「20年にひとりの逸材」と言われる高校球界ナンバーワン左腕・菊池雄星(岩手。花巻東)の交渉権を獲得したのは埼玉西武だった。 それにしても西武はドラフトに強い。
とはいえ肉眼で見る限り、運命のボールは失投ではなかった。見逃せばインコース高目のボール球。3球勝負も川口の「焦り」と見るのは間違いだろう。バッター・イン・ザ・ホールのカウントでズバッと勝負球を投げ込むのは、川口のピッチングの真骨頂、むしろ、それこそが川口の持ち味だった。 にもかかわらず、なぜ川口は痛打されてしまったのか。打った鈴木が巧かったといえばそれまでだが、理由はそれだけではないはずだ。いくつかの必然が重なり合って、偶然と見まがうドラマを生むことはあっても、その逆はありえない。やはり川口は打たれるべくして打たれたのだ。あの運命の1球は、川口がそれまでに投じた何万球の中の1球としてとらえるべきであり、さらにいえば、それは彼がその後、投げ続ける何千球かのボールとも密接に関係してくるものであると考えることもできる。
野球独立リーグの先行きに黄信号が点滅している。 先頃、四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズが経営の立て直しをはかるため、来季のリーグ戦に参戦しないことを決めた。球団は存続し、11年からの復帰を目指す。
夏の甲子園の優勝投手で野手に転向して成功した例はたくさんある。西田真二(PL学園−法大−広島)、愛甲猛(横浜高−ロッテ−中日)、金村義明(報徳学園−近鉄−中日−西武)、畠山準(池田高−南海・ダイエー−大洋・横浜)らがそうだ。 その流れをくむのが今夏の優勝校、中京大中京のエース堂林翔太だ。 6試合すべてに登板、うち5試合に先発し、同校の43年ぶりの全国制覇に貢献した。
科学的根拠は皆無だが「勝ち運」を持った選手は洋の東西を問わず、確実に存在する。球団史上初の2連覇を目指し、ヤンキースとWシリーズを戦っているフィリーズ監督のチャーリー・マニエルなどはその典型だろう。
リーグ3連覇を達成した巨人の“新・若大将”といえば、入団3年目、21歳の坂本勇人だ。昨季、ショートのレギュラーとしてフル出場を果たすと、今季は5月からリードオフマンに定着、打率3割1分4厘、18本塁打、60打点をマークし、リーグ優勝に貢献した(9月24日現在)。
狭山丘陵の一角にある西武球場は、すりばち状になっているため、秋になるとライト後方から吹いてくる風が中空ですさぶように舞う。 試合の中盤ごろから風が徐々に強くなり、スタンドの観客は一斉にジャンパーやコートの衿を立て始めた。風雲急を告げる、と形容するほどものものしいものではないにしても、重々しい試合の空気が一変しそうな気配は、かなり濃厚に立ちこめていた。
ベテランスカウトの秘話は、もうひとつのプロ野球の裏面史である。 「イチローについては今でも苦い思い出ですね」。そう振り返るのは元北海道日本ハム編成部スカウト部長の三沢今朝治(現信濃グランセローズ代表取締役社長)だ。
国内か米国か――。この号が出ている頃には、もう結論が出ているかもしれないが、花巻東高(岩手)の155キロ左腕・菊池雄星の進路が注目された1週間だった。
久しぶりに「共催」(Co-hosting)という言葉を聞いた。前回はサッカーのW杯だったが、今回は五輪だ。 周知のように2020年夏季五輪開催に向け、被爆都市の広島・長崎両市が立候補する方向で検討に入った。核兵器廃絶への決意をアピールしてノーベル平和賞を受賞したオバマ米大統領の行動力に触発されたのだろうか。「スポーツを政治利用するな」という声も一部にあるが、逆にいえば政治の絡まなかった五輪が、これまでどれだけあっただろうか。
今季、新日本石油ENEOSからメジャーリーグのボストン・レッドソックスに入団した田澤純一が大活躍している。
3年連続最下位。昨季、合併問題でミソをつけたオリックスにとって、仰木彬の4年ぶりの監督復帰は、久々に放ったクリーンヒットだった。
