誕生した。しかし原爆から復興最中の広島において、球団を抱える余裕のある会社などはなかった。カープ球団は親会社のないまま創設に向かい、広島県民や市民の期待を大きく背 […]

西本恵「カープの考古学」第11回 カープ初代監督・石本秀一物語その一 郷土球団にかける熱き思い

 カープのセントラル・リーグ入りが認められ、広島駅に降り立った谷川昇がカープの大計を発表したのは、前号で述べたとおりだ。さあ、いよいよカープ丸が大海原に出ていくのだ--。 カープがこの世に生をみる昭和24年の年の瀬のこと […]

『日本野球を作った男』刊行記念スペシャル対談 著者・西本恵×二宮清純

 スポーツコミュニケーションズの好評連載「カープ・アイ」の執筆陣のひとりで『カープの考古学』を連載中の西本恵氏が講談社より『日本野球を作った男――石本秀一伝』を刊行しました。今回は出版を記念し、編集長の二宮清純がインタビ […]

西本恵「カープの考古学」第10回 広島プロ野球誕生物語その十 2リーグ制の背景にあった米国の国家的意図

 カープ球団は、昭和25年からセントラル・リーグの一員としてペナントに参戦できるようになった。その一番の要因は、前年の昭和24年、プロ野球の生みの親とされた正力松太郎が提唱した2リーグ制に端を発しているのは、過去に述べた […]

西本恵「カープの考古学」第9回 広島プロ野球誕生物語その九 財界人に芽生えた「広島にプロ野球を!」の思い

 昭和24年に正力松太郎が、プロ野球2リーグ制を提唱したことがきっかけでカープ誕生の気運が加速するのは、「カープの考古学」第6回にて述べた。これにより谷川昇らが創立準備委員長となって、広島にプロ野球の球団をとの動きを早め […]

西本恵「カープの考古学」第8回 広島プロ野球誕生物語その八 生みの親・谷川を動かした”一枚のカード”

 カープ創立準備委員長を務めた谷川昇の父・玉蔵はアメリカで財を成し、その仕送りにより後ろ盾が整い、昇はカープ設立にむけて奔走することが可能となった--。このことは前回に述べたとおりだ。今回は”カープ生みの親・ […]

西本恵「カープの考古学」第7回 広島プロ野球誕生物語その七  カープ生みの親を支えた米国からの仕送り

 カープの考古学も第7回目を迎え、いよいよカープ誕生に深く関わり、”カープ生みの親”ともいえる人物を取り上げていきたい。筆頭は創立準備委員長を務めた谷川昇である。今回の考古学では、カープの歴史の中 […]

西本恵「カープの考古学」第6回 広島プロ野球誕生物語その六  カープ、セ・リーグ入りの真相

 カープが原爆の町・広島に誕生できたことは広島市民・県民に、これ以上ない勇気と希望を与え、復興に向かう明日への生きる活力となった。これは今さら言うまでもないことだ。では、なぜカープが誕生したのか--。考古学第6回はカープ […]

西本恵「カープの考古学」第5回 広島プロ野球誕生物語その五  戦火に耐えた”夢の球場”

 カープの考古学では、広島になぜプロ野球球団が生まれたのか、その歴史的な背景を探ってきた。 カープの本拠地・広島には、明治時代には日本軍の大本営が置かれ、第一次、そして第二次と2度起きた世界大戦でも軍部中枢都市の役割を果 […]

西本恵「カープの考古学」第4回 広島プロ野球誕生物語その四 郷土チームが巨人と対戦

「カープの考古学」も連載4回目を迎えた。これまで戦後まもない頃に「広島にプロ野球チームを!」との情熱を持って活動した企業や、広島商業OB、広陵高校OBらの動きをキャッチアップしてきた。原爆投下という人類史上に例のない惨事 […]

西本恵「カープの考古学」第3回 広島プロ野球誕生物語その三 広陵と広商のOBたち

「カープの考古学」の連載が始まって今回が3回目となる。これまでカープ誕生以前の広島におけるプロ野球誕生物語を書き、その中でプロ野球参入を目指した「鯉城園倶楽部」や「金子物産」の選手には広陵高OBが主力であったことを述べて […]

西本恵「カープの考古学」第2回 広島プロ野球誕生物語そのニ プロ化を目指した軟式球団

 前回は広島カープの誕生以前にプロ野球参入を目指した「鯉城園倶楽部」について取り上げた。終戦直後に財を成した広島の一企業が作ったこのノンプロチームは都市対抗野球大会で健闘し、一時はプロ参入も視野に入れていた。詳しくは前回 […]

Back to TOP TOP