西本恵

西本恵「カープの考古学」第50回<カープ二年目の解散の危機編その5/大洋と合併か――土壇場の逆転劇と後援会構想>

 カープ球団存続へ最大の危機が訪れたのは、2年目のシーズン開幕が迫った昭和26年3月とされている。この前兆ともいえる、カープの危機はたびたび起こる。前年のシーズン終盤、観音地区にあった三菱の選手寮から追い出され御幸荘へと […]

西本恵「カープの考古学」第49回<カープ二年目の存続の危機編その4/遠征費なし、親会社なし…開幕前は紅白戦ばかり>

 カープ球団は2年目のシーズンを前に、やっていけるのだろうかという、経営陣の不安があった。しかし、広島県内の各地に出掛ければ、ファンは大喜び。試合後には、選手らを歓待し、普段、選手寮ではなかなかありつけない肉がたらふく入 […]

西本恵「カープの考古学」第48回<カープ二年目の解散の危機編その3/郷土の支えで満たされた選手の胃袋>

 原爆という悲運にさらされた広島において、親会社のない環境下で生まれたカープの最初のシーズンオフは、散々な日々であった。試合がないため興行収入が上がらず、選手の給料はおろか、食べるものにも事欠くありさま。このままではやっ […]

西本恵「カープの考古学」第47回<カープ二年目の解散の危機編その2/親会社のない悲運。身売り先探しの奮闘>

 カープ球団は2年目のスタートにあたり、親会社を探し回り、なんとか他球団のように経済面で不安のない体制を築こうと奔走した。 最初の交渉先は、寿屋サントリー(現サントリーホールディングス)で、以前からプロ野球参入に興味を示 […]

西本恵「カープの考古学」第46回<カープ二年目の解散危機編その1/”盲目の議長”カープ救済に奔走>

 カープ創設の最初のシーズンを戦い終えたカープナインにとって、昭和25年の年の瀬はもう一つの戦いが続いていた。前回のカープの考古学で記した球団に対する「給料支払い願い」のことだ。  年の瀬の金策 親会社のないカ […]

西本恵「カープの考古学」第45回<カープ初年度の苦難編その8/選手が団結。給料”支払い”求め、立ち上がった>

 カープは球団の組織を株式会社化することで、なんとかプロの球団としての体裁を整えた。これが昭和25年9月3日。シーズンも終盤に入ってのことだった。 肝心の試合は連敗続きだったが、株式会社と体制を整えたということにおいて、 […]

西本恵「カープの考古学」第44回<カープ初年度の苦難編その7/株式会社誕生。その喜びもつかの間…>

  カープは郷土広島の県民市民チームであり、かつ、プロ野球チームとして、地元広島県に根ざし、すべての県民市民が支えるチームであると、高邁な理想を掲げてスタートした。出資は広島県や広島市をはじめ、呉市、福山市、尾 […]

西本恵「カープの考古学」第43回<カープ初年度の苦難編その6/選手集めと資金集めの謎>

  カープ創設1年目のシーズン中に、二軍選手が一斉に大量解雇となったことは、前回でお伝えした。資金が回らない球団にあって、試合に出場しない選手を大量に抱えておくことはできなかったのだ。先の見えない球団運営にあっ […]

西本恵「カープの考古学」第42回<カープ初年度の苦難編その5/経営難から二軍選手を大量解雇>

  カープ球団創設の昭和25年は、出だしでつまずいたものの、鯉昇りの季節から6月を勝ち越した。それも、この年の首位争いをしている松竹、中日、巨人を相手に戦い、勝ち星を納めていくのである。寄せ集めとされた戦力のカ […]

西本恵「カープの考古学」第41回<カープ初年度の苦難編その4/カープ強し。セ3強と互角の勝負>

 ここ何回かのカープの考古学では、カープが創設された最初のシーズンにおいて、わずか3カ月であるが、躍進する時期があったことをお伝えしてきた。 確かな試合運びで、上位チームとの対戦にもひけをとらず、勝ち星をもぎとっていくの […]

西本恵「カープの考古学」第40回<カープ初年度の苦難編その3/3カ月の躍進を支えた影の功労者>

  カープ創設の昭和25年、この最初のシーズンは苦労が絶えなかった。しかし、石本秀一監督は、シーズン中でもチーム浮上のきっかけつかむため、選手補強の手を緩めてはいなかった。いついかなるときにも、勝つことへの野心 […]

西本恵「カープの考古学」第39回<カープ初年度の苦難編その2/若鯉が”海賊殺し”に”鯨”も退治!>

 カープ球団が創設された最初のシーズン(昭和25年)、チームはなかなか勝ち星に恵まれず負け続ける中で、下を向かずに孤軍奮闘していたのが投手・長谷川良平だった。打てない、守れないカープの中で、4月27日の西日本パイレーツ戦 […]

