サッカー

JFLを去る“社会性ゆえの強豪”

 ここ数年、「サッカーはコミュニケーション・スポーツである」との思いを強くしている。  野球であれば、それまで所属していたチームで残した成績は、かなりの確率で新天地でも通用する。勝てる投手は勝ち、打てる打者は打つ。所属しているチームは変わろうとも、選手個人が持っている能力は変わらないからである。

北澤豪(サッカー解説者)<後編>「フットサルが日本サッカー界を変える!」

: 今年はJリーグが開幕して20年目。日本サッカーリーグ(JSL)がプロ化すると知ったのはいつ頃ですか? : Jリーグ開幕の3年前、1990年ですね。当時は本田技研工業(現Honda FC)に在籍していて、ブラジルへ留学していました。プロ化するということを聞いた時はただただ驚きました。

世界一へ、うまさ以上のディテール必要

 フランス戦が終わったあと、沖縄の居酒屋でトルシエと食事をすることになった。焼きとりをつまみにビールを飲む元日本代表監督は、母国の思わぬ敗戦にもご機嫌だった。 「試合前、フランスの多くのメディアから取材を受けて、そのたびに日本は強い、フランスはやられるかもしれないぞと言ってきたんだが、誰も本気にしなかった。結果はご覧の通りさ。日本がもう少し勇敢に戦っていたら、もっと点差がついていた可能性さえあった」

第61回 ジーコ、かく語りき <最終回> 〜ジーコ・イラクの未来〜

 9月11日、埼玉スタジアムで行われたワールドカップ最終予選第4戦の日本代表対イラク代表戦で日本は香川真司を欠いたものの、本田圭佑、清武弘嗣、岡崎慎司、長谷部誠など欧州でプレーする選手を揃え、ほぼベストメンバーで臨んだ。  一方、イラクは前の試合から大きくメンバーを入れ替え、招集メンバー23人のうち7人が23歳以下の同国代表の選手だった。

前田の離脱から得る「失敗なき教訓」

 サン・ドニに乗り込んでフランス代表と戦う。中立地とはいえ、ベストメンバーのブラジル代表と勝負する。日本人に限らず、多くのサッカー選手にとって胸躍るシチュエーションであることは間違いない。それだけに、直前で離脱を余儀なくされた前田は痛恨の思いでいっぱいだろう。その心中は察するに余りある。  だが、ザッケローニ監督の心境はまた違うはずだ。

Jクラブは欧州情勢に敏感であれ

 欧州サッカー連盟(UEFA)は、先に行われた欧州選手権に於ける収益の一部を、欧州575クラブに分配することを発表した。保有する選手を予選、もしくは本大会に“提供”したクラブに対するご褒美とでもいうべき分配である。主力の多くが代表選手として活躍する名の知れたビッグクラブはもちろんのこと、アルバニアやアンドラといった小さな国のクラブにも、代表に選ばれた選手の人数、拘束時間に則った分配金が支払われた

第72回 ザックが目指す、日本版カテナチオ

 ブラジルW杯出場がはっきりと見えてきました。日本は11日に行われたブラジルW杯最終予選のイラク戦で勝利し、3位(2位以上が自動的に出場権獲得)との勝ち点差を8に広げています。なぜ、ザックジャパンはここまで順調に結果を残しているのか。守備の安定が大きいと私は見ています。

挫折知った磐田・小林に“大化け”の予感

 幼少期、少年時代を過ごしたクラブは、誰にとっても大切な存在である。ラウル・ゴンザレスにとって、それはアトレチコ・マドリードであり、チームのフロントが経費削減のためにユースチームを解散させたりしなければ、彼はサンチャゴ・ベルナベウではなく、ビセンテ・カルデロン(Aマドリードのホームスタジアム)のアイドルになっていたに違いない。  そして、そのまま消えていたかもしれない。

第60回 ジーコ、かく語りき Vol.3 〜イラクの監督として特別なW杯へ〜

 2010年南アフリカW杯の期間中にもぼくはジーコと彼の自宅で会っている。彼の自宅は、リオデジャネイロの中心地から少し離れた新興住宅地のバハ・ダ・チジューカにある。ぼくが初めてブラジルを訪れた1995年頃は、大通り沿いにぽつりぽつりと建物が見えるだけだった。しかし、十数年の間に、高層マンション、ショッピングモールが次々と建ち、中心部の喧噪を嫌った裕福なカリオカ(リオっ子)が集まる高級住宅地となった。自宅と自らの経営するサッカーセンターをこの辺りに作ったジーコには、先見の明があったというわけだ。

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