勝率5割を切ったチームでも3位以内に入れば出場の権利を得られる現行のCS(クライマックス・シリーズ)制度に、真っ先に賛成する代議士がいるとすれば、きっと亀井静香郵政・金融担当相だろう。
身長171センチ、体重115キロ。 このサイズを見て思い出すのは「ドカベン」こと香川伸行である。 名門・浪商(現大阪体育大学浪商)の主砲として甲子園で活躍し、南海にドラフト2位で入団したのが1980年。10年間のプロ生活で通算460安打、78本塁打を記録した。
「人の噂も75日」という諺があるが、相撲界での話題は75日どころか3日ももたないようだ。きちんと総括しなければならない問題なのに、またしてもうやむやに終わってしまった。
イチロー(マリナーズ)がさる9月13日、メジャーリーグ(MLB)史上初となる9年連続の200安打を達成した。 それまでの記録は1894から1901年にウィリー・キーラーによる8年連続。ただし、当時はファールをストライクとカウントしないルールだったため、打者ははるかに優位な立場だった。70年代を中心に活躍し、通算10度の200安打をマークしているピート・ローズでさえ3年連続が最高である。この連続記録がいかに偉業であるかが理解できよう。
広く知られていることだが、イチローは小学3年生から中学3年生までの7年間、ほぼ毎日、名古屋空港近くのバッティングセンターに通った。イチローによると1ゲーム25球、それを平均して5ゲーム行った。つまり、1日あたり125球のボールを打った計算になる。多い日には10ゲーム、つまり250球も打ち込んだ。これはプロ野球でいうところの“特打”に匹敵する球数である。
イチローを2軍に落とした男――。さる25日、すい臓ガンのため死去した土井正三さんには、本人にとってありがたくない代名詞が付いて回った。
主催球団にとっては消化試合のはずのゲームが、この日一番の歓声に包まれた。 9月16日の横浜対東京ヤクルト。7回表1死2塁の場面でマウンドに上がったのが球界最年長投手の工藤公康だ。
ベストセラーのタイトルは、しばしば流行語ともなる。最近では藤原正彦氏が著した『国家の品格』がそうか。かつては『「NO」と言える日本』(盛田昭夫、石原慎太郎共著)、『不確実性の時代』(ジョン・K・ガルブレイス著)というものもあった。野球関連書でいえば、ボブ・ホーナーの『地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった』が思い出される。
負けそうで負けない。落ちそうで落ちない。 最大で借金が8あり、3位の埼玉西武に一時は5.5ゲーム引き離されていた東北楽天がしっかりと3位の座をキープしている。
1994年のシーズン後、オリックス球団は吹田市にある「田中スポーツビジョン研究所」(田村知則所長)に視覚機能の測定を依頼した。イチローにいくつかの検査を試みたところ、際立って高い数値を示す項目が浮上した。 テストはコンピューターの画面に、8桁の数字を0.1秒だけ表示する。文字のサイズは縦1.2cm、横1cm。正解数は平均して4桁のところを、イチローは6桁から7桁の数字を言い当てることに成功したのである。
イチローの驚異的ともいえる動体視力について言及する研究者が増えているが、その内実についてはあまり知られていない。実は動体視力の中でも、彼がもっとも優れているのは瞬間視能力である。
ナゴヤドームでこのベテランが打席に向かうと、もう、それだけで、割れんばかりの拍手が起こる。 今季限りで引退することをファンが知っているからだが、もちろんそれだけではない。 立浪和義ならなんとかしてくれるとの期待感がファンにはあるのだ。
「日本はゴール前20メートルまではいい攻撃をするが、そこから怖さがない。全く失点する気がしなかった」。オランダのDFヨリス・マタイセンの試合後のコメントだ。オランダ人の率直な指摘どおり、日本代表の詰めの甘さは、目を覆うばかりだった。日本代表のこれまでの課題は、きっとこれからも課題でもあり続けるのだろう。