西本恵「カープの考古学」第38回<カープ初年度の苦難編その1/”鯉の季節”の秘密に迫る>

 カープ創設初年度はなかなか勝てなかった。白石勝巳がチーム初のホームランを福山市三菱球場で放ったものの、試合は力及ばす惜敗した。また初の満塁ホームランは前回に記したように阪田清春が甲子園球場で記録した満塁”ラ […]

西本恵「カープの考古学」第37回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その5

 広島カープの草創期は、どたばた続きであった。球団経営の主体となる親会社もなく、広島県をはじめとし、県下の五市が主体となって出資するという形態から、手さぐり状態の経営で、右往左往するばかり。さらに他球団と比べ、選手の力の […]

西本恵「カープの考古学」第36回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その4

 カープ球団が創設されて初の公式戦、西日本パイレーツ戦は福岡市の平和台球場で行われ、リードしていながらの逆転負けを食らった。続いて第2戦の国鉄スワローズ戦もあと一歩及ばず、1点差負け。さらに、第3戦は、強風のために試合が […]

西本恵「カープの考古学」第35回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その3

 今年で創設71年目、広島カープの歴史の起点は昭和25年である。戦後復興期真っただ中にあって、ないない尽くしの広島県民・市民の心を満たしたものは新球団カープであった。戦後の歩みを進める県民の唯一の心のともし火であり、原爆 […]

西本恵「カープの考古学」第33回 <球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その1

 カープ草創期の広島にはアメリカをはじめ、さまざまな国から支援物資など、復興への思いを込めた援助があらゆる形で寄せられていた。このことは前回までで述べてきた。こうした復興へ歩みを進める中、カープはチームの体制を整え、昭和 […]

西本恵「カープの考古学」第32回 カープ誕生における世界情勢番外編 原爆投下飛行士が寄贈!? ハナミズキの真実

 シリーズでお伝えしてきた「カープ誕生における世界情勢編」。前回はオールドアメリカの音楽界をけん引した歌姫ヘレン・トロウベルから贈られたバラの花のことを記したが、この取材で数多くの資料にあたる中、筆者は平和公園に植えられ […]

西本恵「カープの考古学」第31回 カープ誕生における世界情勢その3 アメリカから贈られたバラ、広島に根付く

 カープの誕生する時代背景と世界とのつながりについて述べてきたこのシリーズも3回目の今回で締めくくりとなる。 被爆直後の広島において医学博士のマルセル・ジュノーがアメリカを動かし、医薬品を被爆者のために届けた(カープの考 […]

西本恵「カープの考古学」第30回 カープ誕生における世界情勢その2 ”平和の家”とカープの主砲

 広島カープの誕生が原爆からの復興に励む県民や市民の精神的な支えとなったことは、これまでに幾度も述べてきた。当時の広島は食糧事情は最悪で、闇市での利権争いや血なまぐさい事件なども続いていた。当然ながら住む場所にも不自由し […]

西本恵「カープの考古学」第29回 カープ誕生における世界情勢その1 マッカーサーを動かした男

 広島カープという一地方に誕生したプロ野球チームは、広島が原爆によって廃墟となったことから、その復興のためにつくられたことは、この連載で幾度が述べてきた。今回からはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策が進む […]

西本恵「カープの考古学」第28回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その八 苦肉の選手集め。策士・石本の生んだ”幽霊選手”

 プロ野球が2リーグとなり、セントラルリーグへの加盟が決まりながらも、新球団のカープは選手集めに苦労していた。それは資金難によるところが大きいのは、前回までで述べてきた。この時、球団に唯一あったものは、戦前から中等野球、 […]

西本恵「カープの考古学」第27回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その七 獲得資金は自治体予算。”暁の超特急”に認められた男

 カープが選手集めに苦労したのは、原爆から立ち直る復興期に、カープを単独で支える企業が広島に存在しなかったことが大きい。いわゆる資金難であった。ならば県民待望のプロ野球チームの設立はどうしたのか……ということになるのだが […]

西本恵「カープの考古学」第26回 カープ誕生前夜・選手集めに苦難の日々その六 勝つことこそ生きる道 長谷川良平獲得秘話・番外編

 誕生して間もないカープが幾多の存続の危機に立たされることがあっても、初代エースの長谷川良平は決して逃げることなく、「勝つ」ことだけを使命としてマウンドを守り続けた。ときには自らのバッティングと俊足を生かして、ダイヤモン […]

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